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夢物語を、カップとともに

ロイヤルミルクティー・シンデレラ

作者: あけづき

 青空の下、屋上でひとり飲むロイヤル・ミルクティーはなんともおしゃれな味がする。

 ……なぁんて。私は自分でクスクス笑って、ペットボトルのミルクティーをぐいっとあおった。だって、自動販売機で売ってる一本一五〇円のフツーのミルクティーなんだもの、おしゃれだなんて、ね。『ロイヤル・ミルクティー』だなんて言うと、本当にイギリスあたりの貴族が飲んでいそうな気がするから可笑しい。

 腕時計を確認してから、フェンスに張り付いて下を見た。四時二〇分、どんぴしゃ! 私の『お目当て』がちょうど校舎から出てきたところだった。襟にかかるちょっと癖のある黒髪、きちっと締まったネクタイ。ほっそりした指で鞄を担ぎ直して、すらりと伸びた足で颯爽と自転車にまたがる。

 私の王子様。

 あぁ、どうして下校風景だけでこう絵になるかな! いつものことながら思わず嘆息してしまう。ぼうっと、その背中が見えなくなるまで追い続けた。

「おーいサッコ! こんな所にいたのか!」

 ……私の至福の時を邪魔するこの声は。私はできる限り嫌そうな顔で振り返った。

「何の用よ、諒ちゃん」

 幼馴染の諒ちゃんは、王子様とは似ても似つかない。短くてツンツンしてる髪、くたっとしたシャツ。身長はまぁ似てるけど、中学からずっと陸上部な筋肉質。

「教室にあった忘れ物届けに。ほれ」

 そう言って私の筆箱を投げながら、諒ちゃんは私の横に来てフェンスの下を覗いた。

「何見てたんだ?」

「別に、なんでも」

 ミルクティー飲んでただけよ、と答えると、諒ちゃんはにやっとして顎をさすった。

「誰だ? ……村木先輩、とか?」

 私は思わず諒ちゃんから飛び退いた。何で、今の会話からその名前が!

「だってお前昔からわかりやすいんだよ。なんてったって『王子様』待ってる『シンデレラ』だもんな。それに村木先輩はお前の王子様像にぴったりじゃないか」

 自分の顔が熱くなるのがわかった。最近はあんまりそんな話はしないようにしてたのに、これだから幼馴染ってやつは!

「『癖毛で細身、憂いのある目で清潔感が漂う』のがいいんだっけな? 全然変わってないなぁお前!」

「うるさい! いいじゃない格好いいんだもの!」

「白馬の王子様ならぬ、白い自転車の王子様! 傑作だな!」

 諒ちゃんは体を折って笑い転げた。まったくもって失礼な! 私はペットボトルのミルクティーを乱暴に飲み干した。せっかくのミルクティーも台無し。

 ひとしきり笑って、諒ちゃんは急に真面目な顔をした。

「で? もう村木先輩にアタックでもしてみたのか」

「急に何よ……まだだけど?」

 なぜかため息をつかれる。

「高校入って二年近く、ほぼ毎日ここで見てただけか! いいか、シンデレラを思い出してみろ。シンデレラだって自分から舞踏会に行ってアピールしたんだ!」

「なんで諒ちゃんがそんなに熱くなるのよ?」

「面白そうだから」

 昔っから性格が悪いんだった、こいつは。私が無視して帰ろうとすると、ちょっと待てよ、と諒ちゃんは後ろからあわてて追いかけてきた。

「何の用よ」

 放課後のざわめきが響く廊下を歩きながら、振り返らずに聞く。陸上部相手に逃げ切るのはあきらめてる。

「今度さ、みゆきの誕生日だろ。兄貴としてプレゼントでも買ってやりたいんだけど、小学生の女子の好みとかわからないから手伝ってほしくって」

「あんたと連名はいやよ、どうせ私もお呼ばれしてるし」

 そこを何とか! と諒ちゃんは私の袖にしがみついてきた。ちょっと、人目が痛いじゃない!

「お前がアタックすんの助けてやるから!」

 思わず立ち止まってしまった。雑踏は私たちを置いて流れていく。

「……ちょっと、意味わかんないんだけど」

 諒ちゃんはここぞとばかりに私の前に回り込んできた。妙に真剣な顔をしていた。

「俺、村木先輩の家知ってるぜ」

「いきなり家って、馬鹿じゃないの、」

 私ったら何を期待してたのかしら、と横をすり抜けようとしたら袖をつかみなおされた。

「村木先輩の家って喫茶店なんだよ。先輩もそこ手伝ってるみたいでさ、俺この前見たんだ。今日買い物に付き合ってくれたら、店を教えてやってもいいぞ?」

 諒ちゃんはにやり、と笑って付け加えた。

「ちなみに一番人気は『ロイヤル・ミルクティー』だよ、本物の」



 結局まんまと釣られて、諒ちゃんと駅前を歩いた。みゆきちゃんへの誕生日プレゼントはピーターパンをモチーフにしているらしいマグカップ。もともと目星はつけていたようで、私には最終確認をしたかっただけのようだった。なんでも、クリスマス以来みゆきちゃんから避けれてる気がしてどうにか機嫌を直してもらいたいのだそうだ。綺麗に包装してもらったプレゼントを、固そうな手で大切に大切に抱えていた。

 駅前の雑踏から少し離れたあたりで、諒ちゃんは足を止めた。

「ほら、ここだよ。村木先輩のとこの店」

 夕焼けに照らされたそこはこじんまりとしたクリーム色の建物で、吊るされた看板にはどう発音するのかわからないアルファベットが並んでいる。店の横には村木先輩のものと同じに見える自転車が止めてあった。

「こないだ先輩が入っていくの偶然見かけてさ。うまかったぞ、ミルクティー」

 外にいてもふんわりと漂ってくる紅茶の香り。くもり一つないような窓からちらりと中が見えた。窓際に座っているのは大人っぽいロングヘアの女の子。ここら辺じゃ有名なお嬢様高校の制服が完璧に似合っていて、ティーカップを持つ指は繊細な陶器の人形のようだった。

「それじゃ、俺はこれで。あとはどうぞお楽しみくださいな」

「ちょっと待ってよ!」

 くるりと背を向けた諒ちゃんをあわてて引き留めた。私に一人で入れっていうの?

「何だよ、用事あるのお前だけだろ」

 らしくもない低めた声だったから、一瞬つかんだ手を放しそうになった。でも、こんな店一人で入ったことないんだもの。ぐっと力を入れなおした。

「案内してくれたお礼に一杯奢ってあげる。ほら、プレゼントはあんたもう勝手に決めてたもんだから、私役に立てなかったでしょ。ギブ・アンド・テイクが成り立ってないの」

 夕日が建物の隙間から差し込んで、諒ちゃんの影が私の上に差し掛かってきた。ふっと、諒ちゃんの体から力が抜けるのがわかった。

「……一本一五〇円のペットボトル・ミルクティーとはわけが違うって、わかってんのか」

「あんたよりはお財布厚い自信はあるわ」

 苦笑いしながら振り返った諒ちゃんは、私の手をつかみなおして一歩入口に近づいた。

「お席までご案内するのがお仕事でしたな、お姫様」

 いつもの軽口のような口調でおどけながら諒ちゃんがドアを開けると、ちりりん、と小さな鈴がかわいい音を立てた。柔らかいピアノの音が流れる、落ち着いた雰囲気の店内。夢の世界に迷い込んだかのようで、なんだか現実味がなかった。

「いらっしゃいませ」

 まるでBGMの一部のように、優しい声。はっと我に帰ると、エプロンを付けた村木先輩が立っていた。お好きな席にどうぞ、とにっこり笑う。いつの間にか私の手を放していた諒ちゃんは、あの窓際の女の子の斜め前、たぶん外からは見えない二人掛けの席を選んだ。

「その制服、西高なんだね。何年生?」

 おしぼりを持ってきた先輩が聞く。諒ちゃんがちらっと私の方を見て促す。

「えっと、二年です、村木先輩」

「あれ、僕の名前知ってるんだ?」

「……その、有名ですから」

「そうなの? ……注文が決まったら呼んでくれるかな」

 ちょっと不思議そうに首をかしげてから立ち去ろうとする先輩を、諒ちゃんが引き留めた。

「ロイヤル・ミルクティー二つと、ガトーショコラ、それとレアチーズケーキでお願いします」

 メニューをちらっと見て、頭の中で計算する。ちょっと、奢りだからってそんなに頼む神経はどこから来るの。非難の視線を送っていると、先輩が下がってから諒ちゃんはこちらをようやく見て肩をすくめた。

「ガトーショコラはお前の。好きだろ? それにレアチーズの分は払うよ。そこまで図々しくなれる神経はない」

 それならいいけど。私も肩をすくめてみせてから、改めてメニューに目を落とした。『おすすめ』と少し角ばった文字で付されているロイヤル・ミルクティーのお値段は、一杯三〇〇円。諒ちゃんの肩越しに、ちらりと窓際の女の子が見えた。お上品なサイズのティーカップだ。あれでこのお値段、なんともロイヤルな雰囲気じゃない。

「……お前さ、なんでそんなに『王子様』にこだわるんだ?」

 おしぼりをいじくりながら、諒ちゃんが聞いてきた。

「なんでって、やっぱり女の子の夢じゃないの。私なんてほら、現時点じゃステータス的には『どこにでもいる普通の女子高生』、でしょ。でも灰かぶりだったシンデレラを王子様が迎えに来たように、眠り姫を起こしに来てくれたように、白雪姫をよみがえらせたように、王子様が来てくれたら今までの生活がガラッと変わってくれる気がして」

 『どこにでもいる』から脱皮できるような気がして。そんなもんなのか、と諒ちゃんはわかっていないような声で呟いた。

「みゆきちゃんだって女の子よ。最近喋ってくれないのって、お兄ちゃんが王子様からほど遠いって気づいて幻滅しちゃったんじゃないの?」

「どうせ俺は『どこにでもいる普通の男子高校生』だよ。その点先輩は確かにかっこいいし、悪い噂なんて一つも聞かないし、『完璧に王子様みたいな男子高校生』だよな」

 先輩観察の続きでもしてろよ、と言って鞄から本を取り出し始めたので、私はこっそりカウンターの先輩を盗み見た。細くて長い指で、繊細な模様のティーカップをそっと磨く。もしかして、あの指がこの角ばったメニューの文字を? ほんの少し暗くなっているカウンターの中でちょっと伏し目がちな先輩の、黒髪がはらりとかかるしなやかな首筋の白さが際立つ。口元は自然に微笑んでいるように見えた。

 それに比べて。ちらりと目の前に座る諒ちゃんに目を向ける。関節がごつごつと突き出した指で妙に小難しいタイトルの本をわしづかみにしている。その指で書いた文字がやけに達筆なのはよく知ってる。本に落としている視線はゆっくりゆっくり動いてく。日焼けて少し赤っぽい髪がかからない首筋は、夕焼けに溶け込む色をしていた。

「お待たせしました。ミルクティーを二つと、ガトーショコラにレアチーズです」

 いきなり上から降ってきた先輩の声に、思わずびくっとした。軽やかな手つきで、カップとお皿を並べていく。ああ、なんでそんな一挙一動までもが美しいのかしら!

 ごゆっくりどうぞ、と言って先輩が下がるのをカウンターまで目で追った。

「本物のロイヤル・ミルクティーってやつだってさ。お湯で出すんじゃなく、温めた牛乳使ってるんだと」

 ペットボトル・ミルクティーでは考えられないような、柔らかな紅茶の香りが立ち上る。白みが強いそれの表面には、うっすら牛乳の膜が張っているように見えて、ゆらりとする湯気と相まって私をうつさない。力をこめたら砕けてしまいそうなカップに、そっと、そっと指をかけた。

 カップを持ち上げて顔を上げると、諒ちゃんの肩越しにあの女の子が見えた。夕焼けが差す窓際の席で、二杯目を持ってきたらしい先輩と談笑している様は、恐ろしいほどに絵になった。先輩の爪の先まで整った指が、優しくそのロングヘアに触れた。

 思わず顔を背けて、ミルクティーを口の中に流し込んだ。慣れない紅茶の香りが一気に広がる。濃厚すぎる牛乳は、喉の奥にへばりつくように感じた。

 ピアノのBGMに混ざって、空調の動く低い音が聞こえる。ぼそぼそと、ほかの客の会話も聞こえていたことに気付いた。あの女の子と村木先輩の会話も。ソーサーにゆっくりおろしたそいつの表面は、ゆらゆら揺れてやっぱり私をうつしてくれなかった。

 お前さ、と諒ちゃんがささやくように言った。

「さっき、シンデレラのところに王子様が来てくれた、って言ってたろ。でもさ、思い出しても見ろ。そもそもシンデレラは自分で舞踏会に飛び込んでったんだ。家で待ってただけじゃ、灰かぶりは一生灰かぶりだったのさ」

 そうだね。諒ちゃんの言う通りだった。シンデレラは一番好きなお話で、何度も読んでたじゃない、咲子? シンデレラはけして、『どこにでもいる普通の女の子』なんかじゃなかったのよ、咲子。いじめられて灰かぶりだったのだって、お父様が亡くなったところで悪い継母や義姉が調子に乗り始めたからであって、そもそもはお城から結婚相手を選ぶための舞踏会への招待状が届くような家柄の娘なんだ、シンデレラは。あんなにひどい目にあっても優しく美しく育ったシンデレラが、いったいどうして『どこにでもいる』女の子なわけがあるだろうか。確かに王子様が来てシンデレラの人生は変わったけど、そんなことが起こるはきっと、普通じゃないような女の子のところだけなんだ。

 諒ちゃんが選んだガトーショコラは私の好み通りのほろ苦さで、絡みつくようなロイヤル・ミルクティーを無理やり流し込んだ。



 ほとんど日の沈んでしまった帰り道、諒ちゃんは黙ったまま立ち止まって、路肩の自動販売機に三〇〇円投入した。自分にはコーヒー、そして私には、いつもの一五〇円ペットボトル・ミルクティー。これじゃギブ・アンド・テイクの意味がほとんど無くなっちゃうとは思ったけれど、ありがと、と口の中で呟いて受け取った。

 いつも通りの、嗅ぎ慣れた紅茶の香り。どちらかというと茶色っぽい液体は、夕暮れの中でさらに濃く見える。喉にへばりつくこともなく、心地よい甘さがすんなり私の中に染みわたっていった。

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