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49-1:禁秘

 白の空間に再び浮かび上がった淡黄色のスクリーンは、メタトロンの執務室の映像とは異なり、青みを帯びた黒一色のみを映し出した。

 単色の画面は少しずつ明るさが足され、鮮明さが増していく。そこはどうやら、薄暗い室内のようだった。


 画面を見ていた俺は、怪訝(けげん)な表情になる。映し出された壁の模様に、見覚えがあったからだ。


「ここ……俺の部屋?」


 正面に立つサタンは、微笑(ほほえ)むだけで何も答えない。



 薄暗い室内の奥に見える漆喰(しっくい)の壁には、幾何学模様の十個の円とそれらをつなぐ(ツタ)が複雑に絡まるように描かれていた。

 この独特な模様は俺の部屋にのみ描かれており、生命(セフィロト)の樹を表わしていると神から聞いたことがあった。

 その壁の下には、暗がりで色褪(いろあ)せたアイボリーを基調としたベッドが置かれている。


 俺のベッドには、細長い二つのふくらみが見えた。その一つがもぞもぞと動き出す。

 褪せたアイボリーのシーツから()い出た影を見て、画面の外の俺はギョッとする。その影は、胸元をシーツで隠した裸のルシフェルだった。



 これって……この夜って……。



 画面を凝視したまま、俺の鼓動がバクバクと激しく波を打つ。


 ベッドから上半身を起こしたルシフェルは、下を向いて何かを言っていた。それに反応し、もう一つの細長いふくらみがもぞもぞと動く。彼女の横でけだるそうに起き上がったのは、何も身に着けていない俺自身だった。


「なんだ? これ……」


 画面の外の俺が、独り言ちる。


 この状況に覚えはあった。

 アイボリーのシーツに変えたのは、あの夜が最初で最後だった。これは……この映像は、ルシフェルが天界(ヘブン)で謀反を起こす前夜のものだ。

 あいつはあの夜、突然俺の部屋を訪れた。ルシフェルから求められ、俺はそれに応えた。そして気がつくと朝を迎えており、腕の中からあいつの姿が消えていた……はずだった。


 混乱する俺を後目に、画面の中のルシフェルが言う。


「ミカエル、お願いがあるの」


「ん? どうした?」


 画面の中の俺が、目をこすりながら尋ねる。

 手にしていたシーツをルシフェルが離すと、絹のような白肌が現れた。裸の彼女は俺に体を押し付け、首に腕を回す。そして耳元でささやいた。


「私と婚姻の儀をしてほしいの」


「え?」


 画面の俺と、それを見ている俺がほぼ同時に声を上げる。


 白の空間にいる俺は、説明を求めてサタンを見た。しかし、サタンは相変わらず微笑んでいるだけで、何も答えようとはしない。



 こんな会話、覚えがない……。サタンが作り出した幻想……なのか?



 画面の中の俺も、困惑気味に言う。


「一体どうした? 婚姻の儀だなんて……」


 俺とルシフェルは、互いに想い合って体を重ねていた。それは、俺たちの存在をより深く感じ、愛情を確かめ合う行為だった。


 生殖機能を持たない天使に、婚姻という概念はないに等しい。それにもかかわらず、天界(ヘブン)には『婚姻の儀』という儀式が存在していた。

 天界(ヘブン)の大神殿にある書庫の片隅に、この儀式について書かれた暗い茶褐色の薄っぺらな書物がひっそりと収められている。


 俺もルシフェルも、書庫にあるものすべてを読み尽くしていた。当然、『婚姻の儀』の書物にも目を通している。

 一体何のために創られた儀式なのかと、この書物の存在自体に首を(かし)げたことを俺はよく覚えていた。



 俺に抱きついていたルシフェルは、体を少しだけ離すと上目遣いで尋ねる。


「ダメ?」


 俺にしか見せない、甘えるときのルシフェルの表情。彼女のうるんだ赤い瞳に見つめられると、俺はいつも拒否できなくなる。

 だがこのときの俺は、どこか(おび)えた表情になっていた。


「ダメじゃない……けど……」


「けど?」


 まるで俺の気持ちが伝染したかのように、ルシフェルは不安な目つきで俺を見た。そんな彼女をそっと抱き寄せる。


「何だか怖い……」


「怖い?」


「うん……。儀式をしてしまったら、おまえがどこか遠くへ行ってしまいそうで」


 画面の外の俺は『その通りだ』と心の中でつぶやいた。

 それにしても……自分の記憶のどこを探っても、この状況も自分が言った台詞(せりふ)もまったく思い出せない。これは一体、どういうことだ?


 画面の中では、ルシフェルが俺の背中に腕を回していた。


「安心して。私は、あなたから離れることはないもの。絶対に」


 微笑みながら見上げたルシフェルの唇に、俺は自分のを重ねる。彼女もそれに素直に応じた。

 不安をかき消すような口づけの音だけが、静まり返った室内に響く。しばらくしてルシフェルの唇を解放した俺は、彼女の額に自分の額をつけた。


「やろう、婚姻の儀。永遠に一緒にいるっていう契約の儀式だよな? 確か」


「そう。永遠に……」


 ルシフェルがコクリと(うなず)くと、片方の瞳から一筋の涙が流れる。


「なんだよ、泣くなよ。本当にいなくなるかと、心配になるだろ?」


「だって……嬉しいから」


 微笑んだ俺は、涙目のルシフェルをもう一度抱き寄せた。



「ちょ……ちょっと止めろ!」


 画面の外で俺が叫ぶ。すると画面は、俺とルシフェルが薄暗いベッドの上で抱き合う姿のまま停止した。

 スクリーンの真下にいるサタンに、俺はもう一度尋ねる。


「何なんだ? これは」


 柔らかな笑顔のサタンは、空を見上げるようにスクリーンを見た。


「これは、消されてしまった君の記憶」


「は?」


 サタンの視線はスクリーンから俺へと移り、憂いを帯びた表情になる。


「今の君なら分かるよね? あの子が、どれほどの覚悟で()()を言ったのか」


「……」


 思わず俺は、右腕を握りしめた。

 人間界でルシフェルと交わした、天界(ヘブン)地獄(ゲヘナ)の一時休戦の協定の契約(コントラクトゥス)魔法(・マーギア)。そのとき俺は、自分の記憶の一部が不鮮明だと気がついた。



 それは、婚姻の儀の記憶が消されたから?



 仮に、俺の記憶がルシフェルによって消去されたとしても、理由が分からない。

 婚姻の儀は、二つに割った互いの核を交換し合うことで成立する。しかし、俺の核は割られていない。

 この儀式が成立すると、伴侶となった者の存在を常に近くに感じるはずなのだ。だが俺にはその感覚がない。婚姻の儀は、本当に行われたのか?


 視線を下ろして考え込んでいると、サタンの声が聞こえてきた。


「続きを見れば、君の疑問は解明される。断っておくけど、この映像に、僕は何の手も加えていないよ。神に誓ってね」


 最後の言葉に、俺は眉をひそめてサタンを見る。

 いたずらっぽく笑うサタンは人差し指を突き上げ、スクリーンを指し示した。


「さぁ、消された秘密の続きを見ようじゃないか」

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