茜さす部屋と忘却
紫雲椿。
高校2年生。
ピアスに茶髪に制服改造。
他校であるなら、完全に教師にマークされているであろう出立ち。
だが、天戸においては、ムードメーカーであり、教師からの受けもよい優良学生。
成績も上の中あたり、人望もある。
教育実習開始初日から、やたら懐かれてしまった男子学生。
2Cの担当教諭に見せてもらった、生徒のパーソナルデータをめくりながら振り返る。
職員室での挨拶も終り、いざ俺が三ヶ月間世話になる担当クラスに担当教諭と足を運ぶと、ドアを開けた瞬間弾丸に体当たりされた。
…先程やっとの思いで引っぺがす事に成功した、紫雲椿に。
何故、こんなに懐かれてしまったのか…。
途方にくれながら、何とか椿を引き離そうと足掻いていると、先に教壇についていた担任が呆れ顔でやってきて、椿を俺から引き離すとぺいっと放り投げた。
「お前はワンコか。とっとと席に着け。ツバキ」
長く伸ばした髪を一つに縛った胡散臭い微笑みを浮かべた教師…このクラスの担任らしい…が、椿を退治してくれたお蔭で、何とか自己紹介を済ませる事が出来た俺。
しかし、この時の俺は想像もしていなかった。
休み時間毎に、椿にスッポンの様につきまとわれる事になるなんて。
特に何かをした記憶もない。
寧ろ、柔かに笑う顔の裏側、心の中では近寄るな、馴れ馴れしくするな、放っておいてくれ、そんな感情を持て余しながら壁を作っている。
それは、物心ついた頃には既に始まっていて、両親にですら俺の『心の壁』は発動していた。
だから、俺の周りの人間は常に俺とは一定の距離を保っていたし、それは俺や周りの人間にとって、もはや『当たり前の事』だったから。
…だから、俺には、『紫雲椿』と言う人間が解らない。
『当たり前』が通用しない人間だから。
パタンと個人ファイルを閉じる。
それを、引き出しに仕舞うと鍵を閉めた。
ちらりと窓の外を見ると、風に乗って白い花弁が茜色から藍色に変わりつつあるグラデーションの空に舞っていた。
「遅れ咲きの櫻…か…」
この季節に咲くには遅すぎる櫻花の舞に、理由のない胸の痛みを感じて、俺はまるでそのよくわからない胸の痛みから目を背ける様に、茜色に染る職員室を後にしたから…
だから、俺は知らない。
誰もいなくなった職員室にポツリと零された、小さな言葉を。
大切な、言葉を。
「…忘れないって…忘れないって言ったのに。……の事、忘れてしまったんだね…ずっと、ずっと待っていたのに…。……う」
だから、俺は知らない。
忘れてしまったから。
『自分』を。
花粉症と黄砂の影響で色々ツライ。
パソコン用眼鏡を買うべきか悩みます。