サクラサク ~図書館の君~
※電撃掌編企画作です。お題は『サクラサク』、2000文字縛りにて。
カタン、と音を立てて、正面の椅子が引かれた。
ここは古ボケた図書館の最奥にある穴場席。まさか俺以外の人間が目をつけるなんて……。
俺は綴りかけの英単語を放り投げ、半ばムッとして顔を上げた。
その瞬間、世界が色鮮やかに変わった――
(うわ、スゲー可愛い!)
透き通るような白い肌。意志の強そうな眉とつぶらな瞳。形良い鼻と小さな唇。艶やかな黒髪が、V字に開いたカットソーの胸元へ垂れている。幼さを残す面立ちとは裏腹に、女子の平均を大きく超えるであろう豊かな胸が彼女を大人びて見せる。
特に、俯いて鞄の中を漁るその角度は……ヤバイ。
「クロ……」
呟いた俺に、彼女はきょとんとした表情を浮かべる。俺は何でもないというように、慌てて愛想笑いを作った。彼女がお返しにくれた可憐な笑みに、俺の中の違和感が増幅する。
しかし黒とは意外だ。白かピンクが似合いそうなのに。いや案外水色とか黄色も……。
その日、俺のノートには様々なカラーの英単語が並んだ。
◆
もしかしたら、彼女は神様が遣わした悪魔なのかもしれない。
強まる日差しと共に彼女の装いはいっそう薄くなり、俺の心をかき乱す。
『煩悩に打ち勝てぃ。さすればお主の元にサクラを咲かせようぞ!』
脳内に響くバーチャル神様の声。俺は机にぺたんと頬を押し付けて呟いた。
「勘弁してくれ、神様……」
アインシュタイン似の神様がベーッと舌を出す。俺はチッと舌打ちし、正面の席を覗き見た。
彼女はいつも、俺と入れ替わりで昼食へ出かける。机には『3-B 佐々木彩香』と記されたノートと、開きっぱなしの参考書。そこには数学の超難問が並ぶ。
負けられないという危機感が、俺のモチベーションを上げる。
その一方で、なんだあの可愛さっていうかあの胸エロいにも程があるだろふじこ……という気持ちが邪魔するため、成績はなかなか上がらない。
「つーか、頭良過ぎだろ……」
俺は身を乗り出して、解きかけの数式を見つめた。根っからの文系頭には思い付かない発想。見事だ。
「――あのぅ、何か?」
「はぅあっ!」
咄嗟に口元を手で覆うも、時既に遅し。
彼女はくすくすと笑い出す。小刻みに震える身体に呼応し、ぷるぷると揺れる胸。
俺は意地悪な神様の仕掛けた罠に、どっぷりハマった。
それ以降、彼女と世間話ができる関係になった俺は、息抜きがてら数学を教えてもらうようになった。
実際の彼女は、数学以外は中学生レベルというかなり偏った頭脳の持ち主で、これには俺もホッとした。お礼に英語を教えたりと、ささやかなプライドを満たした。
週末を楽しみに過ごす日々が続き、勇気を出してメアドを聞き出した頃、季節は春を迎えていた。
◆
平日の夕方、図書館への道のりを歩く。生温い風が頬を撫で、小道を彩る鮮やかな桜が舞い散る。
俺は先月彼女から届いた、桜の花びらが背景に浮かぶ華やかなデコメールにようやく返事をした。
『連絡遅くなってゴメン。おめでと。俺は落ちたよ』
考え抜いた末のそっけない文面。一分も経たないうちに携帯が震えた。
『元気出してください。週末図書館で待ってますから、また一緒に勉強しましょえ』
余程慌てて打ったのか、語尾がオカシイ。俺は思わず声をあげて笑った。
あの日から、笑うことも忘れていた自分に気付く。
本当にあと一歩だった。彼女に教わって成績を伸ばした数学が、記念受験だったはずの第一志望への手ごたえを掴ませた。だから滑り止めを蹴った。
彼女には、感謝の言葉を伝えなきゃいけない。あと直接おめでとうも。
これから毎日図書館通いになる俺と違って、彼女があそこへ行く理由は無くなる。俺が教えた英単語も、楽しいキャンパスライフに塗り潰されていくだろう。
それでも構わない。来年、絶対彼女に追いついてみせる。
今日がその第一歩とばかりに、俺は意気揚々と図書館に乗り込んだ。
元々過疎っているこの場所は、週末と比べても利用者の数に大差は無い。たぶんあの席も、余裕で空いているはず――
「えっ……?」
いつも俺が座っている席に、誰かが居る。机の上にぺたんと片頬をつけて、窓の向こうを見ている。飴色の机に広がる、長い黒髪。
その輝きだけで彼女だと分かるのに、俺は混乱していた。
「あと二年分か……追いつけるかなぁ」
「彩香、ちゃん?」
「きゃあっ!」
跳ね起きた彼女は、真新しい“セーラー服”に身を包んでいた。
全てを理解した俺に、心の中でアインシュタイン似の神様が舌を出す。
ちくしょう、騙された……中三で黒は無いだろ!
◆
どうやら神様が遣わした小悪魔は、俺と同級生になるのを夢見ていたらしい。
俺は「アホか!」とその願いを蹴飛ばし、翌年見事にサクラを咲かせてやった。
「受かっちゃったんだぁ、残念」
そう言って笑う天邪鬼な彼女は、ようやく十六歳。俺はもう一つの夢を叶えるべく動いた。
彼女の手を取り、耳元に囁きかける。
「合格祝い、くれない?」
「え……」
俺は真っ赤になった彼女の、ひと際色鮮やかな赤い花に狙いを定めた――。