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夏空に咲く一輪の  作者: バムガーナー
若者のすべて
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私の友達②

 十分ほど経ったころ、夏芽が店から出てきた。手にはなにも持っていなかったから、レイと接触はしたのだろう。しかし、遠目から見ても彼女の様子がおかしいことはわかった。私はスマホをジーンズのポケットにしまい、日傘をさして彼女のもとへと向かった。


 横断歩道の信号は青になっていた。向こう側の道路から、夏芽がどことなくおぼつかない足取りでこちらへ歩いてくる。アスファルトから熱気が立ち込めてきて、少しだけ私の視界を揺らした。私は歩道から足を踏み出さずに、焦れるような気持ちのまま、夏芽を待った。


 横断歩道をこちらに渡ってきていた夏芽は、私と目が合うとくしゃりと表情を崩した。そして、とうとうその場に立ち止まり、人目も憚らずに両手で顔を覆った。通りかかった人たちの視線が次々と彼女に注がれる。私は反射的に足を動かして、堪えようと思っていた数メートルを詰めた。そして、夏芽に傘を差し出した。日差しを遮るためではない。誰の目にもこの子を触れさせたくなかったからだ。今の私がすべきことは、静かにこの子の感情を解き放たせること。どうにか傘の柄を持たせ、空いた方の手をとって歩き出す。どこでもいい。私たちのほかに誰もいない場所に行きたかった。足を進めながら、彼女の柔らかい手の甲に残った汗か涙かわからない僅かな湿り気を、私は小指でそっとなぞる。


 私が足を止めたのは、立体駐車場の裏手にある喫煙所だった。建物の影になっているここは、どう好意的に捉えても空気が綺麗とは言い難かったけれど、二人だけになりたいという私の希望に沿った場所だった。私たちはタバコの匂いの染み付いたベンチに腰かける。


 ここに足が向いたのは偶然ではなかった。前に、了とここで煙草を吸ったのを覚えていたのだ。


「レイと会ったんでしょ」


 単刀直入に本題に入る。


「……うん。でも、」


 歯切れの悪い返事だった。


「レイとは、話せなかった」


 俯きがちにそう口にする。涙を拭い、鼻をすすり、嗚咽交じりの吐息を漏らす夏芽を眺めながら、私はあの女について思いを巡らせる。


「一緒にいたあの女に、何か言われたんだ」


 そう問いかけると、夏芽は鼻をすすって、指先を薄くまつ毛に走らせてから、小さく首肯した。


「レイと付き合ってるって、言われた」


「はあ?」


 私は思わず眉をひそめてしまう。想像の斜め上をいく言葉だったからだ。


「今日はレイと久しぶりに会ったって」


「それ、あの女が言ってたの?」


「うん」


「で、レイは何も言わないの?」


「……うん」


 どうやらその言葉を真に受けて、のこのこと帰ってきてしまったようだった。私はとうとう夏芽の心境なんて無視して、これ見よがしにため息を吐いた。


「夏芽」


「ん?」


 本当に――どこまでもわかりきっていたことだけれど――赤くなった目でこちらを見つめてくるこの幼馴染は、人の言葉を疑うということを知らない。今でもまだ、自分に語りかける人の言葉はすべて掛け値なしの真実であると信じているのだ。


「そんなの嘘に決まってるでしょ」


「え?」


「あのねえ、レイと付き合ってるのは、ここにいるあんたでしょう。どこの誰だか知らないけど、そいつは絶対にレイの彼女なんかじゃないから。第一ね、あいつに同時に二人の女と関係持てるほどの甲斐性なんてあるわけがないんだから」


 段々と今の状況が馬鹿らしくなってくる。どうして私がこんな、レイの尻拭いのような真似をしなくてはいけないんだろう。そもそもレイは何をやっているんだ。


 あの女があんたにとってどんな存在なのか、そんなこと私は知らない。けど、あんたが一番大切にするべきなのは夏芽のはずじゃないの。


 今になって、私はレイに対する怒りのようなものを覚え始める。彼が目の前にいたら、もしかしたら襟首でも掴んで問い詰めていたかもしれない。


「じゃあ、どうしてあの人はあんなこと……」


「そんなの知らないわよ」


 そう言うと夏芽はわかりやすく下を向いてしおらしくなってしまう。私は反射的に二の句を告ぎそうになったのを、すんでのところでこらえる。


 夏芽に言ったとおり、私はあの女の素性も、二人で会っていた理由も知らない。けれど、少なくともあの女が今のレイの恋人ではないということだけは、はっきりと断言できる。


 決して長い時間ではないけれど、私だって樋渡玲という人間と関わってきた。そして、私は自分の人を見る目には多少の自信がある。慧眼というほど大層なものではないにしろ、悪人かそうでないかくらいは見分けられると自負している。


 そして、私はレイにならば夏芽を託せると判断した。レイは、夏芽を傷つけることはあっても裏切ることはないと信じていたから。


 夏芽が特に親しくしている異性は、この世に国見とレイの二人しかいなかった。


 国見は絵に描いたような秀才で、それなりに整った顔立ちをしており、人を惹きつけるカリスマ性のようなものを持っていた。そして、夏芽が持つ純粋な心を出会った当初からいち早く見抜き、どうしようもなく惹かれている。


 反面、レイはあらゆる点において凡庸だった。特別目立つ存在ではなかったし、他人と比較して特に秀でた点があるわけでもない。純粋な夏芽に凡庸に惹かれ、凡庸に恋をした。


 そんな二人を天秤にかけると、レイの方に傾いた。


 レイは凡庸に夏芽との関係を進め、凡庸に夏芽を愛し、そして凡庸な性欲を抑え切れずに傷付けた。それは、まさに私の期待通りの動きだった。


 もしも国見が夏芽と付き合っていたら、きっとあの子がこうして傷つくことはなかっただろう。国見は、どこまでも夏芽を大切にしたはずだ。いつでも夏芽を優先し、夏芽の意見を汲み、夏芽を夏芽のままで存在させようと努めただろう。それは一見健全なように思える。周囲からすれば理想のカップル像なのかもしれない。けれど、私には吐き気がするほど不自然な関係性に映る。その先には、未来というものが存在しない。


 だから、夏芽に恋人というものができるとしたら、それはレイの他には考えられなかった。


 そう。ここまで何も問題はなかった。


 誤算だったのは、夏芽の中に芽生えた感情。自分を傷つけた未知なる感情から目を背けることを、他でもない彼女自身が望まなかった。

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