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哀れな堕天使  作者: 弘美
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 目の前の肉塊をナイフで一口大に切り、フォークで赤い色のソースを(まと)わせて口に運ぶ。おそらくソースは赤ワインのソースだろう。肉汁と共にコクのある甘みが口の中に広がった。

 咀嚼(そしゃく)しながらテーブルに置かれているハガキサイズのメニュー表をちらりと見た。今しがた口にした肉料理の名前が書かれているが、牛肉ということ以外はなんだかよくわからない。

 何のなんだかの何々風というような、想像力をフルに働かせてもピンとこない料理名が小さく印字されている。だが結婚披露宴で出される料理というものは、だいたいこんなものだろう。

 今日の主役は職場の六つ年下の同僚の子だ。新婦の席でにこにこと笑顔を振り()き、友達らしき若い女性達と一緒にカメラに向かってポーズをとっている。そんな新婦の様子を、隣の新郎は優しげな表情を浮かべて見守っている。

 中学時代からの長い付き合いの末の結婚らしい。

 男の将来性なんか関係ない、自分達は好きだから結婚するのだ、とこの披露宴全体がまるで叫んでいるかのようだ。打算や妥協といった言葉が見え隠れするようなものはどこにもない。

 たしかにそれが少しも羨ましくないと言えば嘘になる。だが嫉妬は沸いてこない。嫉妬を通り越して、あえて言うならば敗北感というのだろうか。未成年の頃から付き合いが続いた末の結婚は、それだけで他人にはどこか太刀打ちできないものがある。

 若い女性達が着ているパーティードレスにふと目がいき、自宅アパートのクローゼットの中にあるものを思い出した。

 年齢というものは時々残酷だ。二十四の時に買ったパーティードレスが、二十七の頃には驚く程似合わなくなった。おかげで結局それを着たのは二回だけだ。

 変わらないね。などと言われるが、年齢を選ぶ服を着ると、顔と服がちぐはぐなのが顕著(けんちょ)になる。やはりそれなりに歳はとっている、ということなのだろう。

 今日の自分は年齢に見合ったダークスーツに身を包んでいる。

 三十になった今、私の周りでは高校時代からの友達は皆結婚してしまった。まだ独身を(つらぬ)いているのは、自分ともう一人の大学時代の友達の二人だけだ。

 運ばれてきたデザートのフルーツを()まみながらそんなことを考えているうちに、宴もたけなわになってきたようだ。

 新婦が涙を浮かべて両親への手紙を読み上げる。これまでの経験から、この瞬間がどういうものになるのかなんて(すで)にわかりきっている。それでも会場はしんみりとした空気になり、誰かが鼻をすする音が聞こえだしたりして、他人のことながらやはり落ち着かない気持ちにさせられるものだ。

 新郎の父親が謝辞(しゃじ)を述べ、最後に新郎新婦が退場してお開きとなった。

 自分も出口で新郎新婦に見送られながら会場を出て、同じく招待されてテーブルを丸く囲んでいた職場の人達にも軽く挨拶をする。

 お手洗いで用を済ませた後、帰る為に一人でエレベーターを待っていると、誰かに「相田(あいだ)さん」と声をかけられ私は振り向いた。

 見覚えのない女性だ。同じ披露宴に出席していたのだろう。髪は肩上のショートカットで黒いワンピースを着ており、自分と同じくらいの年齢に見える。

「タテヤマだけど、私のこと覚えてるかしら」

「タテヤマ、さん……?」

「うん。タテヤマトモコ。中学と高校が一緒だったんだけど」

「あっ、館山さん?」

 私が思い出すと、彼女はにっこりと笑った。彼女の目尻に細かい線が入る。その顔が昔の面影と重なった。

「久し振りね! 席次表に相田さんの名前があったからびっくりしちゃった」

「そうね。私、クラス会とか出てないから高校の時以来かしら。すごい懐かしい。あんまり席次表見てなかったから気付かなかったわ」

 本当は見ていたが、たしか彼女の名前は見当たらなかったように思う。

「親族席にいたからね。夫が新郎の従兄(いとこ)なの」

 つまり館山は旧姓で、結婚して今は違う名字に変わったということだ。

 待っていたエレベーターが来て扉が開いたが、それを無視して、私達は高校でのことやお互いの高校卒業後のことを(しゃべ)り続けた。

 彼女とは中学二年と三年の時に同じクラスで、席替え等で席が近くなれば普通に喋る程度の仲だった。同じ高校に進んでからはクラスが別になり、それぞれに友達ができて、顔を合わせてもあまり話さなくなってしまったのだ。

 ただし、それだけなら仕方がないことだし、よくあることだろう。話さなくなってしまったのはもう一つ理由がある。

 館山知子が仲良くなったのは、当時の紗英(さえ)に反感を(いだ)く女子達だったのだ。

「相田さんって、飯森(いいもり)さんと仲が良かったでしょう?」

 紗英のことだ。紗英の話は出来れば今はしたくない。だが、そんな私の気持ちなど彼女には知りようがないことだ。

 心の中で少々身構えながら、うん、と私は(うなず)いた。

「今でも仲良いの?」

 そう訊かれて思わず、うーん、と首を(かし)げる。

「たまに連絡が来て、あとは年賀状でやりとりするくらいかしら。飯森さんはずっと東京だから」

「そうなんだ。――――ねぇ、今だから訊くけど、相田さんてどうして飯森さんと仲良くなったの?」

 彼女は途中から声の調子を変えて、興味深げに尋ねてきた。

「出席番号が、私の次が飯森さんだったの。教室の席もしばらく前と後ろの席だったから、自然と話すようになったのよ」

「あーそっか、なるほどね」

 彼女は納得したように、ふんふん、と頷く。

「どうして?」

「私の友達に飯森さんと同じ中学だった人がいて、飯森さんの話はいろいろ聞いてたから」

 今だから話すけど、と前置きをして彼女は話し始めた。

 要約すると、紗英は中学でもその容貌(ようぼう)から有名な存在だったそうだ。だが、仲良くしていたのは男子と数少ない一部の女子だけで、大体の女子には嫌われていたらしい。彼女の男好きする性分は、中学の頃にも健在だったようだ。

「私は飯森さんと喋ったことはないけど。あの人って外見がずば抜けてたでしょう? でも、なんかこう、自分の外見を鼻にかけてるというか。友達があの人を嫌ってた理由がなんとなくわかる気がして」

「目立つ人だったから。多分、いろいろ言われやすいのよ」

「あの人ってそんなの気にするような人じゃなさそうよね」

「そうね。気が強くてはっきりとものを言う性格の人だけど、……そんなに悪い人じゃないわよ」

 言い終わってから、まるで自分の口を誰かに動かされているみたい。そう思った。




 年が明けて春が近づいた頃、「結婚しました」というハガキが届いた。

 赤いドレスを着て手にはブーケを持ち、モデルのように完璧な笑顔を決めている紗英と、結婚相手と思われる黒いタキシード姿の男の写真がハガキの裏面にプリントされている。中々の男前だ。紗英よりも幾つか年上と聞いていたが、スポーツマンのようにさわやかで若々しい感じだ。

 ハガキの住所から察するに、東京のタワーマンションに住んでいるようだ。東京のタワーマンションがどれ程のものか全く想像がつかないが、きっと目玉が飛び出るような値段に違いない。

 結婚相手の男がどういう素性(すじょう)で何をしている人なのかが気になった。だがそれがわかったとして、おそらく自分がますます(みじ)めな気持ちになるだけだろう。

 私はそんな気持ちを自分の中から追い出すように、ハガキをキャビネットの引き出しの奥にしまった。

 結局自分は三十になった今になっても結婚出来ていない。その予定もない。それなのに、周りの女友達がどんどん結婚していくにつれて、気が付くと私は彼女達の結婚相手の男を心の中で値踏みしては溜め息を吐いたり、哀れんだりするような嫌な女になっていたのだ。

 だからと言って二十代の頃のように、次から次へと合コンに出る気持ちにもなれない。

 正直、自信を失っていた。

 そんな時、私はまたしても懐かしい人に再会したのだった。

「丁度こっちに来る用事があったの。久し振りねぇ!」

 元気に手をひらひらとさせて声をかけてきたのは、以前よりも身体が丸くなった小島正子(こじままさこ)だった。


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