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夏空に咲く一輪の  作者: バムガーナー
夏への扉
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あの人にとっては、今年の夏が大切になるんだ

 教室に戻って自分の席に座ろうとした俺は、愕然とした。ついさっきまで確かに存在していたカーテンが、部分的に、綺麗さっぱりなくなっていたからだ。広々とした窓からは、眩しいほどに白い太陽に光が差し込んでいて、窓際にある俺の机の上に一切の情け容赦もなく降り注いでいる。


 その日の昼休み、俺は友達の慶次けいじ嘉樹よしきの三人で、食堂の看板メニューである唐揚げ定食に舌つづみを打っていた。唐揚げはいつもよりカラッと揚げてあったし、臨時収入が入ったという慶次からジュースを奢ってもらった。いつになく良い気分で、さあ五限目の古典に居眠りすることなく臨もうか、と鼻息を荒くして教室に戻ったところで、異変に気が付いたのだ。


 これは、間違い探しか何かか、とまず思った。だったら俺はもう間違いを見つけている。さあ早く元に戻してくれ、とも。それとも、まだどこかに間違いが潜んでいるというのか。


「うわ、レイの所だけカーテンが消えてるぞ」


「あーあ、ルパン三世の仕業だなこりゃ」


 嘉樹と慶次の声が後ろから聞こえた。


「くだらないこと言うなよ」


「いいじゃねえか、昨日ルパンにはお世話になったんだよ」


「お前またパチンコに行ったのか」


「五万も勝っちまったよ。いやあ、最近マジで止まんねえわ。」


「お前多分、一生分の運を今使ってるぜ」


 なるほど、慶次の臨時収入の正体はパチンコだったか。しかしそんなことはどうでもいい。俺が今一番知りたいのは、日差しを防ぐカーテンが出来の悪い間違い探しよろしく消失してしまった理由だった。


「あ、樋渡ひわたり


 俺の名前を呼ぶ澄んだ声の方に振り向くと、クラスメートの草野瑞季くさのみずきが立っていた。その気の強い顔が、いつにも増して険しかった。


「草野は、カーテンが消えた理由を知っているのか」


「大谷がカップ焼きそばのソースをぶちまけたんだって。信じられないわよね」


「焼きそばぁ?」


 思わず声が裏返ってしまいそうになる。何がどうなると、カップ焼きそばのソースをカーテンにぶちまけるなんて惨事が発生するんだ。


「その時たまたま長内おさないが通りかかってさ、もうヒステリー爆発よ」


 英語教師の長内はその金切り声を武器に、問題を起こした生徒を精神的に追い詰めて謝罪を引き出させることを特技としている(生徒間の勝手な設定だけれど)、出来ることならば関わり合いになりたくない教師の筆頭的な存在だった。


「新しいカーテン、すぐにつけられるのか」


 最悪の場合、窓際に自分の席を持つ俺は直射日光を浴びながら終礼までをやり過ごさなければいけなくなる。いい加減夏もそこまで迫っているというのに、だ。


「それがさあ」


 草野の表情がうんざりしたものに変わった。


「長内が金切り声で叫んでたわよ。もう替えのカーテンは全部出払ってるのになんてことするの! って」


 一体どうなっているんだ、この高校は。数式や歴史よりも先に、カーテンの取り扱いを大々的に指導するべきじゃないか。


 当の大谷は長内に呼び出されて不在だったために、俺はどこにも怒りをぶつけられなかった。


「でも、レイと草野にすごまれたら、大谷の奴、半泣きになるんじゃないか」


 そんな俺たちの顔には、消化不良です、と大々的に書きなぐられているのかもしれない。嘉樹が笑ってそう言った。確かに、大谷はすぐに調子に乗って何かしらトラブルを起こしたりするが、事が起こってからは借りてきた猫のように大人しくなるような奴だった。


「別にすごまないから」


「その言い方がコワーイ!」


 くねくねと身体をしならせながら汚い裏声を出す慶次を放って、俺は窓の外を見た。梅雨はまだ終わっていないはずなのに、今が夏休みでないのが不思議なほどに窓の外は晴れ渡っていた。周囲の机よりも一層ニスが塗られているせいで焦げ茶色になっている俺の机が、不気味に輝いていた。


「くそ、夏なんかすっ飛ばして早く涼しくなればいいのに」


「おいおい、俺たちの夏休みまで巻き添えにするなよ」


 嘉樹が唇を尖らせる。


「そうそう。うるさいこと言われずに楽しめるのなんて、今年までじゃないかよ」


「慶次は夏でも冬でもエアコンの効いたパチンコ屋だろうが」


「あんた、まだパチンコなんてやってんのね。いい加減父さんに補導してもらおうかしら」


 そう言った草野を見て、慶次は唇を引きつらせた。


「勘弁してくれよ。お前の親父、こないだもパチ屋の前で見かけたんだからな」


 三人の笑い声に乗ることができず、俺は陽の光が差し込む大きな窓を見てため息を吐いた。そして、改めて当たり前のことを思う。


 俺たちも、来年は受験生になる。三年の夏休みは勉強漬けだぞ、というのは、教師から耳にタコができるほど聞いてきた。そう考えると、高校二年生の今年の夏をすっ飛ばしてしまうということは、たしかにとても罪なことに思えた。


 そういえば、と俺は窓の外、新校舎側を眺める。新校舎には、三年の教室が収まっているのだ。


 ――あの人にとっては、今年の夏が大切になるんだ。


 ここの所見ていないあの笑顔を思い出すのに、少し時間がかかってしまった。

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