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06-2:朱の闇夜

 パストラルの宿を出た俺は、赤い屋根の家へと続く丘陵地の道を歩いていた。

 見上げる空の一番高いところは深い紺で染まり、地平線にわずかばかり見える朱だけが、すでに沈んでいる太陽の存在を示している。

 丘陵地に点在する小さな森を通る頃には、足元を照らす灯りがなければ歩けないほど、辺りは暗闇で侵食されていた。

 だが、天使である俺は夜目が利くため、灯りに頼ることなく、闇に支配された森を難なく歩いていく。


 いつものように上り坂をしばらく進み、緩やかに曲がり始めた道の先に、赤い屋根とレンガ造りの小さな家が見えてきた。

 建物のそばにスラリと立つ金木犀(キンモクセイ)の樹を通り過ぎ、チーク材でできた玄関扉をノックする。

 少し待っていると、サキュバスがドアを開け「あらぁ? こんな時間に珍しいわねぇ」と不思議そうに首を(かし)げながら、俺を家の中へと招き入れた。



 室内へ入った途端、シチューのいい匂いが漂ってくる。どうやら、夕食を食べているところに居合わせたらしい。

 俺の姿を見たハルは、ダイニングテーブルの席を立ってこちらへと駆け寄ってくる。


「ミカエル、どうしたの?」


「夕食時にすまない」


 俺はそばに来たハルの頭を()でた。


「お供のラジィはいないのね」


 後ろに立つサキュバスが玄関扉を閉めながら、ラジエルを探すような素振(そぶ)りを見せる。



 サキュバスは俺たちと会って以来、ラジエルを『ラジィ』と呼んでは、妙にあいつに絡んでくる。

 初めの頃はラジエルも、ラジィと呼ばれるたびに「()()()()です。愛称を勝手に作らないでいただきたい。甚だ迷惑です」と冷たくあしらっていた。

 だが、夢魔とはいえ女の姿をしているサキュバスに、冷淡な態度を取り続けるのは天界(ヘブン)一の紳士ラジエルの良心が(とが)めたらしい。

 執拗(しつよう)に続くサキュバスのラジィ攻撃に、ついにあいつが屈服したのは十日ほど前。

 サキュバスは小躍りしながら、お祝いと称しクランベリーケーキを焼いた。そして、ガゼボにある小さな丸テーブルを囲み、みんなで焼き立てのケーキと紅茶を楽しんだ。


 サキュバスがいれた紅茶を飲みながら、ラジエルがぶつくさと言う。


「女性に対し、このような争いは不毛だから、私のほうから身を引いたまでです」


 それを聞いていたルファが、持っていたフォークでケーキを一口大に切り分けながらぼそりと言う。


「女性というか、サキュバスは夢魔だから雌雄同体……なのだけれど?」


「……」


 ラジエルの『しまった』という顔と、サキュバスのニヤリとした顔を見て、俺とハルが声を上げて笑ったのが、つい昨日のように思い出される――



 ラジエルの不在を気にするサキュバスに「あいつはあとから来る」と答えた俺は、ダイニングテーブルの席に着いたままのルファを見た。


「夕方宿へ戻ったら、ウリエルから書簡が届いていたんだ。で、このあと、いったん天界(ヘブン)へ戻ろうと思う」


 ルファが怪訝(けげん)そうな顔をして尋ねる。


「どういうこと?」


「俺にもよく分からない。書簡には、天界(ヘブン)への帰還要請が書かれていただけで、詳細は何もなかった」


「そう……」


 心配そうに何かを考え込むルファ。俺は彼女の不安を払拭(ふっしょく)するように笑う。


「まぁ、ウリエル(あいつ)のことだ。形だけ大ごとにして、実は大したことではないってこともあるしな。だけど、もし、ハルに影響するようなことがあれば必ず連絡する」


「分かったわ」


 不安を拭いきれない表情のまま、ルファが(うなず)いたときだった。

 ドンという腹に響く重低音が、室内の空気を震わせた。それと同時に家具がガタガタと音を立てて揺れる。


「!?」


 何が起こったのかすぐには理解ができず、俺たちは互いに顔を見合わせた。すると、再びドンと重く低い音が辺りに響く。

 ハルがビクリと体を跳ね上げ、両耳をふさいで俺に体を寄せてきた。俺は反射的に彼女を守るように抱きしめる。


 家の外からは、異変を察知した鳥たちがギャーギャーと騒ぎながら飛び立つ音が聞こえてきた。

 その騒めきで呪縛が解けたように、玄関扉に最も近いサキュバスが外へと飛び出していく。

 俺はハルを後ろに隠しながら、サキュバスが開け放った扉からそろりと表へ出た。


「一体何だ?」


 玄関から少し離れたところで空を見上げているサキュバスに俺は尋ねる。だが、彼女は上を見たまま「分からない」と首を左右に振った。

 そびえ立つ木々が邪魔をして、赤い屋根の家の周囲は世界から隔離されたかのように静寂を(まと)っている。


 俺たちに遅れて、ルファが外へと出てきた。そして、両耳をふさいだまま固まっているハルを後ろから抱きしめる。


「大丈夫よ、ハル。私たちがついているから」


 ハルが何かを言おうと口を開きかけた。再び、ドンという(ごう)音が辺りに響く。


「きゃっ」


 室内にいるときよりも数段大きくつんざく音に驚いたハルは、慌ててルファにしがみついた。

 ルファは片腕でハルを抱き留めながら、夜空を見上げて顔をしかめる。


「あれは……何?」


 そう言って空を指さした。

 その場にいた全員が、ルファが示す方向へと顔を向ける。闇に紛れた黒煙が一筋、紺色の空に立ち上っているのが見えた。


「煙? 火災……か?」


 俺が目を凝らして空を見上げていると、ドン、ドンと腹に響く鈍い音が連続で鳴り響いた。それと同時に、森の切れ間から見える紺の夜空では、その轟音に合わせて(ほの)かな朱色が光っては消えるを繰り返す。


「火薬の臭いがする……」


 サキュバスが夜空を見上げながら鼻をヒクヒクさせ、ぼそりとつぶやく。

 その言葉を聞いた俺の脳裏に、宿に残っているラジエルやパストラルの人々のことがよぎった。


「ミカエル……」


 ルファの声に反応し、俺は彼女を見る。その目にはわずかに恐怖の色が浮かんでいた。

 ルファから視線を下に移すと、ハルも不安そうに俺を見ている。


 どうするべきか……俺は考えを巡らせた。

 そうしている間にも、耳をつんざく轟音は、その間隔を徐々に狭めながら連続して鳴り響く。

 この近くで戦闘行為が行われているのは明らかだった。


「サキュバス」


 俺は少し離れた場所にいるサキュバスに体を向けた。


「うん?」


「俺は町の様子を見てくる。二人を頼んだ。いざとなったら逃げろよ」


「分かったわ。任せて」


 サキュバスの返事に俺は頷く。そして、不安そうにこちらを見つめるルファとハルに向かって「大丈夫だ」と言い残し、後ろ髪を引かれながらも俺はパストラルへと走り出した。


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