25
実家に着くと母が出迎えてくれた。
「あんた、遅かったじゃない。どこで道草食ってたの」
「ショッピングモールで買い物してから行くって言ったじゃないの」
玄関に洋服と化粧品が入っている大きな紙袋とバッグを置く。
母はそれを興味深そうに覗き込む。
「あらそうだった? まぁとりあえずいいから上がりなさいよ。夏美ももう来てるわよ」
夏美とは私の五歳上の姉だ。
「あぁ、うん。お母さんこれ、うちの店のどら焼き」
「あら、買ってきてくれたの? ありがとう」
母はそう言って、どら焼きが入った袋を持って忙しそうに奥へ引っ込んでいった。
母に正月の挨拶をしそびれたが、まぁいいか。と思い直す。
靴とコートを脱いで居間に入ると、姉夫婦がいた。
「明けましておめでとうございます」
今度こそ、きちんと正月のお決まりの挨拶をする。それに対し、義兄はにこやかに返してくれた。義兄の隣では姉がソファーですっかりくつろいでいる。
「ふふふ。明けましておめでとう。元気だった?」
そう尋ねてきた姉を、私は思わずじっと見る。以前よりも胴の辺りが少しふっくらしたような気がした。
「うん。お姉ちゃん、そのお腹、もしかして」
「うん。今、六ヶ月なの。五月に生まれる予定よ」
つわりが終わって安定期に入り、穏やかに妊婦生活を送っているようだ。
「時々動くのよー」
なんて言いながら、姉は嬉しそうにお腹を撫でて見せる。
「絵里。あんたもそろそろ良い話はないの?」
「良い話って?」
「その話は後にして、仏壇にお参りしなさい」
父の声と共に、開け放たれた隣の和室から父が姿を覗かせた。今日も父の眉間には深いシワが刻まれている。
「あ、お父さん。明けましておめでとうございます」
父は「おぅ」と短く返事する。
言われた通りに、私は和室にある仏壇に線香をあげてお参りをすませた。仏壇には私が持ってきたどら焼きが菓子皿に乗せられて、既にお供えされていた。
「絵里。ちょっとこっち来て手伝ってくれる。夏美は座ってなさい」
今度は母に呼ばれてキッチンへ行き、居間に置かれたテーブルに料理やお皿を運ぶ。今日はすき焼きらしい。
準備を終えて席に着き、父が簡単に乾杯の音頭をとった。もちろん姉はオレンジジュースで、姉以外は皆缶ビールだ。
すき焼き鍋にはたくさんの具材がグツグツとひしめき合っていて、いい匂いがプ~ンと漂っている。めったに口に入らない牛肉に、次々と箸がすすんだ。
甘じょっぱい味のついた熱々の牛肉や春菊、白滝を、とき卵に絡めて食べるのが最高に美味しい。
ビールとの相性も良い。日本酒よりも梅酒の酎ハイよりも、すき焼きにはビールが一番合う。
手元の缶ビールの中身は順調に減っていった。
すき焼きの肉も大方無くなった頃、横にいた姉が私に尋ねた。
「今日は泊まっていかないの?」
「明日予定があるのよ」
そう言い、缶ビールの残りの中身をグイッと一気に飲み干す。
「もしかして、彼氏できた?」
「まぁ、うん」
明日は八木と初詣に行く約束をしていた。
話を聞いていたのか、ここで母が話に加わる。
「なんだ、やっぱりいるんじゃないの。今度うちに連れてきなさいよ」
「付き合い始めたばかりだから、まだ全然そういう感じじゃないのよ」
母は残念そうに「あらそうなの」と言って、鍋に残っている具材に箸を延ばす。
「でもさぁ」
と姉は私の身体に上から下まで視線を往復させながら、しみじみとしたように言った。
「あんなに洒落っ気の無かった絵里がこうも変わるんだから、たいした進歩よねぇ」
これに母は素早く反応する。
「そうそう。去年のお盆の時なんて、お父さんポカーンて顔してあんたを見てたの覚えてる?」
可笑しそうに賛同する母を見て、姉はその時の父の顔を思い出したようにころころと笑った。
「あはは。その時は彼氏いなかったのよね?」
姉にそう訊かれ、私はチラリと父の顔を見た。
父は眉間のシワはそのままに、義兄と世間話をしていてこちらの話は聞いてないようだ。
「あー面倒だから言わなかったけど、あの時は前の彼氏と別れたばかりだったのよ」
もちろん河村のことだ。話すきっかけがつかめなくて、彼と付き合っていたことは家族に話していなかったのだ。
話はそこで途切れ、私は缶ビールをもう一本開けて喉に流し込んだ。
「そう言えば、去年の九月の連休だったかしら。紗英ちゃんに会ったわよ」
母が言った。
「ああ、私も会って一緒に御飯食べたのよ」
「なんか、すっかりキレイなお姉さんになっちゃって。まぁ、元々キレイな子だったけど」
「なんか言ってた?」
「ううん。これから東京に戻るところですって言って、すぐ行っちゃったのよ」
そう言って母は一旦言葉を切り、一転して詰問口調になった。
「あんたはあんたで、いろいろ服とか化粧品とか高そうなの買ってるようだけど、大丈夫なの? ちゃんとやりくりできてるの?」
いきなり問い詰められ、心の中でうんざりする。だが、母の心配症は昔からだ。これくらいのお小言は慣れている。
うるさい。面倒臭い。もう子供じゃないんだから、お金くらい好きに使わせてくれてもいいではないか。
そう心の中で本音を繰り広げるが、もちろん口には出さない。
「大丈夫よ。それに、そんなに高くないし」
「今日も色々買ったのがあそこに置いてあるけど」
と言って、部屋の隅に置いてある大きな紙袋へ視線を送る。ショッピングモールで買い物したものが入っている紙袋だ。
「あぁ、あれは三月にある友達の結婚式に着る服とか買ったのよ」
「あら、友達って誰が結婚するの?」
母の口調がほんの少し和らいだ。
「大学の時の友達。お母さんは多分知らないわ」
「あらそう。まぁそういうことなら仕方ないわね」
母はいかにも不本意そうな顔を作って引き下がる。
私と母の会話を聞いていた姉が、まぁまぁと言うように母を宥めた。
「いいじゃない、お母さん。今の若い子はこんなもんよ。前の絵里がいろいろと無頓着過ぎたのよ」
「それにしたって……もしかしたら絵里は、紗英ちゃんみたくなろうとしてるんじゃないかと、母さん思って――」
「あのね。どーゆう意味」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
聞き捨てならない母の意外な言動に、何故か胸がザワザワした。
「だって……」
「私が紗英ちゃんの真似事してるとでも言いたいの?」
「いや、そんな……」
返答に困って言葉に詰まる母に助け船を出したのは、父だった。
「絵里。母さんはお前にもお前の良さがあるんだから、それを忘れるなと言いたいんだと思うぞ」
いつから父はこちらの話を聞いていたのだろう。だが、今はそんなことはどうでもいい。
「私は別に紗英ちゃんの真似事してるわけじゃないわ。私には私の事情があるの。只それだけ」
そうだ。自分の思い描く将来の為に、そこに向かって努力をした結果が今の自分なのだ。いくら親でもそれを否定していいはずがない。それに、八木のように、そういう私を好きだと言ってくれる男はちゃんといるのだ。
私は気持ちを落ち着かせるように、缶ビールをごくごくと飲み込んだ。だが少し温い。
その場の誰もが声を発しないまま、暫し無言の時間が流れる。
最初に沈黙を破ったのは母だった。
「ごめん。ちょっと言い方が悪かったわ」
母はぽつりと言った。
「キレイになるのが悪いと言いたいわけではないのよ? でも、あんたのその変わりようといい、着てる服とか持ってるバッグとか見て、なんか心配になっちゃったのよ」
「別に誰にも迷惑かけてないじゃない。心配しすぎよ」
すかさず私が言い返すと、母は「そ~お?」と言い、それきり黙ってしまった。




