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神田川さんは味わいたい  作者: 鈍野世海


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1/1

1.

 先週の席替えで、私は窓際列の後ろから二番目の席になった。神田川(かんだがわ)さんの前の席だ。

 右代宮女子学園高校うしろのみやじょしがくえんこうこう、二年五組。出席番号も、私のひとつ後ろの三番。神田川晶(かんだがわ あきら)さん。

 プリントを回す際に振り向くたびに、私は神田川さんの美しさにうっとりとしてしまう。

 まっすぐに伸ばされた艶やかな漆黒の髪。夜のような藍と光を携えていたちょっぴり釣り上がった瞳。日差しを知らないような色白の肌。背丈は私よりも二〇センチは高く、すらりとしたスタイル。なにより、同い年とは思えないほど落ち着いた雰囲気と溢れる気品。シロジョシの白を基調としたブレザーはそれ目当てで入学を決める生徒がいるくらい洗練されたデザインだけれど、神田川さんが着るとまるで高級ブランド服のように見える。

 プリントを受け取ろうとそっと手を差し出してくる仕草ひとつでさえ、神田川さんがするとまるでドラマや演劇のワンシーンのように絵になる——。

「……大野(おおの)さん」

「ひゃ、ひゃい! なんでしょう!」

「プリント、もらっていいかしら」

「あっ、は、はい、すみません」

 見惚れてフリーズしてしまっていた手を慌てて数学の小テストから離すと、神田川さんはくすりと微笑む。

「そんなに謝らなくても大丈夫よ。おもしろいのね、大野さんは」

「ひ、ひぇ……」

 九億五千万パーセントお世辞だとしても、憧れの美人から「おもしろいのね」なんて言われたら、もしかしたら揶揄とか皮肉だったのかもしれないけれど、そうだとしても。私は溶けてしまいそうになる。私はどうにか人間の形を保ったまま前に向き直った。



「あーちゃん、お昼一緒に食べよ」

 神田川さんに見惚れてから脳みそも溶けてしまったみたいにさんざんだった数学の小テストを越え、訪れた昼休み。

 砂糖菓子のような甘い声とともに我が教室に現れたのは、隣のクラスの五ヶ瀬(ごかせ)さん。彼女は神田川さんのそばにやってくるとにっこりと微笑んだ。

 神田川さんの隣の席の前野さんはいつものようにぽっと頬を赤らめるとそそくさと五ヶ瀬さんに席を譲る。「ありがとね」五ヶ瀬さんがまたにっこりと微笑むと、前野さんは狙撃されたみたいに胸をぐっと抑えながら教室を出て行った。

 気持ち分かるよ……とその光景を見ていた私が心の中で深く頷いていると、なんと五ヶ瀬さんは私の方にも視線を向け、にっこりと微笑んで手を振ってくれた。

 ぐっ。私も胸を抑えて、にへらと気持ち悪い笑みで会釈をして、これ以上直視すると今度こそ溶けてしまいそうなのでどうにか前に向き直った。

 類は友を呼ぶというように、神田川さんと仲のいい五ヶ瀬さんもまたとんでもない美人だった。

 美人、と一括りにしてしまったが、神田川さんがクール系美人なのに対し、五ヶ瀬さんはアイドル系美人である。

 長い睫毛に縁取られたぱっちりと大きな瞳のヘーゼルナッツカラーも、身動ぐたびにふんわりと靡く波打つセミロングヘアのミルクティーカラーも、どうやら天然らしい。噂によれば五ヶ瀬さんはハーフだかクォーターだか、とにかく海外の血が入っているのだとか。そして五ヶ瀬さんもまた色白の肌をしているが、神田川さんと比べると陽気を感じる色味をしていた。背丈は神田川さんと同じくらいだが、帰宅部の神田川さんに対し、バレーボール部で活動している五ヶ瀬さんは腕や太ももにしっかりと肉がついている。

 それから、大きい。乳が。バレーボール部や体育で跳んだり走ったりしているのを見かけると、失礼だと思いながらもつい目を向けてしまうくらいには。自分のそれにコンプレックスを抱いていなくてもつい比べてしまうくらいには。本当に、大きい。

 笑顔は太陽のように眩しく、誰とでも分け隔てなく接する、ふんわりほがらかな印象の五ヶ瀬さん。

 神田川さんも私なんかと話してくれる社交性はあるけれど、一見はとってもクールで高嶺の花という感じがする。

 ありきたりな表現だけれど、ふたりはまるで太陽と月のよう。でも空にある太陽と月とは違い、彼女たちはよく一緒に行動している。体育の時は大抵ペアになって柔軟をしているし、現に、今も。

「ほら、私が好きなブランドのあるでしょ。昨日サイト見てたらあーちゃんに似合う新作出てて。ねぇ、今度遊びに行くとき、お揃いで着ない?」

「私が着る系統じゃないでしょ。フリルもリボンも多いし」

「たしかにあーちゃんが自分で選ばない部類ではあるけど、でも、絶対似合うよ。ねー、プレゼントするから」

遊良(ゆい)の懐のどこに、人に服をプレゼントするだけのお金があるの。この間、ファミレス行ったときも金欠でコーヒーだけ飲んでたじゃない」

「お小遣いはギリギリだけど、私にはお年玉貯金があるのです」

「それは大事にとっておきなさいよ」

「あーちゃんにこの服着せるためなら、全然出すよ~」

 脳裏に浮かぶのは色とりどりに咲く花々、ぽかぽかの陽だまり、小鳥の戯れと清流のせせらぎ……気配と会話だけで感じる、私の背後では今、エデンの花園が形成されている。

 私ここにいて邪魔じゃないかな~~~~~~でも、ここにいたいなぁ~~~~~~。

 決して断じて、彼女たちの友情に割って入りたいとか、注目の破片を浴びたいとか思っているわけじゃない。

 大野小春、と名前に大も小も兼ね備えている私は、しかしなにをやっても中の中。そんな平凡な私と眩い太陽と月である彼女たちとじゃ、同じ学校に通う生徒、神田川さんに至っては同じクラスで、席が前後、出席番号が前後だとしても、点と点にしかなり得ない遠い存在であることは分かっている。

 そこにコンプレックスめいたものはない。ただ——せっかく近い場所に花園があるのなら。こっそりとその甘露の香りを楽しみたい気持ちもあるわけで……ようするに、美しい人たちの美しい友愛を鑑賞する壁になりたい。そして心の中でによによとしたい。

「……そんなにお揃いがしたいの?」

「したい!」

「……はぁ、少し、考えさせて」

「えー」

「勝手に買ったら、着ないからね?」

「けちー」

「けちじゃない。遊良はすぐに私にプレゼントしようとしたり奢ろうとしてくるんだから。あんまり他人に甘いとそのうちカモにされるよ」

「別に誰にでもしてるわけじゃないもん……あーちゃんだから、だよ?」

 あっぶない、箸を折りそうになった。

 私は手の力みを解いて、静かに深呼吸をし、箸を持ち直してから平生を装って弁当箱の中からミートボールをすく、すくい、すくえない……薪をくべられた急激に燃え盛った創作意欲に手が震えてら……。

 彼女たちの間にあるのがあくまで友愛であることはよく分かっている。けれど、それでも、どうしても、こんな会話をやりとりを聞いてしまうと堪らない。脳内では勝手に押しカプに変換されたものが再生され、出力したい衝動が私の全身を駆け巡る。しかし学校なんぞで筆を執って見ろ、女子高で百合好きがバレるのは気まずいにもほどがある——!

「大野さん。手が震えてるけど、大丈夫? もしかして具合でも悪いの」

 と、いつの間にか私の席のそばに、副担任の最上(もがみ)先生が来ていた。口元のほくろが色っぽい、大人の色気のある先生だ。私はどきりとしながらも、どうにかどうにか表情を繕って顔をあげる。

「あ、いえ、なんでもないです」

「本当に?」

「そんなことより、私になにか用事ですか? 最上先生。また、お手伝いとか?」

「ええ、放課後に、明日のホームルームで使うプリントの整理のお手伝いを頼みたいと思っていたのだけれど……」

「いいですよ」

「具合が悪いなら無理しなくていいのよ?」

「超絶元気なので大丈夫です!」

「ならいいけれど」

 なぜか、最上先生はよく私にお手伝いを頼んでくる。別にクラス委員とかじゃないのになんでだろう、と不思議に思いつつも、プリントの整理などの単純作業は嫌いじゃないから私はいつもふたつ返事だ。最上先生は「ありがとう、じゃあお願いね」にっこりと微笑んでから、ふと私のお弁当に目を向けた。

「大野さんのお弁当、美味しそうね」

「兄の手作りなんです。あ、でも卵焼きだけは私が作ったんですよ。唯一の得意料理なんで!」

「たしかに、形も色もとっても綺麗で美味しそうね」

「でしょう。よければおひとついかがですか」

「え、いいの?」

 正直冗談半分の提案ではあったが、そんなに期待たっぷりに乗られると面映いような、それでいて喜ばしい気持ちにもなる。

 あ、でもどうやって渡そう。箸は自分の分しか持ってきてない——と思ったら。最上先生は瞳を閉じて、歯医者の診察を待つみたいに唇を開けた。

 これは、あーん待ち……ってこと?

 艶やか美人教師にあーん待ちされるとかいう二次元すぎるシチュエーションに、まさか自分が遭遇することになるなんて。

 躊躇しつつも、この女子校では友人感のあーんは結構見かける。私は箸で掬い上げた卵焼きを最上先生の口に運んだ。

「ん……」

 卵焼きを食べただけなのに、漏れ出た声がなんとも色っぽい。少し変な汗が出るのを感じながらも、

「どうですか」

 と尋ねると、先生は頬に手を添えて微笑んだ。

「とっても美味しいわ。ありがとう」

 なにげに兄以外に手料理を食べさせたのがはじめてだったな、なんて思いながら私も「よかったです」と微笑み返した。

 それから去っていく最上先生の後ろ姿を眺めながら、ふと思った。

 この女子校では友人感のあーんは結構見かける、けれど。そういえば。神田川さんと五ヶ瀬さんはやっていないな。

 まぁ、よく見かけるだけで誰彼構わずやっているわけではないから、別におかしなことではないけれど——。

「遊良、頬にご飯粒ついてるわよ」

「え?」

「取ってあげる」

 しばしの間。やがて、五ヶ瀬さんが「ありがとう」と言う……取ってあげたお米は。お米はどうするんですか。

 振り向こうか振り向くまいか葛藤の末、私がかすかに顔を動かし後ろの様子を伺うと、神田川さんがティッシュを折りたたんでいた。

 あ、へぇ、なるほど。あーんはしないけどそういうことはするのね。でも、食べはしないのね……。

 いや、別に、特別おかしなムーブではないけれど。彼女たちの行動はあくまで友愛に基づくもの。私が勝手に脳内変換しているだけなのだから。

 でも、なんというか、こう……近いんだけど近すぎないというか、でも近いというか。その距離感がいいんだよなぁ……私の推しカプも——。

「……遊良って」

「なに?」

「頬、すべすべよね」

 んんっ!?

 覚えのあるシチュエーションに、私は咽せそうになる。

 え、最近似たシチュ描いたよ、私。美園(みその)桜子(さくらこ)の頬についたパンのかけらをとってあげて本当はそのままキスしたい気持ちに駆られたけれどその一歩が踏み出せずに「桜子って頬すべすべだよね」と誤魔化して桜子が「何恥ずかしいこと言ってるんですか」と照れるシチュ。

 逆輸入、じゃないけれど、私が先に妄想したことを、現実の女子たちがやることがやる場面に立ち会うことがあるなんて。咽せなかったのがむしろすごい。

「あーちゃんだってすべすべでしょ。スキンケアなに使ってるの」

「私は——」

 とはいえやはり現実はあくまで友愛。どちらもさして照れることなく、そのまま穏やかに美容トークが続く。

 それでも私は背後に咲く花園にときめき、心の中で両手を合わせながら、悶々と妄想をしつつ、創作意欲は堪えつつ、今日も今日とて美味しい弁当を平らげたのだった。



 時は放課後。昼休みに依頼されたとおり、私は最上先生のお手伝いでプリントの整理をしていた。

 最上先生はおしゃべり好きなようで、一緒に作業をするたびに私にいろんな質問を投げかけてくる。好きな食べ物は、とか。休みの日はなにしてるの、とか。お見合いみたいだな、と思う。お見合いしたことないけど。最上先生は聞き上手でもあるから、手よりも口が動いてしまうところがあるがご愛嬌。日がそこそこ傾いたところでようやくプリントの整理が終わり、「みんなには内緒ね」とお駄賃がわりに購買の人気パンである、とうきびパンをもらった。

 それをしまおうとバッグを開いたところで、私は数学のノートがないことに気づく。おそらく教室に置き忘れてしまったのだろう。

 今日の小テストはぼろぼろ、さらに宿題もやり損ねたとなればあまりにも悲惨である。

 二年生の教室が立ち並ぶ三階へと向かった。

 がらんどうの教室をいくつか通過していくと、人がいる教室が目に入った。

 その人はとんでもない美人の、神田川さんだった。

 とっととノートを回収したかったが、教室には神田川さんの姿しかない。こんな遅い時間まで何をしているのだろう、しかも物憂げな顔で。そう思うと、なんだか教室に入りづらく、陰に潜みながら様子を見ていると、神田川さんはある席の傍にかけられた縦に長いケースを手に取った。

 ケースの中から現れたのは——リコーダー。

 ……?

 なんで、リコーダー……?

 選択芸術の練習でもしていたのか——うん? いやいや、待って。なにかおかしい。だって神田川さんの選択芸術科目って、私と同じ美術だよね?

 というか、あれ、と私は窓辺に目を向ける。うちの教室にあんな花瓶あったっけ。

 そう思って頭上の看板を見るとそこには、二年四組と書かれていた。神田川さんがいるから自分のクラスかと思ったけれど、違う。隣のクラスだ。

 え、どういうこと。どうして神田川さんは隣のクラスの、誰かのリコーダーを手に取っているの。

 どうして神田川さんは——リコーダーの唄口にを咥えようとしてるの???????

 動揺のあまりつい息を呑んでしまった。その音を拾われたのだろう。凄まじい速度で、神田川さんの顔が私の方を向く。

「ひ」

 絶対、間違いなく、まずい場面を見た。逃げなくては、忘れなくては、と思うものの、神田川さんはあっという間に私の方に距離を詰め、私の手を掴むと、教室の中に引っ張り込む。そして掃除用具入れに私の背を押し付けた。

「見た?」

「えっと」

「見たわね?」

「み、見てないです!」

「見たでしょ」

 逆光になった美人の真顔はとてつもなく怖い、ということを私はその日よく知った。泣きたい気持ちになりながらも私は蚊の泣くような声で「み、見ましたぁ……」と答えた。

「神田川さんが、そ、そのぉ……り、リコーダーを舐めようとしているところ」

「舐めようとしてたわけじゃない」

「えっ、そうなんですか!? と、とんでもない見間違いを——」

「味わおうとしていたの」

「……ん?」

「舐める如きで足りると思う? 遊良のリコーダーを」

「え、それ、ご、五ヶ瀬さんのリコーダー……!?」

「遊良以外のリコーダーなんて味わうわけないでしょ、気持ちが悪い」

「は、はぁ」

「まさか人に見られるとは思わなかったけど」

 いや、そうだろうか。

 日没しかけの学校に残っているのは部活動に勤しむ生徒がほとんどいえど、私みたいに忘れ物をとりに来たりで生徒が教室に出入りすることは少なくないのではないか。危やばいことするにしては危機意識が足りないんじゃないかな、神田川さん。

 そう思いはしても、口には出せない。というかいまだに信じ難い。あの神田川さんが今日日小学生でもしないだろう、他人のリコーダーを舐め……じゃなく、味わうなんて行為をするとは。しかもその相手は、五ヶ瀬さんだとか。

「見られたからには、あなたにも業を背負ってもらわないと」

「……へ?」

「出席番号二番、大野小春さん」

「は、はい……?」

「あなたは、少年誌で連載されている漫画「ビビッド・ダンピール」略して「ビビダン」に出てくるヒロインにして犬猿の仲である天上院美園てんじょういんみその淡雪森桜子(あわのゆき さくらこ)のカップリング、「そのさく」の過激派固定厨」

「え」

「イラストや漫画を描いてはSNSに投稿し、創作投稿サイトと合わせるとフォロワーは総勢三千人超。一番伸びた作品は美園が桜子の×××を◾️◾️◾️して△ △ △が⚪︎⚪︎⚪︎する漫画。こういうのが性癖なのかしら」

「ミ゜」

「最近の悩みは、主人公×桜子信者から匿名お気持ちメッセージが届くこと。それをSNSで晒してレスバしたことでプチ炎上したわよね」

「おああああああああ……」

「意見が合わない相手と徹底的にやり合うなんて、意外と好戦的なのね。それとも、「そのさく」への愛ゆえなのかしら。空想から火を生むなんて、すごいわね」

「お、お願いだから、もうやめてください……」

 リアルの知り合いには誰にも、私の創作アカウントを教えたりしていないのに。よりにもよって、どうして、私とは交わることのないはるか高みにいる存在の神田川さんがそんなことを知っているのか。

「万が一に備えてクラス全員の弱みになりそうな情報を握っておいてよかったわ」

「そ、そんなことしてるんですか……!?」

「他の人の弱みは教えないわよ」

「教えてもらわなくても結構です!」

「ところで、三ヶ月ほど前、自我発信用の裏垢で「百合漫画描いてること学校でバレたら死ねる」と呟いていたわね」

「待ってそれフォロワー限定で許可してるやつえっ私のフォロワー欄にいるです!?」

「バラされたくないわよね?」

 きっぱりはっきり圧たっぷりに言われてそこでようやく私は今、ただただ秘密を晒し上げられたわけではなく、脅されているらしいことに気がついた。

「……見なかったことにすればいい、ということ、ですか?」

「話が早くて助かるわ。でもね、私、口約束は信じない性質なの」

 と、神田川さんはポケットからスマホを取り出して操作する。と、私のポケットのスマホがぶぶっと震えた。

 見てみると、チャットアプリの神田川さんのアカウントから、はじめての連絡が届いていた——。

「電子、誓約書?」

「こんなこともあろうかと用意しておいたの」

 弱みだの誓約書だののリスクヘッジをするより先に、やばいことする場所とタイミングをどうにかしてくれ!!!!!!

 と思ったが、やっぱり私は言えずに、とにかくこの風邪を引いたときにもみなさそうな悪夢のような状況から一刻も早く脱そうと「わ、分かりました……」と電子誓約書を開く。そこには「互いの秘密を口外しないようにしましょう、破ったら社会的に殺すぞ⭐︎」といった感じの内容が至極丁寧な文言で記されていた。

「あ、ちょっと待って。一文書き足すから」

「え?」

「……はい、できた。更新して」

 言われるままに更新ボタンを押すと、末尾に一行追加されていた——。

「なお、大野小春がこの誓約書にサインをする場合において、神田川晶の恋愛に協力することも条件とする……?」

「前から目をつけていたの。あなた、女の子同士の恋愛に詳しいんでしょ。今日の昼も、あなたの作品を参考にさせてもらったのよ。遊良には刺さらなかったみたいだけれど」

「え……あっ!?」

 確かに最近私が描いたそのさくと似たシチュエーション、とは思ったけど。まさか本当に真似ていたとは——というか。

「神田川さんって、その……えっと、もしかして、五ヶ瀬さんのことが好きなんですか……?」

 話の流れからして五千パーセントそうだろうが、それでも念のためおずおずと尋ねる。

 神田川さんはひとつ瞬き、それから艶やかな黒髪をそっと指に絡ませて瞳をそっと伏せる。

「……そうよ」

 夕日のせいではなさそうな、頬のあからみ。やっていることも、されたことも、かなり驚いたし、そこそこ悪い。なのに。

 この光景を前にしただけで、今までの動揺も困惑も全て滅する。私はただただ、明らかに恋をする神田川さんが、それをひた隠しながら五ヶ瀬さんと友達をしているとてつもなくかわいいなと思ってしまった。

「わ、分かりました……!」

 私はすぐさま誓約書にサインを記し、確定ボタンを押してから、神田川さんを仰いだ。

「二次元知識しかないですが、それでもよろしければ! 力になります!」

「……本当に、いいの?」

 誓約書を書かせておいて、神田川さんは少し虚をつかれたような表情をする。はじめて見る神田川さんの表情オンパレードである。そしてその全てが美しいだけでなく大変かわいい。そっかそっか、そうだったんだ。ゆいあきは公式だったんだ。いや、今はまだ、ゆい←あきか。五ヶ瀬さんの気持ちももちろん大事だけれど、でも、この神田川さんを見ていると、どうにか報われてほしい、と思ってしまう。が、それはそれとして。

「でも、人様のリコーダーを舐め……味わうのは、正式に交際に至って、相手に許可を取ってからにしましょうね」

「……それ、恋愛アドバイス?」

 神田川さんはちょっぴり口を尖らせてから「分かったわ」と答え、リコーダーをケースにしまい、五ヶ瀬さんのものと思しき席に戻しにいく。

「あれ、あーちゃんと大野さん?」

「ごっ、五ヶ瀬さん?」

 今最もこの教室にきてほしくない人が、教室の入り口からひょっこりと顔を出した。

 部活中か終わったばっかりなのか、上にはバレーボール部の部活ジャージを、下にはユニフォームの丈の短いパンツを纏っていた。そこから伸びるむっちりと白い太ももが色っぽいし、ジャージ越しからでもわかるほどにやはり乳がでかい。

 いや、そんなことよりも。私はぱっと神田川さんの顔を見た。神田川さんのただでさえ白い肌が、青くなっていた。か、神田川さん……!

「私のクラスで、ふたりしてなにやってるの」

「え、えっと、それはぁ……」

「それに、あーちゃんはなんで私のせいのそばで屈んでいるの。そこになにかあるの?」

 五ヶ瀬さんが神田川さんに近づこうとする。

 ま、まずい——と私は考えるよりも先に神田川さんを背に隠すように、間に割って入った。

「む、虫がいたんです!」

「虫?」

「そう、それはもう大きな虫で! 一応追い払ったんですけど、あの席、ご、五ヶ瀬さんの席だったんですね。その近くで、なんかもぞもぞとしてたので、なんか、落ちちゃったりしてないかなぁって、神田川さんが、掃除しようとしてくれていたんです! すごい、やさしいですよね!」

「そうなの、あーちゃん」

「え、ええ……」

「でも、あーちゃん、虫、苦手だよね?」

 ただでさえ苦しい嘘に、知らない情報。やってしまった。どうフォローしたものか——。

「そ、それでも……遊良の席だから……なにかったら嫌だと思って」

「え、虫苦手なのに、私のために掃除してくれようとしていたの?」

「そ、そうよ」

 五ヶ瀬さんがじっと、神田川さんを見つめる。

 いけるか。どうか。固唾を飲んで見守っていると、やがて五ヶ瀬さんはふんわりと破顔した。

「そっかぁ。もー、あーちゃんって本当にやさしいんだから。ありがとね、あーちゃん。大野さんもありがとう」

「い、いえ〜……」

「あ、ついでで悪いけれど、あーちゃん、私の机の中から、プリントとってくれる? 顧問に出すやつ、入れっぱなしにしちゃってたみたいで」

「あ、ええ、分かったわ」

 神田川さんが五ヶ瀬さんの席の椅子を引き、机の中に手を伸ばす。

 その間に、五ヶ瀬さんが。

「大野さん」と甘い声で呼んだ。

 私が瞬き目を向けると、五ヶ瀬さんは一歩こちらに近づき、そして私の耳元で囁いた。

「私のあーちゃんに余計なことすんなよ」

 地を這うような低い声。え、と私が声を漏らすより先に、五ヶ瀬さんは神田川さんの真横に移動していた。

 そして砂糖菓子のように甘い声で「プリントあった?」と尋ねて「あったわよ」と答えた神田川さんから受け取る。

「ありがと、あーちゃん」

 にぱっと花が咲くように笑った五ヶ瀬さんは流れるように神田川さんを抱きしめた。

「もう、大袈裟ね」

 神田川さんは呆れたような口ぶりだが、先の恋心を聞いた今だと、嬉しいのを必死に隠しているように見える。

 だが、それよりも。ちらりとこちらを見た五ヶ瀬さんが牽制するように瞳を細めるのがとても怖い。

「じゃあ、私、部活に戻るね」

 それから五ヶ瀬さんはぱたぱたと教室を出て行った。神田川さんはほっと胸を撫で下ろす。

「終わったかと思った……」

 それから、神田川さんがそっと微笑んだ。

「さっきは庇ってくれてありがとう、大野さん」

 なんとも美しい。それと同時に、思う——もしかして、庇わない方が神田川さんの恋、早く成就してたりしたかな……?

 先の五ヶ瀬さんの短時間にして深い爪痕を残す凄まじいマウントを見るに、この恋において私のアドバイスは不要というか、余計な気がしてならない。

 そうは思うも。

「遊良とは仲がいい自信があるわ。でも、だからこそ、私の恋が伝わりづらいというか……平気でスキンシップもされるし……だから、その」

 艶やかな黒髪を耳にかけながら、神田川さんはそっと首を傾げる。

「大野さん……これから、よろしくね?」

「はい、よろこんで!」

 あまりの麗しさに考えるよりも先にそう答えてしまった私は、クール美人だけれどちょっと突飛でとてもかわいい神田川さん、アイドル美人だけれどもしかしたら少しお腹が黒くハートがヘビーかもしれない五ヶ瀬さん、ふたりが起こす波乱に巻き込まれることとなるのだった。

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