俺たちは互いの選んだ商品を酷評し合った
授業が始まってから気付いたのだけれど、カーテンが取り除かれたことで日よけをなくしたのは、縦に七つ並んでいる机の内、俺と、一つ後ろに座る草野の机だけだった。草野はよほど日に焼けるのが嫌なのか、日焼け止めを腕や顔に刷り込んでいた。俺も勧められたけれど、実はちょっとくらい日焼けをした方が男らしくなるんじゃないかと考えていたため、やんわり断った。どうせ状況は代えられないのだ。有効活用するしかない。
トントン、と背中を軽く叩かれる。首だけ振り返ると、草野の人差し指と中指が伸びていて、その間に器用に折られた白い紙が挟まれていた。それを受け取り、日差しを存分に浴びている机の上で開く。いつものことながら、この女子特有の紙の折り方には感心してしまう。どうしてわざわざ、折り紙の手裏剣を畳んだような形にする必要があるのだろう。四つ折りにするだけでは不服なのだろうか。
紙には、日差しとこの先に控える期末テストの愚痴が一緒くたに書かれていた。
そんなことを言われたら、余計に暑さを意識してしまうだろうが。
空は、まったく曇りそうにない。額の当たりに汗を感じる。暑い。開襟シャツの袖を肩まで捲り上げる。
もしかしたら、これは吉兆なのかもしれない。古典の時間、日光浴をしながら俺はそう思い至る。正確には、無理やり思い込ませる。カーテンが消えたことで、俺は一足先に夏を感じている。居眠りだってこの状態ではまずしないだろうし、日に焼けることにより男に磨きをかけることが出来る。そして何より、あの人のことが頭によぎった。
――そうだ。今日あたり、様子を見に行ってみようか。
カーテンが消えたことで、どこかへと繋がる扉が開いた。そういうことにすればいい。
鼻筋を伝う汗を感じながら、俺はポジティブシンキングを心掛けた。
それにしても、五十分、という時間をここまで苦痛に感じたのは、初めてかもしれない。今日が五限までの日で助かった。もう五十分も日を浴びさせられると、干物になっちまいそうだ。最後のショートホームルームが終わるのを耐え切れず、俺は自販機に行かないかと草野を誘うと、待ってましたと言わんばかりに頷いた。少し早めの放課後を迎えた俺たちを止める者は誰もいなかった。
「やばいわね、あの席」
「明日からどうするんだろうな」
「あたし、ヤだよ。あそこでテスト受けるの」
「大谷の奴に新しいのを持ってこさせるか」
草野はよほど疲弊しているのか、笑って何も言わず、手でパタパタと顔を仰ぎながら眉を下げた。自販機までの道のりを、なるべく窓から差し込む陽に当たらないよう進む。
彼女とこうして自販機までを共にするのも、もう何度目だろう。草野は、俺にとって気楽に話したり一緒に行動することの出来る、唯一と言っていい異性だった。
草野とは、二年になってクラスメートになった。学校行事や授業で男女のグループを作る時に、何度も一緒になってよく話すようになり、気が付けば休み時間や放課後を一緒に過ごす友達の一人になっていた。
ボーイッシュなショートカットに、尻上がりな眉と力強い光をたたえた瞳が印象に残るせいで中性的なイメージが強いけれど、肌の白さや、意外なほどの足の細さは紛れもない女性のものだった。言葉遣い一つとってもあまり女の子らしいとは言えないし、男にも物怖じしないかと思えば、同年代の女子の平均より自分の胸が大きいことを気にしていたり、授業中も平気で居眠りをするかと思えば、字は丸っこくて可愛らしい。そんなアンバランスな魅力に惹かれる男は決して少なくなかった。
草野自身は男女問わず友達が多く、俺たちと一緒にカラオケで熱唱することもあれば、猫カフェで女子会をすることもある。父親が警察官のため、あまり道を外れたことは出来ないらしく、あくまで健全に遊んだりサボったりしている、と彼女は何度か口にしていた。
「お前、こんな時によくそんなの飲めるな」
「樋渡こそ、ゲロ吐きそうなの選んでるじゃない」
自販機にて、俺たちは互いの選んだ商品を酷評し合った。草野はザクロ酢のジュースで、俺は濃厚な甘さが気に入っている乳酸菌飲料だった。
散々悪態をつきながら俺たちは教室に戻った。ショートホームルームはちょうど終わったところらしく、ぞろぞろと出て来るクラスメートの波をやり過ごして俺たちが教室内に入ると、担任の福良と俺たちを地獄に追いやった張本人の大谷が、俺と草野の席の周りに集まっていた。その後ろでは、野次馬さながらに慶次と嘉樹が様子を見守っている。
「おお、樋渡、草野、大丈夫か。気分とか、悪くなってないか」
痩せぎすの福良が俺たちを認めると早速体調を確認してくる。その体型を見ているとこっちの方が心配になりますよ、とは言えない。
「俺たちは別に」
「そうかあ、よかった。この時期は熱中症とかが怖いからなあ」
まるで今にも灼熱が自分の身に降りかかるんじゃないかと恐れるように、福良は肩をすくめた。
「あの、マジでごめんな」
福良の後ろで俯いていた大谷が、草野の方を向いておずおずと口を開いた。俺の方には目もくれない。まさかこいつは、草野一人が被害者だと思っていやがるのだろうか。
「草野、女の子なのに紫外線浴びちゃって、辛いよな。マジで反省してるよ。これからは、ソースの飛距離を競ったりしないから、さ」
何なんだソースの飛距離って。そんなくだらない理由で俺たちは苦しんでいるというのか。あと、俺の方にも謝ったらどうなんだ。ああ、福良がいなかったら、この場で本当に大谷の奴にすごんでしまいそうだ。後ろの方で慶次たちが、いつ俺が爆発するのかと笑いを堪えながらこっちを見ていた。
「あたしはいいから、樋渡の方にも謝んなさいよ」
草野が眉間に厳しい皺を寄せて俺の方を顎でしゃくった。
「ひ、樋渡も、ごめんな」
俺にはそれだけだった。結局、大谷は福良にもういいから、と言われ逃げるように退席した。草野が強く言ったおかげか、少しは溜飲が下がった気がした。
「しかし、明日から困ったなあ。二人とも、こんな席じゃあ授業もままならんだろう」
「予備のカーテン、いつごろ入ってくるんですか」
俺が訊くと、福良は「あー、そうだなあ」と歯切れの悪い返事をする。
「この週末にクリーニングに出してたのが戻ってくるはずなんだがなあ。ちょっと俺にはわからんな」
それは、明日もこのままでよろしく頼むぞ、という無情な宣告だった。