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夏空に咲く一輪の  作者: バムガーナー
大引麻奈美
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この期に及んで、俺はこの人の曲者ぶりをまだ甘く見ていた

 部屋にお邪魔してからずいぶん後になって聞いたことだけれど、先輩が風邪をひいてしまった理由は、クーラーのタイマー設定をし忘れて、二十五℃の冷気を一晩中浴び続けたかららしい。拍子抜けしてしまいそうな理由だけれど、何せ大事に至ることもなくて、本当によかった。


「そんな調子だと、受かるものも受からないわよ」


「麻奈美までお母さんみたいなこと言わないでよお」


 先輩は、相変わらずベッドの上で横たわっている。どうやら、床に降りる気はさらさらないらしい。


「国見だって心配してたし」


「国見君が?」


 不意に大引先輩の口から出た名前に俺も反応してしまう。先輩がその様子に気付いたのか、「レイも国見君のこと、知ってるの?」と訊ねられた。


「まあ、名前くらいは」


「そうなんだ。レイでも知ってるくらいだから、国見君、本当に有名人なんだね」


 レイでも、という言い方は気になったが、俺があの人の存在を知ったのは、今日のことだ。クラス委員をやっている、というようなことを大引先輩が話していたけれど、もしかしたら、校内ではわりと名を馳せている人なのだろうか。


 いまいちピンと来ていない俺を見かねたのか、大引先輩が「そうよねえ」とわざとらしく間に入ってきた。


「国見、つい先週まで生徒会長だったもんね」


「そうだったんですね」


 つい正直に反応してしまった。そういえば、集会の時に壇上に上がる姿を見たことがある気がしないでもない。


「あれ、レイ、知らなかったんだ。国見君、会長になってから、ずっと頑張ってたんだよ。去年の文化祭は、国見君が中心になって運営されてたようなものだしね」


 去年の文化祭のことなんて、ほとんど何も覚えていない。たしか、遊びに来ていた他校の女子たちに、慶次が次々声をかけていくその後ろで置物のように佇んでいた気がする。一人よりも二人の方が成功率が上がる、と奴は息巻いていたが、結果は散々なものだった。


「成績だっていいし、本当なら、私じゃなくて国見君が推薦されるべきなんだけどね」


 眉をハの字に下げて、自嘲気味に先輩は笑った。そうだ、成績で思い出した。俺も、家に帰ったらテスト勉強に取り組まなければいけない。いい加減総ざらいをしておかないと、新聞部の活動が危うくなってしまう。


「ホント、しっかり頼むわよ」


 ひょっとして自分のことを言われたのかと思って、テーブルから顔を上げると、大引先輩は、ベッドの上でころころと転がっている人物に目を向けていた。


「そうだね。これで落っこちちゃったら、国見君に恨まれちゃうよ」


「やー、あいつは夏芽には甘いからねえ」


 二人のやり取りを耳にしていると、先輩とあのメガネの男は、わりに仲が良い方なのかもしれない。先輩が、異性と親しげにしている姿はどうもうまくイメージできないし、進んでしたくもなかった。


 先輩たちが話しているのを横で聴きながらカステラを頬張り、時々相槌を打つ感覚で話に参加していると、いつの間にか六時が近くなっていた。先輩は病み上がりだし、各々期末テストの勉強に取り組まないといけないため、ここら辺でおいとますることとなった。開け放たれている窓から吹き込む風が、随分涼しくなった。


「お腹出して寝てないで、月曜にはちゃんと来なさいよ」


「はーい」


 結局ベッドから一歩も動かないまま、先輩は俺たちの見送りまでこなそうとしていた。大引先輩に厭味ったらしく釘を刺されても、素直に顔の横まで小さく手を挙げる姿が可愛らしい。


 実を言うと、俺の方はまだ、もう少しの間この場所に留まりたい気持ちはあった。外はまだ明るいし、俺の方はといえば、(勝手に)緊張していたせいもあって、普段のスムーズな会話からは遠ざかっていたからだ。


「じゃあ、お大事に」


 明日は、きちんと来てくださいね。大引先輩がいなかったら、絶対にそう付け足していた。ここに来て初めて、自分が、明日を心待ちにしていることに気が付いた。


「うん。レイも、お腹出して寝てちゃダメだよ」


 俺の心を読んだかのように、欲しかった言葉を、憎めない冗談とひとまとめにして投げかけてくる。


「どの口が言ってんですか」


「あ、何その口の利き方。麻奈美ー、レイが不良になっちゃったよ」


「大丈夫よ、こいつは不良の器じゃないから」


 擁護されているのか貶されているのかはっきりとしない物言いで大引先輩が場を収め、「じゃあね」と残して部屋を出て行った。


「さようなら、先輩」


「バイバイ。また明日」


 その言葉は素直に嬉しかった。しかし、先を歩く大引先輩の後ろ姿が一瞬止まりかけたのを、俺は見てしまった。


 先輩の母親から、また遊びに来てね、とお墨付きをもらい、玄関を後にした。外は日差しこそ弱まっているものの、中空に浮かぶ太陽は、もう少しの間沈みそうにない。


「レイ」


 並んで道を歩いていると、大引先輩が俺を呼んだ。嫌な予感しかしない。


「何ですか」


「私が言いたいこと、わかるわね」


「ちょっとわからないです」


「あっそ。じゃあ、もう一度戻って、夏芽に言っとこうかしら」


「何をですか」


「レイからの伝言で、明日は部屋から一歩も出ずにテスト勉強をします、って」


「やめてくださいよ」


 じゃあ、と不敵に笑う。


「明日のアンタたちの予定を聞かせてもらおうかしら」


 どうやら、大引先輩から逃れることは不可能なようだ。この期に及んで、俺はこの人の曲者ぶりをまだ甘く見ていた。


 明日の夕方から、俺と俺の姉と先輩の三人で、蛍を見に行くんですよ、と敢えて淡々と説明する。大引先輩が面白がるような事柄は特に含まれていないのだということを、何よりも伝えたい。


「なるほどね。二人でホタル観賞」


「話、聞いてましたか」


 思わずため息が漏れる。横で、「冗談よジョーダン」というのが聞こえる。そして、「マイケル・ジョーダン」と呟いて、一人で笑っていた。俺は、ほとんど間を置かないまま二度目の溜息をついた。


「そうそう、ジョーダンといえばね、彼氏がエアジョーダンを馬鹿みたいに集めてるのよ」


「バッシュをですか」


「そう。あいつったらバスケもしないくせに、バッシュだけで十足くらい持ってるのよ。しかもね、シュプリームってブランドとコラボしたやつを、ネットで五万円で買ったりしてんの。ホント意味わかんないわよね。これでもまだ足りないとか抜かしてるし、どうにか止めたいんだけど」


「足のサイズさえ合えば譲ってもらいたいですね」


「何、レイはバスケしてたの?」


「部活には入ってませんけど、少しだけ」


「ふうん」


 どうにか明日の話題から方向転換することができた。これ以上、この人の口から思わせぶりな言葉を聞いてしまうと、先輩のことを変に意識してしまいそうだ。


 大通りに出ると、駅に向かう人や車で一気に騒々しくなる。大引先輩とはここから別方向になる。


「今日は、ありがとうございました」


 相手をするのは疲れるけれど、それでも、この人は体調を崩した先輩と引き合わせてくれた。もしも先輩と会えていなかったら、気が気でないまま週末を迎えるところだったのだ。


「どういたしまして」


 てっきり俺は、このまま大引先輩はじゃあね、と手を振りながらあっさりと身を翻すものだと思っていた。


「レイ」


 しかし、実際は違った。俺の名前を呼んで、一メートルほど離れた場所から見上げてくる。ここに来て、初めて目にするような、真剣な表情を浮かべていた。


「夏芽のこと、ちゃんと見てやってよ」


 それは、周囲の雑踏を遠ざける魔法を有した言葉だった。予想だにしていなかった内容に、口がすぐには動かない。


「じゃあね」


 ヒラヒラと軽く手を振って大引先輩が踵を返した。その後ろ姿が周囲の人に紛れて消えてしまうまで、俺はその場から動けなかった。


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