17
季節はすっかり秋が深まり、冬を予感させる雰囲気が漂い初めていた。
合コンに参加するも、中々自分が望む結果にならないことに、さすがに私は意気消沈しかけていた。それに追い討ちをかけるように、小島正子が急に仕事を辞めていった。
母親が身体を悪くしたとかで、急遽一週間程休暇をとって遠い実家へ帰っていたようだが、そのまま有給休暇を消化して退職となることが決まったらしい。
合コンにはほとんど彼女の誘いで参加していたし、私には自分で合コンをセッティング出来る程の能力も伝手も無い。彼女がいなくなるということは、即ち新しい男との出会いも無くなることを意味していた。
私は憑き物が取れたように、パッタリと合コンに参加することが無くなった。その分、八木と会う回数が増えていき、私は彼と二人でよく飲みに行った。夜一人で家にいるのが、なんとなく嫌だったからだ。
以前、河村と付き合う前に紗英から言われた忠告を思い出し、知り合ったばかりの男と二人で飲みに行くのは、最初は少々躊躇いがあった。だが、合コンのお陰でアルコールに耐性がついてきていたのもあり、八木と飲みに行く回数を経るごとにそんなことは気にならなくなっていった。
彼もまた、そういう気負わずに行ける気安い雰囲気を持っていたのだった。
飲み代は当然折半だ。友達なのだからと、私は一つも疑問に思わなかった。
ある日の夜。私は居酒屋のカウンター席に八木と二人で並んで座り、飲みながら恋人が出来ないことへの愚痴を吐いていた。
「私ってそんなにダメなのかしら」
私はもう何度目になるかわからない愚痴をこぼす。
「そんなことないと思うよ」
彼はそれを常套句で少しも面倒がらずに慰めてくれる。
「合コンに行くことも、しばらく無いと思うの。ねぇ、どうしたらいいと思う?」
「そんなに焦ることないんじゃない?もっと気楽に考えれば?」
私は他愛なく言う彼を横目でチラリと見て溜め息をついた。
気楽に考えれば恋人は出来るとでも言うつもりだろうか。女にとって、二十代でいい男と結婚できるかどうかがその後の人生の分かれ目だというのに、今頑張らないでどうしろというのだ。
「八木さんは最近どうなの。合コンはどうしたの」
「俺はいいんだよ。合コンなら行きたい時に行くから」
「彼女、欲しいんじゃないの?」
「そりゃまぁね。でも合コンだけが出会いの場じゃないだろ?」
「そうだけど」
透明なカクテル入りのグラスの中の氷がカランと音をたてる。
「俺さ、合コンに出て正直引いちゃったんだよね。男を喰いそうな女性のパワーに」
「ふふふ。何それ」
そう言われれば、八木と初めて知り合った合コンで、彼はたしかに女性陣に囲まれていた。
「あの必死な感じが怖ささえ感じて、俺、ああいうのはどうもダメなんだよ」
「それはきっと八木さんだからだと思うわ」
「俺だから?」
「うん。八木さんイケメンだし」
「そんなことないよ」
彼は照れくさそうに笑う。
だが、少し垂れ気味の目に通った鼻筋、更に薄い唇がバランス良く配置されている彼の容貌は、充分イケメンの部類に入る。長い手足をしたすらりとした体格も、人目を引くものがある。
彼は謙遜するが、今まで数多くの女の熱い視線を浴びてきたに違いない。たしかに、そんな彼ならそこまで合コンに頼る必要は無いのだろう。
「男の人だって、同じよ。男は綺麗な女性だったり可愛い女性に群がるでしょう?」
「あぁ……それを言われちゃうとたしかに返す言葉も無いわ」
「ふふふ。でもちょっと待って。そしたら、もしかしたら私も今まで出てた合コンで引かれてたのかしら。そうだとしたらショックだわ」
「あはは。いやいやいや、でもさ」
この辺りからなんとなく雲行きが変わったような気がする。
「俺、相田さんならいいよ」
「いいって、何が?」
「相田さんって、俺の好みのタイプなんだよね」
虚を突かれて彼を凝視する。
「何を突然」
「わかんなかった?」
じっと見詰められ、目を逸らす。ドキドキと胸が高鳴る。
「可愛い」とはまた違い、「俺の好みのタイプ」という言葉の矢は、確実に二人の間の空気を変えるに充分な威力があった。
自分の人生には縁遠い言葉だと思っていただけに、思いの外それは私に驚きと胸の高鳴りを与えたのだった。
彼はクスリと笑う。
「合コンした時、相田さんは俺狙いじゃないのはわかってたけど、携帯の番号教えてくれたから、最初はひょっとしたらいけるのかと思ってたんだよね。どうも違うみたいだって後になってからわかったけど」
数多くの女の熱い視線を浴びてきたであろう男が、今自分の横にいて、自分に好意を示す甘い言葉を吐いている。
この状況に私はまた驚き、狼狽する。
イケメンに見詰められ、思わず十代の頃に戻ったかのようなトキメキが胸を過ったが、彼は自分の中では男友達であり、既に私の選択肢から外れている。彼は私が求めているような男ではないのだ。
「じゃあ、そういう私とこうして会うよりも、出会いを求めて合コンに出てた方がいいんじゃないの」
「あはは。そんな冷たいこと言わないでよ。参ったなー」
彼は苦笑しながらカクテルの入ったグラスを傾けた。
途中まで八木に送ってもらい、私はアパートに帰宅した。
電気を点けると、ひんやりとした1DKの部屋は足の踏み場が無いという程ではないが、空のペットボトルや雑誌で雑然としている。外に出てばかりでろくに部屋の掃除が出来ていない。夜帰宅してからも、部屋を片付ける気力が湧かなかった。
私はすぐに入浴を済ませ暖かい部屋着に着替えると、テーブルの前に座る。正面に鏡を置き、メイクボックスから化粧品を取り出してテーブルの上に並べた。
化粧水と美容液が二つに夜用クリーム。私は自分の年齢にしては上質なものを使っている。お盆に実家に一泊で帰省した際に、義兄と来ていた姉からそう指摘されたのだ。カフェで紗英からも指摘を受けたように、私は洋服だけではなく化粧品にも拘るようになっていた。
おかげで私の肌はつるりとした瑞々しい張りを保っているが、上質なものを使っているということは、値段もそれなりのものということだ。
目の前に並んでいる化粧品四つだけで、以前使っていたものよりも五倍近い値段だ。もちろんメイク品も有名なブランドで揃えている。
正直、自分の月給では馬鹿にならない。だが、今は少しでも自分を磨きあげる為に、これくらいの自己投資は当たり前に思えた。
私は並べた化粧品を、時間をかけて丁寧に肌に馴染ませていく。
その中の一つ、化粧水が無くなりかけていた。財布の中のお金と次の給料日までの日数を考えると、ギリギリだ。
私は化粧品をメイクボックスにしまうと、引き出しから預金通帳を取り出し、パラパラと中を捲る。ここ数ヶ月の間はまともに貯金が出来ていない。
だが、化粧水をもう少し安いものにするという選択は私には無かったのだった。
「今日はどこで飲もうか」
まるで私が仕事を終える時間を見計らったかのように、八木から携帯に着信が入った。
「あの、ごめんなさい。今、金銭的にきつくて。給料日まで飲みに行くのを控えておきたいの」
「あーそっか、なるほど」
「うん。だから、また一週間後くらいに誘って」
「あぁ、わかった」
「ごめんね」
八木は「大丈夫だよ」と言い、電話を切った。
私はしばらく夜を一人で家で過ごすことにした。つまり、居酒屋で使うお金を我慢することにしたのだ。
帰宅して夕飯を簡単に済ませる。テレビや雑誌を見たりした後入浴をして布団の中に入る。
一人でいる時は、あまり考え事をせずに過ごすのが今の自分には必要なことなのだと、私は無意識に学んでいた。
それでも何かの考え事の渦に巻き込まれそうになった時は、とにかく布団の中に入って眠りが訪れるのをひたすら待つ。
仕事の疲れが眠りを導き、大抵はこれでなんとかなったのだった。
だがある日の夜、私はつい考え事の渦に身を委ねて、小島正子のことを思い出していた。
彼女が退職してから、メールのやりとりを何度かした。母親の看病に追われているようで、メールは途切れがちだった。
私からは軽く近況を報告した後、おそらく看病の合間を縫って返信してくれているだろう彼女を気遣い、それ以来自分からメールをするのを控えている。
もし彼女に八木のことを話したら、彼女は一体なんて言うだろう。