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43-1:決意

 楕円(だえん)の形をしている闘技場から下へ降りると、魔力で灯されていたはずの壁掛けランプの明かりがすべて消えているのが分かった。しかし、辺りは(ほの)かな紫色の明かりに包まれ、鬱屈(うっくつ)とした重苦しい空気が漂っている。


 ガブリエルは紫色に染まる廊下を歩きながら、不快な表情で天井を見上げた。

 闘技場の白い天井は、天界(ヘブン)の象徴である両翼のモニュメントが崩れたことで大穴が開き、そこから魔王ルシファーが作り出した結界の光が差し込んでいる。


 これが己の犯した結果なのだと思うと、ガブリエルは叫びたい衝動に駆られた。しかし、こうなるはずではなかったと喚いてしまえば、自分があまりにも惨めで空虚なものとなってしまう。

 いつの間にか足元を見つめていたガブリエルは、拳に力を込め、唇を()みしめていた。


「ガブリエル。これは、おまえにしかできない」


 切れ長の赤い瞳で力強くこちらを見つめるミカエルの声が、頭の中に響く。


 絶望の果てに、すべてを捨てて闇へ身を投じようとしたミカエル。それにもかかわらず、自分を追い込んだ相手に、なぜ、あのようなことが言えるのだろうか?


 眉間にしわを寄せたガブリエルは、すぐさま頭を左右に振った。

 この考え自体が、己の思考の限界であるとまざまざと思い知らされる。

 最初から分かっていた。ミカエルの器は超えられない。だが、その事実を認めたくはなかった。それが、己の真の弱さであるということも。



 ガブリエルは一人、長方形に切り抜かれた闘技場の出入り口へと辿(たど)り着く。

 こちら側から見える外界は、ルシファーの結界により薄紫色の膜に覆われているように見えた。そこから視線を下ろすと、出入り口の手前に小さな灰の山がいくつもあることが分かる。


 苦々しく灰の山を見つめるガブリエルの横を、力天使が勢いよく通り過ぎた。

 ガブリエルは反射的に彼の服の襟をわし(づか)み、後ろへと引き倒す。

 尻もちをついた力天使は、腰をさすりながら横暴な相手を(にら)みつけた。


「何をするっ!」


 しかし、怒鳴った相手がガブリエルだと分かると、力天使の顔は見る間に青ざめていく。


「ガっ……ガブリエル様……」


 顔を引きつらせてその場に固まる力天使に遅れて、闘技場から降りてきた天使たちが津波のように集まってきた。

 右手を真横に上げたガブリエルは「近寄るな」と、彼らを制する。


「あの出入り口は使えぬ。下を見よ。あれに触れれば、おまえたちも一瞬で灰になろう」


 その言葉に、集まった天使たちの動きがピタリと止まった。

 闘技場にいた同胞たちが、ルシファーの魔力によって灰と化した光景は、彼らの目に真新しく焼き付いている。


 凍りつく天使たちの群れをかき分け、ウリエルがラファエルを守るように肩を抱きながら前へと進み出てきた。


「ガブ君……」


 それだけ言うと、ウリエルは口をつぐむ。

 ガブリエルは顔をわずかに横に動かすだけで、すぐに前を見据えた。彼の言いたいことは分かっている。


『大丈夫なのか?』


 元天使の長であり、地獄(ゲヘナ)の現支配者ルシファーが作り出した結界は、天使の頂点にいる四大天使であっても、そう容易く破れるものではなかった。

 ウリエルに限らず、この場にいる天使たちの不安が、ガブリエルの背中からヒシヒシと伝わってくる。



 こんなとき、ミカエル(あいつ)ならば、どう振る舞うのだろう?



 ぽっかり空いた薄紫色に染まる闘技場の外に、(りん)(たたず)む長兄の後姿を、ガブリエルは見た気がした。

 肩で一度大きく深呼吸をすると、後ろを振り向いてニヤリと笑う。


「問題はない。神の左に座すこの熾天使ガブリエルが、破壊すると言った以上、それは必ず成し遂げられる」


 そう言い切ると、ガブリエルは純白の翼を広げた。


 引き戸を押し広げるように両手を前に突き出し、薄紫色の結界に触れる。

 その途端、結界はバチバチと音を立て黒い閃光(せんこう)を走らせた。ガブリエルの指先に刃物で切り付けられたような電流が走り、思わず手を引く。

 彼の背後で、恐怖と不安が入り混じったどよめきが起こった。


 ガブリエルはいったん呼吸を整えると、指先に魔力を集中させ、再度結界へとその手を押し込む。

 薄紫色の結界は、ガブリエルの侵入を拒絶するかのように、甲高い悲鳴のような音を発した。そして、彼の指先が触れているところから、黒の稲光を周囲へまき散らし始める。


 鋭利な黒の光が、ガブリエルの頬とわき腹をかすめた。鋭い痛みに、一瞬顔をしかめる。

 続けざまに、ガブリエルが広げている翼を打ち抜く音が何度も聞こえ、そのたびに細切れになった白い羽根が宙を舞った。


「一人じゃ無理だ!」


 ウリエルがこちらへ向かってくる気配を感じ、ガブリエルは咄嗟(とっさ)に声を張り上げる。


「来るなっ!!」


 このあとに控える地獄(ゲヘナ)との総力戦を考えれば、ミカエルの代わりに主力となるウリエルの魔力は、絶対に温存しなければならない。それに何より……。


 ガブリエルが思案している最中、荒れ狂っていた閃光の嵐がピタリと止んだ。

 不穏な静寂に眉をひそめる。

 次の瞬間、ガブリエルの指先に黒の光が円形に集まると、まるで破裂するかのように闇の魔力を一気に放出した。


 衝撃波をまともに受けたガブリエルは、後ろへ吹き飛ばされる。

 彼の背後にいた座天使たちの何人かが、飛び込んできたガブリエルの体を受け止め、一緒になって床へと倒れ込んだ。


「ガブ君!」


「兄様!」


 ウリエルとラファエルが同時に叫び、ガブリエルのもとへと再び駆け寄ろうとする。

 床に片手をついて体を起こしたガブリエルは、向かってくる二人に右手を上げて、それ以上来るなと制した。


「大丈夫だ」


「そんなこと言っても……」


 その場に立ちすくむウリエルに向かって、ガブリエルは不敵に笑って見せた。


 ルシファーの結界から放たれた黒の稲妻が(かす)り、全身がズキズキと痛み、出血しているのが分かる。

 身に(まと)う白に淡い青緑の糸で模様が描かれた豪華な祭服も、黒の閃光に切り裂かれてボロボロになっていた。


 ガブリエルは、四大天使の中で最も洗練された魔力を有する天使だ。だが、行く手を阻む地獄(ゲヘナ)の結界に、傷一つつけられていない。

 それどころか、肩で息をするほどに、彼の魔力はすでに大量に消費されていた。


 だがガブリエルは、焦燥感も敗北感も不思議なほどに感じない。

 頭に浮かぶのは、銀髪のミカエルが、ただ真っすぐにこちらを見つめる姿だけ。



 ガブリエルが何とかする、だとか、おまえにしかできない、だとか……。あいつは、いつも好き勝手なことを言ってくれる……。



 ガブリエルは片膝をつくと、よろよろと立ち上がった。


「このままでは、天界(ヘブン)地獄(ゲヘナ)の手に堕ちる。おまえは、それでいいのか?」


 耳に残るミカエルの言葉に向かって、心の中で叫ぶ。



 いい訳がないだろう! 私が何のために、天使の慈悲を捨てたと思っているのだ!



 ガブリエルの願いはただ一つ。それも、とてもシンプルなものだ。


 天使が心穏やかに過ごせる世界へと創り変える。

 ルシファーが起こした惨劇からガブリエルが学んだことは、人間界だけでなく地獄(ゲヘナ)をも管理下に置かなければ、天使の苦悩が永遠に続くということだった。


 この願いは、おそらく神の意に反している。だが、それでも構わなかった。

 自分が(にえ)となり、天界(ヘブン)の安寧が未来永劫(えいごう)にわたり続くのであれば、ガブリエルは地獄(ゲヘナ)へ堕ちても構わないと、ひそかに思っていた。

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