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38-2:闇

 ケルビムは、天使なら誰もが知っている天地創造の話を語った。

 今更なぜ? と俺は顔をしかめる。正面にある岩壁を見つめる彼に、その疑問をぶつけた。


「なぜそんな話をする?」


 しかしスキンヘッドのケルビムは、俺の問いを無視して尋ね返す。


「サンダルフォンが、今のメタトロンだってことは知っているだろ?」


「え? あぁ……まぁ」


 ケルビムの意図が分からず苛立ちながらも、俺はコクリと(うなず)く。


 サンダルフォンは神の手で初めて創られた天使であり、この世界で初めて滅びと復活を経験した天使でもあった。

 新たな肉体を得て復活した彼は、神から与えられた名を捨てメタトロンと改める。そしてその素顔を白い陶器の仮面で隠し、誰にも見せることはなかった。


 ケルビムが俺の顔をチラリと横目で見ると、さらに尋ねる。


「じゃぁ、サンダルフォンが滅びた経緯を知っているかい?」


「……いや」


 これまで気にならなかったと言えば、うそになる。だが語りたくない過去は、誰もが持っているものだ。そう、俺だって。

 特にサンダルフォンは、メタトロンと名を変え素顔も隠した。そこまでするには、よほどの事情があるのだろう。それを興味本位で暴こうとするのは、悪趣味以外の何物でもない。


「というか、俺は別に……」


 知りたくもない、と言いかけた俺の言葉を遮り、ケルビムがボソリと言った。


「自ら滅びを選んだんだ」


「え……」


 驚いた俺は、横に座る大きな体躯(たいく)のケルビムを見る。

 彼の視線は部屋の壁から足元へと落ち、大きくため息をついた。


「大地の端から、その身を投げたらしい」


 天界(ヘブン)の大地の下には、空間の(ゆが)みがある。

 この地を創る際、神が生まれた暗黒の世界と切り離すために生じたもの、と伝えられていた。

 その歪んだ空間から身を守る力は、この世界で俺だけが持つ特殊能力だ。しかし俺の能力も、自力で立てなくなるほどの大量の魔力を消費するため、簡単には使えない。

 そんな空間へ、身を守る術を持たないまま飛び込めば、肉体があっという間に引き裂かれるのは明白だろう。


「なぜ、そんなことを……」


 天使の自害は、地獄(ゲヘナ)へ堕ちることと同義だ。

 ルシフェルを失い、心が壊れた俺でさえ、自分で核を砕く考えには至れなかった。

 神の理は、それほどまでに俺たち(天使)の行動理念に食い込んでいる。


 サンダルフォンが生まれた当時、地獄(ゲヘナ)は存在していなかった。そのため堕天することはないが、当然ながら、神が天使の自害を許すはずがない。

 それを分かっていながら、サンダルフォンは自ら滅びを選んだ。何が彼を、そこまで追い詰めたのだろう?


 手で口を覆い考え込む俺に対し、ケルビムは寂寥感(せきりょうかん)が漂う口調で答えた。


「俺には何となく分かる。あの頃の世界には、神とサンダルフォン、それにほんのわずかな生命しかいなかったから」


 その言葉に共感できない俺は、眉をひそめる。


 俺も一時期、ルシフェルと神しかいない世界を過ごした。

 平穏と静寂が続く日々は、俺にとって、ルシフェルと過ごす幸せな時間だった。それに加えて、天界(ヘブン)の生誕の間では、天使たちが生まれる直前の高揚感で満ち(あふ)れてもいた。


 弟妹たちの誕生を心待ちにしていた幼いルシフェルの顔を思い出し、俺の胸が苦しくなる。

 しかし俺には、サンダルフォンのように悲嘆に暮れるようなことは思い当たらなかった。

 そこまで考えて、ふとした疑問が沸き上がる。


「あれ? そのとき、サタンもいたんだよな?」


 ケルビムは首を左右に振って即答する。


「いや。サタンは、サンダルフォンが自害したあとに、創られたそうだ」


 俺が知る天地創造では、神はサンダルフォンと同時にサタンも創ったとされていた。ケルビムの言葉が正しければ、神はなぜ、その事実を隠したのだろう? というか……。


「おまえ……何でそんなに詳しいんだよ」


 俺は(いぶか)しげにケルビムを見た。

 最高位天使の俺ですら知らない創世記の真実を、スラスラと話す彼はニヤリと笑う。


「そりゃ、いつも神のそばにいるからね」


 天界(ヘブン)の守護者である智天使ケルビム。俺の隣に座るスキンヘッドのケルビムは、常に神の御身を守っている。それは、公にできない話も耳にするということか。


 ケルビムはさらに話を続ける。


「小さな世界で穏やかに過ごしていたサンダルフォンが、自ら滅びの道を選んだ。なぜだと思う?」


 世界が創られた当初は、名もないただの大地だった。

 悪魔もヒトもおらず、争いごとのない(なぎ)のような世界。そんな平和な場所で、己の滅びを選ぶ理由……か……。


「俺には……分からない……」


 そう答えると、ケルビムは微笑(ほほえ)みながら首を(かし)げた。


「そうかな? 今のミカエル君なら分かると思うけど」


「……」


 俺は眉をひそめたまま、何も答えられなかった。

 それを見ていたケルビムの笑顔が、急に真剣な顔つきに変わる。


「神は、無慈悲だと思うかい?」


「……」


 天地を創造する強大な力を持っているにもかかわらず、神はただひたすら世界を見守っている。それは、強靭(きょうじん)な忍耐と慈悲深さがなければ務まらない。俺はそう思っていた。だが……。


 答えに窮している俺を見て、ケルビムが再び微笑んだ。そして広げた膝の上に両腕を置くと、床へ視線を落とす。


「俺さ、あの方のそばにいて、メタトロンのそばにいて、時々苦しくなる。あそこまで己を犠牲にして守る世界って、一体何なのだろうって」


「犠牲……」


「ん? 犠牲を強いられているのは、自分たちだけだと思っていたかい?」


 猫背になったケルビムが、俺を見上げて尋ねた。


「……いや」


 俺は思わず、彼から目を(そら)らす。


 俺は、それほど傲慢(ごうまん)なつもりはなかった。

 だが、ケルビムが苦しいと感じるほど、神やメタトロンが『何か』を犠牲にしているとは、想像すらしていなかった。

 それにしても、ケルビムの言う通り、神がそこまでして、光と闇が混在するこの世界に固執するのはなぜなのだろう?


 次々に出てくる疑問。この世界の真の姿を、俺はまだ何も知らないのではと感じた。

 ケルビムは軽くため息をつく。


「神は世界のすべてを受け入れる。だが同時に、世界の均衡を重んじる。だからこそ、人間界が負の闇に染まりかけたとき、神は『あの子』を降ろすことをお決めになられた」


「……」


 俺は、その亡骸を天界(ここ)へ持ち帰った『神の子』を思い浮かべる。ケルビムは話を続けた。


「それにより世界の均衡は元へと戻った。だがあの子にとって神は、無慈悲だったかもしれないな」


「父上が……神が直接介入すれば、済むことだったんじゃないか?」


 素朴な疑問だった。

 最高位天使の俺ですら、ヒトを導くことはできても、彼らの行動の制御を許されていない。神もそうだ。強大な力を持っていても、それを直接使おうとはしない。


 ケルビムが再びため息をついた。


「それはたぶん『前任者』のせいだ」


「前任者?」


「神が生まれる前、今とは違う別の世界があったそうだ。その世界を創った『前任者』は、世界に積極的に介入した。そのせいで、世界を無に還す羽目になったらしい」


「……」


 別の世界とか前任者とか……急に飛躍し始めたケルビムの話に、俺の理解が追い付かない。だが、ケルビムはお構いなしに話を続けた。


「神が最も恐れているのは、神の手に負えないほど世界の均衡が崩れることだ」


 その言葉に、俺の鼓動がドクンと跳ねる。

 わずかに震えだす手を、ケルビムに悟られないように隠しながら俺は尋ねた。


「もし……均衡が崩れたら?」


 ケルビムは前を見据えたまま答える。


「当然、前任者と同じ選択をするだろうな」


「……」


 俺は黙ったまま(うつむ)くと、ケルビムとは反対にある手を握りしめる。

 今夜、彼が己の任務を放棄してまで、ここへ来た理由がやっと分かった。だが……。



 どれくらいの時間、俺たちの間に会話が消えたのか分からない。

 その重苦しい静寂を打ち破るかのように、広げた膝に両腕を置いて前を見据えていたケルビムがボソリと言う。


「俺さ、天使たちの中で、ミカエル君が一番気に入っているんだ」


「へ?」


 あまりにも唐突なケルビムの言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げた。


 常に神のそばにいる人型のケルビムとは、必要最低限の会話しかしてこなかった。それだけに、俺に対する彼の評価に驚きを隠せない。

 ケルビムはさらに続けた。


「ミカエル君なら、たどり着けると思うんだよな」


「どこに?」


 怪訝(けげん)な顔で尋ねると、ケルビムはベッドから立ち上がり、クルリとこちらを向いて言う。


「神のいる(いただき)に……さ」


「え……」


 俺はあぜんとしてケルビムを見上げた。

 驚いた俺の顔に満足したのか、ケルビムはいたずらっぽく笑う。そして、一歩下がると大きな翼を広げた。


「ケルビム!」


 そう叫ぶ俺を残して、背丈ほどある翼で体を包み込んだケルビムは、あっという間にその場から姿を消してしまった。



 天界(ヘブン)の書庫で会ったときと同様に、唐突に現れ、唐突に去ったケルビム。一人取り残された部屋に、静寂が訪れる。


 ひどい虚脱感が体中に広がった。

 ベッドの端に座っていた俺は、体をそのまま後ろへと倒す。

 ランプの光で複雑な模様が浮き出た岩の天井を見つめながら、頭の中でケルビムとの会話が繰り返された。

 しかし俺はそれを拒絶するように、片手で(くう)を払う。

 俺の手から創り出された風が部屋全体に広がり、壁掛けランプの炎をすべて消し去った。


 暗闇に満たされた部屋で、俺は再び天井を見つめる。

 そこにはあった光と闇で作られた模様は、もう見えることはなかった――


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