表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
132/140

49-2:禁秘

 サタンがスクリーンを指差すと、俺の消された記憶だという映像が再び動き出した――


 薄暗い室内のベッドの上では、六枚の純白の翼を広げた裸のルシフェルが、向き合う俺を見つめながら言う。


わが心すべてを(ティビ トートゥム) あなたに(コルメウム)


 その途端、彼女の胸の辺りから、七色に(きら)めく宝石のような核が出てきた。

 画面の中の俺が目を細めて言う。


「初めて見るな……」


「そうね……」


 俺もルシフェルも、キラキラと輝く核をしばらく眺めていた。だが俺は何かに気づき、不安そうにルシフェルの顔を見る。


「平気……なのか?」


 ルシフェルは俺を安心させるためか、微笑(ほほえ)みながら小さく(うなず)いた。


「大丈夫。平気よ。それよりミカエル、言って。次の言葉を」


「分かった」


 俺は強張った体をほぐすように、空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


 それはそうだろうと、画面の外にいる俺は、記憶にない当時の自分に思いをはせる。

 婚姻の儀の書物には『儀式中、互いの核を割っても肉体が滅びることはない』と書かれていた。だがその書物は、画面の中には見当たらない。おそらく俺は、記憶を頼りに儀式を行っていたのだろう。

 何らかの手違いがあれば、俺はルシフェルを滅ぼしかねない。未経験の危険な行為に、緊張するのは当然だった。


 画面の外の俺は唇を()む。

 当時の俺は気づくべきだった。ルシフェルは無計画なことはしない。あらためて書物を読み、儀式の手順を頭に入れていたはずだ。

 それに気がついていれば、ルシフェルにはぐらかされた婚姻の儀を行う理由を、俺はあらためて尋ねていただろう。


 画面の中では、六枚の翼を広げた俺が、愛おしそうにルシフェルを見つめていた。


永遠に(センペル) 愛そう(アメームス)


 そして、ルシフェルの核へと手を伸ばす。指先がわずかに触れた途端、パリンと音を立て、七色に輝く核は中心から真っ二つに割れた。


「ルシフェル……」


 心配そうに顔を上げた次の瞬間、今にも泣きだしそうな表情のルシフェルの手が、俺の額に触れる。


「リコルドエファンセ」


 彼女の言葉を最後に、薄暗い室内の映像は、白と黒の無数の点がランダムに揺れ動く映像へと切り替わった。



 突然の出来事に、俺は茫然(ぼうぜん)と立ち尽く。

 白黒のノイズで埋め尽くされたスクリーンの前で、ルシフェルが最後に言った言葉を繰り返した。


記憶消去(リコルドエファンセ)……」


 天使や悪魔が、人間界でかかわりを持ったヒトに対し、自分の記憶を消すために使う魔法が『記憶消去(リコルドエファンセ)』だ。それはヒトだけではなく、天使にも悪魔にも有効な魔法だった。

 まさかあの夜、ルシフェルが俺の記憶の一部を消していたなんて……。


 状況から察するに、婚姻の儀は、俺にルシフェルの核を割らせるための口実だったのだろう。

 だがなぜだ? 俺の記憶を消してまで自分の核を割り、あいつは何をしようとしていた?



 俺はふと、人間界でルシフェルが別れる際、ハルに託したしずく型のロケットペンダントを思い出す。

 深い森の前に建てられた古いサイロの中で、ペンダントに触れながら(クリ)色の髪をしたハルが話していた。



「大事な『心』が入っているって言っていたよ」



 心……。それはつまり、あのロケットペンダントの中に、熾天使ルシフェルの核の片割れが入っていたということか?

 あれこれと考えを巡らせていると、サタンの声が聞こえてきた。


「婚姻の儀の最中に記憶を消すなんて、あの子は本当にすごいことを考える」


 そこにはなぜか、切なさが混じっているような気がした。

 俺は正面に立つサタンを見る。


「天使の核を地獄(ゲヘナ)へ持っていくために、俺に割らせたのか……。でも、なぜ?」


「分からない?」


 サタンの問いに、俺は少し考えてから答える。


天界(ヘブン)に……天使に未練があった……?」


 サタンは苦笑いをすると、頭を左右に振った。


「いや、君にでしょ? 天界(ヘブン)でも天使でもない。()()未練があったから」


「俺?」


 サタンは肩をすくめて、両方の手のひらを上へ向ける。


「それしか考えられないでしょ? だから天使の核を割り、ペンダントに保管した。いつか君のもとへ帰れるのではないか、そんな淡い期待を抱いて。だけど、望みが(かな)う日は訪れない。頭では理解していても、あの子は自分を止められなかった……」


「……」


 言葉が出ない。

 世界の均衡を守るために、地獄(ゲヘナ)の統治者になる覚悟を決めながらも、ルシフェルは諦めきれなかった。最後まで足掻(あが)いていたのだ……。

 そう思うと、胸が締め付けられる。


 サタンはさらに続けた。


「あの子が地獄(ゲヘナ)の統治者になることを承諾したとき、一つの条件を提示してきた。ミカエル、君が必ずあの子の止めを刺すこと。あの子はね、君が自分のことを忘れないよう、君の抜けないトゲになりたかったんだよ。そして望み通り、君はあの子を永遠に忘れられないほど、深く傷ついた」


 そこまで言い終えると、サタンが深いため息をつく。


「それにしても……核が半分しかない状態で君と戦うなんて。まさに執念……だね」



 あぁ……だから……だからルシフェルは、『あの時』微笑んでいたのか……。



 目の錯覚ではなかった。

 俺の剣に体を貫かれ、地獄(ゲヘナ)の業火へ堕ちていったルシフェルは、やはり笑っていたのだ。自分の望みが一つ叶い、満足したから。



 馬鹿だな……。どんなことがあろうとも、俺がルシフェル(おまえ)を忘れることなんてあり得ないのに……。



 俺は知っていた。地獄(ゲヘナ)へ堕ちれば、神の恩恵を受ける天使には戻れないと。

 だが『奇跡』というやつを信じたかった。そこに(すが)りつかなければ、目の前にある残酷な現実の先へは進めなかったのだ。

 それは俺だけではなく、堕天を決めたルシフェルも同じだったということか……。


「俺は……それほどまでに……」


 言葉を詰まらせた俺に代わって、サタンが続ける。


「そう。あの子はそれほどまでに、君を深く愛していた」



 俺たちの心は、いつもずっと深くつながっていた……。



 それが分かった途端、抑えきれない感情が(あふ)れ出た。再びその場にしゃがみ込み、俺は嗚咽する。

 自分の体を抱きしめるように交差した腕を、爪が食い込むほどに両手で(つか)んだ。頭を垂れると、白の地面にぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。必死に抑えていた声は、感情の高ぶりとともに漏れ始め、(せき)を切るように止まらなくなった。

 俺はありったけの声を出して叫ぶと、子供(ガキ)みたいにしゃくり上げて泣いていた。



 たまった(うみ)を出し切るように泣き続けていると、黒い影が俺を覆う。白の異空間にいるもう一つの存在。サタンだった。

 膝を地面につけたサタンの白いローブの裾が見える。サタンはかすかにため息をつくと、子どもを慰めるように俺の銀色の髪を()で始めた。

 悪魔たちも恐れおののく地獄(ゲヘナ)の畏怖。それにもかかわらず、サタンの手の温もりは、俺の心を不思議と落ち着かせた。

 ゴツゴツとした大きな手は、神のそれを彷彿(ほうふつ)させる。

 冷静さを取り戻しつつある頭の中で、もとは同じだったからそう思うのだろうか? などと場違いなことを考えていた。


 すっかり落ち着きを取り戻した俺は、ある疑問が浮かび、涙を手の甲で拭いながら顔を上げる。


「ルシフェルの天使の核は、今はどうなっている?」


 核が納められたロケットペンダントは、ルシフェルに失望したハルが彼女へ突き返していた。

 あのペンダントの中にある天使の核を使えば、真の魔王となり自我を失ったルシフェルを、元に戻せるかもしれない。そんなかすかな希望を俺は抱いた。


 サタンはゆっくり立ちあがると、ローブのしわを直しながら言う。


(あれ)なら、もうないよ」


「ない?」


 眉間にしわを寄せた俺を見て、サタンは少し困った表情になった。


「うん、もうないんだ。あの子の核は、ヒトの子に使われてしまったから」


 その言葉に、俺は目を見開く。


「ヒトの子って……まさか……」


 サタンはコクリと頷いた。


「そう。君たちが『ハル』と呼んでいた、あのヒトの子に」


「!?」


 俺は驚きのあまり片手で口を覆うと、その場に凍りついたままサタンを見つめた……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ