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哀れな堕天使  作者: 弘美
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 小島正子(こじままさこ)とゆっくり話すことが出来ない今、夜の話し相手に私が真っ先に思い浮かべたのは、やはり紗英(さえ)だった。

 私はだらしなく自分のベッドに寝そべりながら携帯を耳に当てる。数回のコール音を経て、聞き慣れた彼女の応答する声が耳に届いた。

「紗英ちゃん今暇?」

「うん、大丈夫よ。それよりもどうしたの? 絵里(えり)から電話してくるなんて珍しいじゃない」

「そう? たまには電話してみようかなって思ったのよ」

「うふふ。もしかして、新しい彼氏ができた?」

 ほんの少し胸がチクりとする。

「ふっふっふ。残念でしたー」

「なぁんだ。でも、それにしては元気そうね。それとも(から)元気?」

 彼女はたまに鋭いことを言う。私は空元気のつもりは無かったが、電話の向こうの彼女にはそう伝わったようだ。

「ふふふ。空元気に聞こえちゃったかしら。あのね、職場で合コンに誘ってくれる人がいるってこの前会った時に話したの覚えてる?」

「うん。覚えてるわ」

「その人が仕事辞めて実家へ帰っちゃったの。だから、合コンに出ることも無くなっちゃって」

 私は溜め息混じりにそう言うと、すぐに彼女は心得たように反応した。

「あぁ、それでこうして電話してきたのね。合コンでいい(ひと)いなかったの?」

「う~ん。いなかったわけじゃないんだけど、全然上手くいかなくて。合コン無くなったら本当に出会いが無いのよね」

「出会いは合コンだけじゃないわよぉ」

 紗英はのんびりとした口調で言う。

 一方で、彼女も八木(やぎ)と同じことを言ったことに私は辟易(へきえき)した。彼らのような美人やイケメンに言われても少しも心に響かない。

「絵里の職場ではそういう男の人はいないの?」

「うちなんてほぼ女の職場だもの。店長と主任は既婚だから問題外。あるとしたら配送で来るお兄さんぐらいかしら。でもゆっくり喋ってる(ひま)なんか無いし」

「そっかぁ。今まで合コンに行ってた分、急に夜が暇になって寂しいでしょ」

「ここ三、四日は行ってないけど、最近までずっと()()らしに飲みに行ってたわ」

 そういえば八木からの電話はあれ以来無い。また一週間後位に誘ってと言ったが、また誘いは来るだろうか。

「へー。一人で?」

「友達とよ」

「え、もしかして私の知ってる人?」

「ううん。紗英ちゃんは知らないわ」

「ふ~ん。その人は合コン行ったりしないの? その人に合コンに誘ってもらえばいいじゃない」

「どうかしら。彼、あまり合コンに顔を出す人じゃないみたいなのよ」

 一瞬の沈黙の後、紗英の()頓狂(とんきょう)な声が携帯から流れた。

「ん~? 今、彼って言った? 友達って男なのぉ?」

「えっ、あ、うん、そう」

 突然の彼女の反応に、私はしどろもどろになる。

 彼女はてっきり友達は女だと思っていたのだろう。私をよく知る彼女がそう思うのは、たしかに無理もないことだ。

「ちょっと何よ。いつから?」

「えっ、いつからって、合コンで知り合ったから最近よ。話してみたら別に嫌な感じしないし、携帯番号訊かれたから、まぁいいかと思って教えたの」

「ふ~ん。友達ねぇ」

 何やら意味ありげに彼女は(つぶや)く。

「私、男友達って初めてだから、なんか色々と新鮮なのよね」

「うふふ。合コンが上手くいかないとか言ってたくせに、全然そんなことないじゃないのぉ」

「あのねぇ。だから、彼は友達だってば」

「絵里は友達のつもりでも彼の方はどうかしら」

 紗英の言葉にぎくりとする。同時に八木から言われたことを思い出す。

「ど、どうって?」

「だって、皆、合コンに友達作りに来てると思う?」

 私は言葉に()まった。

 電話の向こうの彼女はそんな私を見透かしているかのように、すぐさま言葉を続けた。

「そんなわけ無いでしょう? 合コンは出会いを求める男と女が集まる所なんだから。多分、私よりもたくさん合コンに出てる絵里の方がずっとそんなことわかってると思ってたけど」

「で、でも……」

「絵里を狙ってるから携帯番号訊いてきたんでしょ。友達だと思ってるのは絵里の方だけで、男の方は違うわよ」

 紗英は自信たっぷりに言い切った。

 彼女の言うことはいちいち筋が通っていて、尚且つ、自分にも心当たりがあるだけに、私は渋々認めるしかなかった。

「そんなにほぼ毎日二人で飲んでて本当に何も無かったの?」

 再びぎくりとさせられる。

 あの日八木から言われたことは、何度思い出しても自分を有頂天(うちょうてん)にさせる。だが、好みのタイプと言われただけではおそらく何かあったうちには入らないだろう。それに、自分にそんな価値があるのかと言われれば(はなは)だ疑問が残る。人の好みというものはわからないものだ。

「何も無いわよ」

「本当ぉ? でもさぁ、携帯番号教えて、二人きりで飲みに行ってるなら、絵里だって多少なりとも好意はあるんじゃないの?」

「え……」

 もちろん友達としての好意はある。だが、紗英が言う好意の意味は別のものだ。携帯番号を教えるだけならまだしも、男と二人きりで飲みに行くのは、よくよく考えてみると彼女のように思われても当然のことなのかもしれない。

「ねぇ、彼ってどんな人?」

「え、えーと、油絵を描いてる人なの。その為にフランス留学までしてたんだって。でも、芸術家っぽい雰囲気は全然無くて、普通に話しやすい感じかな」

「へー。それで、絵里はどうなの?」

「どうって?」

「絵里的には、その人は有り? それとも無し?」

「え……えぇっ?」

「それくらいはわかるでしょう?」

 少し前の自分なら、迷わず無しと答えただろう。自分の中の選択肢には無いのだから当然だ。だが、何故か今その言葉は(のど)の奥に詰まっているかのようにすんなりと出てこない。前と今とでは気持ちは微妙に変わっていた。

 紗英にせっつかれ、どう答えようかと悩んだ挙げ句、出てきた答えは実にあいまいなものだった。

「……有りではない」

 そう言いながら、それならやはり無しなのだろうかと心の中で自分に問い掛けるが、先にその答えを出したのは紗英だった。

「うふふ。有りではないということは、無しでもないのね」

 彼女は「ではない」と「でもない」の部分を強調して言った。

「ち、ちょっと、なんでそうなるのよ」

「だって、無しなら無しって言うはずでしょ。有りではないっていう言い方をするということは、無しでもないのよ」

 彼女の論理は短絡的(たんらくてき)でめちゃくちゃなように思えたが、幾つかの障害にぶつかりながらも、それはストンと私の心に落ちた。

「そもそも、私の今までの経験上、男と女の間に友情は成立しないのよ」

 紗英はまたもや力強く言い切った。

「そんなことないと思うけど……」

「そんなことあるのよ、これが。やっぱり女同士とは色々と違うわよ」

「どの辺が?」

「ん~例えば、二人で飲みに行って、友達が帰りの終電を逃したとしたらどうする? 女友達なら自分の家に泊めたり出来るけど、男ならしないでしょ?」

「うん。しないわ」

「だよね。じゃあ、男なら泊めないのは何故?」

「そんなの男だからに決まってるわ」

 当たり前だ。彼女の言いたいことが今一つ(つか)めない。いくら友達だからといって、付き合ってもいない男を自分の家に泊めることなど有り得ない。男だってそれくらいの事情は言わなくてもわかって当然なのではないか。

「そう! そこなのよ。いい? 絵里」

 益々言葉に力が入る紗英の声に私はたじたじとなる。

「な、何よ」

「今のは例え話だけど、世の中の男と女ってね、男と女である限り、いつでもどこでも男と女の仲になる可能性があると、私は思うわ。例えお互いに友達だと思っていたとしても、男ってね、何かのきっかけで急に豹変(ひょうへん)しちゃうものなのよ」





 ようやく新しい化粧水を手に入れ、たっぷりと顔に馴染ませた。化粧水が肌の奥の隅々まで浸透していく。

 不足していた水分が補われる時のこの感触は、なんて気持ちが良いのだろう。水分を含んだ肌は柔らかに整えられ、心の中まで瑞々しく爽やかになれそうな心地だ。

 手に少し残っている化粧水を、首やデコルテの辺りまで軽く擦り付ける。美容液と夜用クリームを顔に馴染ませ、私は鏡に映る自分をじっと眺めた。

 化粧もしていないこんな素顔は、人前では絶対に晒したくないという思いにかられる。河村(かわむら)と出会ったばかりの頃には無かった感情だ。

 あの頃の自分は、今と比べて身なりに無頓着だった。素顔に近い薄化粧だったせいか、素顔を晒すことにあまり抵抗が無かったように思う。

 それが今では、一つ一つ防具を身に付けるように化粧が上達していくにつれて、それらを人前で簡単に取り去ることが出来なくなってしまった。

 私は一つ溜め息をつくと、化粧品と鏡を片付けて携帯を手に取る。

 自分は八木の目にはどう映っているだろうか。最後に一緒に飲んだ日の夜、照れくささも相まってつい冷たくあしらってしまったが、彼はまだ私に変わらず目を向けてくれるだろうか。

 一週間経ったが、彼からの着信はまだ来ない。


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