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夏空に咲く一輪の  作者: バムガーナー
大引麻奈美
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レブロン・ジェームズって呼んでいいか

 朝、教室に入った瞬間に、俺はすべてを悟った。ああ、今日もカーテンはやってこないのだろうな、と。二人分の机だけが、朝の光に晒されていた。


 いっそのこと、草野を使って、大谷の心を思う存分いたぶってやろうか。あいつが涙ながらに(流してくれないだろうが)辛辣な言葉を吐くと、奴も堪らなくなって、少しは反省するだろうか。


 なんて考えてしまうのは、きっと、太陽の日差しが俺を邪悪にさせているからだ。


 こんな時こそ、俺は先輩に会いたい。今日はまだ活動の日ではないし、テストまで一週間を切っており、放課後はまっすぐ家に帰ってテスト勉強に時間を充てないといけない段階にも入っているけれど、俺は先輩に会いたかった。今後の活動の段取りだって、まだまだ固まってはいないから、話し合わないといけないじゃないか。


 そうやって俺は自分を正当化させる。別に、浮ついた気持ちじゃない。確固たる目的があるのだ……と。


 一限目の現代文は、教室で行われる。幸いまだ太陽は昇りきっておらず、日差しも知れたものだとというのに、草野はバスケットボールの選手が使うアームスリーブよろしく腕を覆う布を着用する警戒ぶりだった。


「レブロン・ジェームズって呼んでいいか」


「意味わかんないんだけど」


 日差しを浴びるのがよっぽどストレスなのか、授業中にこっそりと話しかけても、草野の反応はつれなかった。この分だと、俺がけしかけなくても大谷が泣きを見る日が来るかもしれない。


 窓の外を見る。眼下にはグラウンドが広がっていて、体操服の生徒が散り散りになってサッカーを始めている姿が見えた。


 そういえば、昨日の別れ際に、先輩が『明日は朝から体育なんだ』と嬉しそうに話していたのを思い出す。健康的なイメージの先輩らしく、体を動かすのは好きなのだ。


 授業をそっちのけで、先輩の姿を探す。しかし、どうもそれらしき姿が見当たらない。あのロングヘアーは、この距離からでも見逃すはずがないのだ。


 まさか違うクラスなのか、と思った。先輩は朝からと言っただけで、一限から、とは口にしていなかった。


 しかし、昨日先輩を呼んでくれたあのウェーブがかった髪の人の姿は確認できる。一人、薄茶色の髪の毛をしているからだ。となると、先輩だってどこかにいるはずなのだけれど。


 授業時間の五十分をかけて探しても、結局見つけられなかった。消化不良の気分と、漠然とした不安感が混じって、俺はいてもたってもいられなくなった。


「レイ、ジュース買いに行こうぜ。慶次様が今日も奢ってくれるってさ」


「自分でもこええよ。昨日はエヴァで十五連もしちまってさ、っておい、一緒に行かねえのかよ」


 嘉樹と慶次が声を掛けてくれていたのに気づいた時、俺はもう自分の席を立って教室の出口を目指していた。


「悪い、また後で奢ってくれ」


 我ながら勝手なことを言っていると思う。けれど今は、何より確かめたいことがあった。後ろから、チャンスは今だけだぞ、と慶次が通販番組の司会者さながらに煽ってくるけれど、それを無視して俺はほとんど駆け足で教室から飛び出した。


 先輩は、学校に来ていないんじゃないか。


 新校舎を目指しながら、考える。もしくは、登校したものの体調が悪くなってしまい保健室にいるのか。体育の授業に参加していないというのは、その二つくらいしか可能性が思い浮かばない。どちらにせよ、ゆゆしき事態だ。


 過労で倒れてしまったのか。それとも、何か事件や事故に巻き込まれてしまっているのか……。考えれば考えるほど、悪いイメージが湧き出てくる。くそ、こんな時こそ先輩が携帯を持っていたら、スムーズに確認できるのに!


 新校舎に移り、先輩のクラスがある階に到着したころには、すでにうっすらと汗ばんでいた。どうにか息を整えて、廊下を進む。しかし、なぜか、廊下には男の集団が出来上がっていた。中でも先輩のいるA組の教室の前に、いっそう数多くの男たちがたむろしていた。何事かと思ったけれど、おそらく体育の後だから、女子の着換え待ちをしているんだろう。うちの学校では、体育の授業は二クラス合同で行われ、グラウンドを使うときは更衣室ではなく、教室で体操服に着替えるのだ。A組の教室が、女子更衣室に、B組の教室が男子更衣室にそれぞれ代わるといった具合だ。


 先輩は、教室にいるのだろうか。まだ着替えは終わっていないみたいだけれど。


「誰かに用か」


 肩を誰かに叩かれる。振り返ると、ノンフレームの眼鏡をした男の人がいた。背丈は俺よりも少し高い。涼しげな目元が、射るように俺を見据えていた。


「見ない顔だから、誰かを訪ねてきたのだと思ったんだが」


「ちょっと、A組の人に」


「俺もA組だ」


 何かあるなら、まず俺を通してもらおうか、と全身でこちらを威嚇するようだった。


「ああ、悪い。前に、いきなり教室に入ってきて、騒がしくした後輩がいたものだからな」


 俺が何も答えないからか、検問を行う警察官のように事情を説明してきた。上がっていた眉が下ろされ、口元が弛んだのを見てから初めて、この人がずっと気を張っていたことに気付いた。


「ちょっと、A組の和久井先輩に用が」


「和久井?」


 やっと話しやすくなる、と思った矢先に、また眉が吊り上がった。先ほどよりも、憤りがにじみ出た険しい顔つきになる。


「和久井とは、和久井夏芽のことか」


「はい」


「一体何の用だ」


 何なんだ。俺はただ、先輩の安否を確かめたいだけだというのに、どうして知らない上級生の男から、敵意に近い感情を向けられないといけないのだろう。年上が相手とはいえ、さすがに気分が悪くなる。


「そもそも、和久井はな」


 男の人が何かを告げようとしたとき、後ろから教室の引き戸がうるさく開かれる音がした。どうやら替えが終わったらしい。何人かの女の人が、早口でしゃべりながら携帯を片手に出てきて、そのまま俺たちの横を通り過ぎた。その際に鼻をついた、制汗スプレーか何かの甘ったるいにおいに、俺と男の人は同時に眉をひそめた。


「あら、昨日の後輩クンじゃない」


 男の人の口が止まっている間に、俺は再び肩を叩かれた。その人は俺の前に立ち、男の人と並ぶ。昨日先輩を呼んでくれた、ウェーブがかった茶髪の人だ。


「また夏芽に用?」


「はい」


「国見、この子は夏芽の知り合いよ。だから、あんたは教室に戻りなさい」


「……そうか」


 最後まで不服そうな顔を崩さず、男の人は教室に入っていった。


「すみません」


 助けてもらって、と言うのも変だよな、と思い、そこからが続かない。


「ああ、いいのいいの。あいつ、最近ピリピリしてるからねえ」


 おかしそうに女の人が言い、それから「残念だけど」と続けた。


「夏芽、今日は来てないわよ」


「え、そうなんですか」


 なんてこった。せっかく奢りの機会をふいにして、見知らぬ男に威圧されながらもここまでこぎつけたというのに。俺は脱力しその場に座り込みそうになる。


「わざわざあいつに絡まれてまでして来てくれたのに、悪いわね」


 悪いとは微塵も思っていないだろうことは、その清々しいまでの笑顔を見ればわかった。


「先輩は、どうして休んでるんですか」


「先輩? ああ、夏芽のこと」


 何かを考えるように女の人は俯き、実はね、と女の人は神妙な顔つきになる。そして、瞳を潤ませ、何度か言葉に詰まりながらも、まっすぐに俺を見上げた。


「実は、夏芽ね、今、急性上気道炎を発症してるの」


「急性、上気道炎ですか」


 聞き慣れない、おそらくは病名であろうその名称に、俺は一気に体が寒くなるような不安感を覚えた。どんな病気なんだ。意識はあるのか。命に危険はないのか。昨日はあんなに元気だったのに、どうして……。


「もし放課後、時間があったら、一緒に見舞いに来てくれない?」


 ついに、その潤んだ瞳から、一筋の涙が流れた。事態は、もしかしたら俺が考えているよりもずっと悪い方に進んでいるのかもしれない。


 女の人は、放課後に正門前で待ってて、と残し、教室とは逆側に早足で歩いて行ってしまった。一人残された俺は、その背中に呼びかけることも出来ず、自分でも意識しないうちに、唇を強く噛んでいた。

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