表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
哀れな堕天使  作者: 弘美
9/40

2019.2.18 ストーリーを訂正しました。

 交際は順調だった。付き合いだしてすぐに、彼は私の呼び方を相田さんから絵里ちゃんに変え、何が切っ掛けかよく思い出せない程の自然なタイミングで、更に絵里ちゃんから絵里に変わっていった。

 休みの日が合わないことが多かったので、二人でどこかに出掛けるということはなく、(もっぱ)ら河村のマンションか、私のアパートで過ごすことが多かった。

 例えば自分が休みの時などは、休みの前日の仕事の後に彼と待ち合わせて食事をし、DVDレンタル店で映画やテレビドラマのDVDを借りて彼のマンションに行き、その日はそのままそこに泊まる。そして翌朝彼を仕事に送り出し、夜まで一人でDVDを観るなどして彼の帰りを待ち、彼が帰宅すると一緒に外に出て二人で食事をして、私のアパートまで送ってもらうという、肩肘の張らない休日を過ごしていた。このことを紗英に言うと、

「せっかく付き合ってるのにつまんないわねぇ」

 と、電話の向こうで呆れていたものだが、私はこれはこれで結構満足していた。そんなことをしていると交際して数週間程過ぎた頃、私は河村から彼のマンションの合鍵を渡される。

「昼間一人でずっとここにいるのも退屈でしょ?」

 と言い、渡された鍵には可愛い熊のキャラクターのキーホルダーが付いていた。この熊のキーホルダーは、私の心を大いにくすぐった。河村と熊のアンバランスさから新たな彼の一面が垣間見えたような気がして、その時は心が躍り、又、心温まる思いをしたものだ。それ以外でもあらゆる新しい一面を発見するたびに、私は心をくすぐられるような妙に嬉しい気持ちになり、彼と一緒にいるのは楽しかった。

 河村のことを知れば知るほど、彼は完璧だった。いや、完璧はさすがに言い過ぎだろうか。実のところ気になる箇所はあるのだが、私にとってそれらは充分に目を(つぶ)れる範疇(はんちゅう)だったのだ。

 まず一つは、彼は相変わらず私を食事に連れて行ってくれるが、しばらくすると、徐々に最初の頃のような店には行かなくなったことだ。

「俺、本当はこういう店も結構行くんだよね」

 と、ある日の夜、食事をした帰りに安さと早さを売りにしている定食屋を目の前にして彼が突如呟いたのを聞き、それなら次は行きましょうと提案したのは自分だ。私としてはこれが当然の会話の成り行きだと思うし、さすがに彼の意図を無視する程、私は鈍感な女でも神経の図太い女でもない。だが、これを皮切りに、連れて行かれる店の種類が変わっていったのだ。代わりに行くようになったのは、今では全国チェーンのファミレスや家族連れで賑わう焼き肉店、近場で美味しいと評判のラーメン屋くらいのものである。

 ここまで並べ立てておきながら嘘だと思われるかもしれないが、私にはそれほど不満は無い。たしかに胸に引っ掛かるものはあるのだが、むしろ、この方が自分の肌に馴染んでいて居心地が良い。それにこの変化は、それだけ自分に気を許してくれているということなのだと、私はこれを良い方に捉えた。

 そしてもう一つ。合コンの時にいたあの関西弁の男と河村は大学時代からの付き合いで、関西弁の男は丸谷(まるたに)というらしい。

 同じ関西の有名私大を卒業し、丸谷だけ一時大阪で就職したのだが、二年でそこを辞めて、わざわざ河村を追いかけて来たのだという。

 何故、今まで京都生まれの河村と関西弁の丸谷が私の中で一つも結び付かなかったのか不思議なくらいだが、よく考えてみると、河村は綺麗な標準語を話す為気が付かなかったのだろう。

「あいつさ、標準語を話す気なんて、これっぽっちも無いんだって。変な奴でしょ?」

 と、彼は丸谷のことを屈託の無い笑みを浮かべて軽く野次る。仕事でもそうなのかと訊くと、

「中古車販売の営業をやってるらしいんだけど、一応標準語に寄せた喋り方はするみたいだよ。でも、(なま)りはどうしても抜けないんだって」

 と、彼は言う。あのよく喋る丸谷なら営業トークはきっとお手のものなのだろうと、私は妙に納得したものだ。多少の関西弁混じりも、却って親しみを感じさせるのかもしれない。

 年が明けてからは、河村と丸谷は二人でよく飲みに行っているようだ。私と河村が付き合い始めて最初のうちは飲みに行く頻度は減っていたみたいだが、交際が落ち着いてきた頃から、彼らの休みの日が合えば、何かしら二人でつるんでいるようだ。こういうこともあり、河村が休みの日の夜なのに、自分の仕事終わりに会えないことがあるのが、少々味気無い気持ちになることもあったのだった。

 一度、休日に丸谷と一体何をしているのか尋ねたことがあるのだが、「別にこれといって何も」と言うだけで、結局それ以上はわからなかった。だが、河村と丸谷の間には、女の私が入り込めないような何か深い繋がりがあるのだろうと、これも、気にする程のことではないと、私はあえて自分の中で頭の隅に追いやった。

 だが、後でわかるのだが、これら二つは、只自分の都合の良いように解釈してただけだった。ひょっとしたらと思った瞬間はたくさんあったはずなのに、私は自分に都合の良い解釈をすることで、無理矢理そこから目を背けていたのだ。

 そして季節が移り、世間が夏の到来を告げ始めた頃、それは起こった。




「今日は残業だから。よろしく頼むよ」

 店長から残業を言い渡された。明日発売の期間限定和菓子の配送が(とどこお)り、予定よりもずっと遅れて商品が届けられた。届けられた時には、すでに閉店から一時間半程過ぎていた。

 何人かで手早く全ての検品を済ませ、明日に(そな)える。更に、団扇(うちわ)(すだれ)などの雑貨で店内を飾り付け、夏らしい清涼感を演出した。中々の出来映えに満足し、全ての作業が終わった時には、時計は夜十一時を回るところだった。皆で「お疲れ様」とお互いに(ねぎら)い合いながら店の裏口から出た。

 なんとなく鼻歌でも歌ってしまいそうないい気分で駅の方へ歩く。昼間のジリジリとした熱を夜の空気が飲み込み、華やぐ夏の夜の匂いが辺り一面に(ただよ)う。私はそれを胸一杯に吸い込んだ。河村は今日は休みで、丸谷と何処かに行くと言っていたが、この時間ならさすがにもう家にいるだろう。後でちょっと電話してみようかと考えていた矢先、随分と賑やかな様子で、ある飲食店から出て来た男女に、ふと目が留まった。

 スーツ姿の男の方に見覚えがあるような気がして、誰だっただろうかと記憶を辿っていると、不意に男の話し声が耳に入ってきた。

 私は思わず立ち止まり、半ば無意識に側にあった建物の陰に身を隠した。そして、恐る恐る顔だけ出すと、その二人の男女は店の前で立ち話をしている。聞き耳をたてると、男の話し声が再び聞こえてきた。

 あれは丸谷だと私は確信した。話し声は、私の耳の奥底に根強く残っていたあの関西弁だったのだ。今日、彼は河村と何処かへ出掛けたのではなかったのか。私は何度も目を凝らし、耳をすまして記憶を頼りに確かめるのだが、何度確かめても、彼は私と河村が出会った合コンの時にいた、あの関西弁の丸谷だった。

 地面がぐにゃりと歪んだような感覚に足がよろめき、私は側の建物の壁に手をついた。

 どう見ても、仕事帰りにご飯を食べたついでに飲んでましたという風体(ふうてい)の二人は、私が向かおうとしていた駅の方へ楽しそうに話しながら歩き出す。私は混乱する頭を抱え呆然とする中、背中を押されるようにして彼らの後をつけ始めた。




 結局何も収穫は無く、どこをどう歩いたのか、帰宅した頃には既に日付けは変わっていた。

 身体が重く、じっとりと汗ばんでいた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に呷る。喉を通っていく冷たい水が胸の奥に落ちていく度、頭の中もすっきりと明瞭になっていく。そこにはある疑念が浮かんでいた。信じたくない疑念。

 もしかして河村は嘘をついたのだろうか。いや、嘘と決め付けるのはまだ早い。丸谷の都合が悪くなり、予定が変わったのかもしれない。丸谷はスーツ姿だった。急にどうしても仕事が休めなくなり、仕事帰りに女性と食事をして、お酒を飲んで帰るところを、私は偶然目撃したのかもしれない。

 そうなると、河村は一人で休日を満喫しているのだろうか。

 ここまで考えて、私は一切の思考を停止させた。誰に言われたわけでもなく、私の中の何かがそうさせたのだ。まるで、今までついていたテレビの電源を、突然プツンと切るかのように。いつの間にか忍び寄っていた得体の知れないものの正体(しょうたい)を、私は拒絶したかったのだ。

 胸に充満していた気泡がパチパチと少しずつ弾けゆき、次第に(にご)り始める。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ