00:プロローグ
目を閉じるだけで『あの時』のことを鮮明に思い出せる。忘れたいけれど、忘れられない記憶。それを思い出す度に、いつも考えてしまう。
『なぜ、俺たちなのだろうか?』と。
違う選択がほかにもあったはずだ。だが、俺たちはそれを選んでしまった。
なぜ?
他よりも秀でた何かがあったから?
単に最初に創られたから?
それとも、秘めた『罪』を犯してしまったから?
あの人は、何も答えてはくれなかった。
誰もいない真っ白な世界の中で、あの人の大きくてゴツゴツとした手は、子供のように泣きじゃくる俺の頭をただ優しく撫でるばかりだった。
あの人は、どんな顔をしていたのかな……?
困った顔をしていただろうか?
それとも、悲しそうな顔をしていただろうか?
目を開き、現実世界へ戻るといつも思う。
『俺は、なぜ、ここにいるのだろうか?』と。
そう、あれはヒトが誕生したばかりの頃だった――
空の天井が深い青みを残し、その下にある朱色は、沈みゆくのを拒むかのように広がっていた。この朱色は、太陽が沈む残像ではない。眼下に広がるのは、炎の海原。どこからか聞こえてくる悲鳴やうめき声。強く吹く風に運ばれてくるのは、血と肉と金属の焼ける臭い。
夕闇に似た紺と朱の狭間で、俺は六枚の翼を羽ばたかせ、剣を構えたまま、ゼーゼーと肩で息をしていた。
そんな俺の目の前には、漆黒の長い髪を風になびかせ、息を乱すこともなく彼女が佇んでいた。
彼女の翼は、俺のそれとは違い、優雅に六枚の翼を羽ばたかせている。その姿は、さながら『女神』にも見えた。
「何で……何でなんだよっ!」
「……」
半ば叫ぶように言う俺に、彼女は無表情のまま何も答えない。ただ、彼女の冷たい赤い瞳だけが、まるで決意を示すかのように、俺を射抜いていた。
彼女の視線に晒されているだけなのに、頭の中がまるでしびれているような感覚に陥る。手に握られた剣の柄は、油断すると今にも汗で滑り落ちそうだった。
彼女の後方で、轟音とともに大きな炎の柱が、天に向かって突き上がった。
それを合図にするかのように、彼女が構えていた剣は、迷うことなく猛スピードで俺に向かってくる。
「クソっ」
俺も剣を構え直して、彼女に向かって突進する。
二人の剣がぶつかり合う衝撃を覚悟して、俺は体を強張らせた。しかし、その衝撃は、俺の予想に反したものだった。
ズブッ……
剣先が柔らかい何かに飲み込まれていく感覚が、柄を通して俺の手に伝わった。次の瞬間、俺の顔に血しぶきがかかる。
「なっ……」
気がつくと、彼女の剣は俺の体をかすめて空を突き、俺の剣は彼女の胸を貫いていた。
俺は思わず剣を引き抜く。グラリと彼女の体が傾いた。俺は、彼女の腕に手を伸ばした――が、寸前のところで掴み損ねる。
俺の剣に貫かれた彼女は、二人の真下に広がる炎の海原へ真っ逆さまに崩れ落ちていった。
それを待っていたかのように、暗黒の大穴がポッカリと口を開く。それは、地獄への入り口だった。
「ルシフェぇぇぇル!」
俺は力の限り叫んだ。情けないことに、ただ叫ぶことしかできなかった。
地獄へ飲み込まれる瞬間、彼女――ルシフェルが微笑んだように、俺には見えた。
それが、俺ミカエルがこの世で最も愛した双子の姉ルシフェルを見た最後だった……。