昇華
消火隊と捜索隊として城下に下りていた三師。そして殿で遡州に向かったばかりの一軍を呼び戻して徹底的な捜索が行われた。捜索は三日三晩続き、火付けをしていた者たちが続々と捕らえられる一方で、城下郊外に潜んでいた不審な軍勢を引き返してきた一軍が見つけ捕らえてきた。どうやらこの一団が火災に乗じて王宮に攻め入るための一団だったらしい。火付けをした者たち共々、寧の兵士だった。
捕らえた寧の兵士を尋問した結果、狙いが武戴の首と虎梁を捕らえることだったと白状した。虎梁を捕らえ、寧へ連れてゆくことができれば莫大な褒章が約束されていたのだという。虎梁の、渓の王族の力を利用するためだったのだと、その兵士は語った。
「やはり私も狙われていたのか」
露台の上から街を見下ろしながら虎梁は呟いた。城下の街はあちこちに火災の痕が残るものの怪我人はいなかった。幾つかの建物は全焼を免れることが出来なかったが、それでも死人怪我人が無くて幸いだった。虎梁の呼んだ雨は間違いなくこの街を救ったのだ。
虎梁の特異な力のことは瞬く間に城下へ知れ渡り、街に下りると街を救ってくれたことへの礼を言おうと民に囲まれるようになってしまったため、辟易して此処の所はずっと城内に留まり雑務を片付けていた。
「梨花の手引きだったとか……信じたくはありませんが、事実なんですね」
隣で苦い顔をして飛が言う。もう飛は梨花に「様」を付けなかった。梨花は虎梁を陥れ、捕らえようとした。例え長年そばにいた乳母であっても、梨花は敵だった。敵に対して敬称は必要ない。飛はそう決めたようだ。
虎梁を狙ったのは梨花の助言だったと寧の兵士は語った。梨花が虎梁の力のことを寧王へ伝え、その力を欲した寧王が虎梁を捕らえるよう命を下したのだと。噂をばらまいたのも梨花の手引きで、噂によって虎梁が軍を追われればそこを狙って捕らえる腹だったのだと。しかし噂の効果も空しく状況が変わらなかったため、業を煮やした王により陽への侵攻が決まった。庁會と綾架で禁軍と州師を引き付けて、手薄になった隙に王都に火を放ち混乱に乗じて武戴を討ち、虎梁を捕らえる計画だった。
結局、その計画は虎梁自身の手により瓦解したのだが。
「できれば梨花の本音が知りたかったな。私への情は無かったのか。ただ間諜としての役割を果たすためだけに私を利用していただけなのか。本当の所を知りたかった」
街を見下ろしながら呟く虎梁に飛が静かな声で応える。
「今更聞いたところで詮無い事ですよ。梨花を問い詰めて、そしてまた貴女が傷つくなんて見たくありませんからね」
顔を顰めてそう言う飛に虎梁は苦笑する。飛の言う通り、自ら傷つく道を選ぶ必要はない。情があり、自分も苦悩した、という答えを何処かで期待している自分がいて苦いものが胸を過る。そうでない答えが返ってきたら傷つくのは分かっている。だったら聞かない方が良い。
飛の言葉に「そうだな」と返した時、後ろから兵士が自分を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると麾下の一人が詰所の入口から顔を出して虎梁を呼んでいる。
「主上が今夜、正寝へ来るようにとの仰せです」
虎梁は承知した、と頷いた。
◇
夜、正寝の露台で虎梁は武戴と向かい合っていた。空には満月。酒の満たされた盃に満月が映り込んで静かな輝きを放っていた。
あの日以来、共に忙しく二人で向かい合って話をする機会が無かった。だがいざこうして向き合ってみると、武戴に縋って泣きじゃくってしまったことが思い出されてしまい、居たたまれない気分で身じろぎしてしまう。
そんな虎梁の動揺を感じ取ったのか武戴が小さく笑う。
「落ち着かないようだな」
見透かされて顔に朱が上るのを感じた。
「先日は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「なかなか貴重な姿を見せてもらった」
「……っ、お戯れを」
羞恥に思わず顔を両手で覆う。くつくつと武戴の笑う声が聞こえて虎梁は武戴を軽くねめつけた。
「それより、お体はその後大丈夫なのですか?傷が開いたりはしていませんか?」
気恥ずかしさを誤魔化すようにそう問うと武戴はちらりと自分の襟元を寛げる。肩口から斜めに一本、赤く盛り上がった傷跡が見える。その傷跡が痛々しく見えて一瞬眉を顰めたが、武戴は事も無げに
「大丈夫だ。痛みもないし動きにも妨げは無い。其方の力のおかげだ」
そう言って襟を戻す。事実、武戴の動きには淀みが無いし傷は完全に塞がっていると思って問題ないようだった。
虎梁は安堵の息を吐き、盃の酒をちびりと舐めた。寛いで酒を飲んでいる武戴を見つめて思う。あの日、何故、武戴はわざと斬られたのだろうか。贖罪のためとは言え、斬られれば命の危険に瀕することなど容易く予想がつくはず。この国の王が自ら命を投げ出すなどどう考えてもまともな判断ではなかったはずだ。ずっと聞きたくて仕方なかった疑問を投げかける。
「何故、わざと斬られたのですか?」
武戴は軽く眉を上げて虎梁を見る。
「本当に死んでしまったらどうなさるおつもりだったのですか?」
声が震える。実際、虎梁が力を使わなかったら武戴は間違いなく命を落としていた。手に、武戴を斬った時の感触が蘇って虎梁は軽く体を震わせる。この手で武戴の命を奪っていたかもしれない恐怖が蘇る。
「其方へ贖罪ができるなら、死んでも構わないと思ったのは本当だ」
「武戴様!」
「だが、其方の力があれば死なないだろう、とも思っていた」
武戴の言葉に虎梁は目を見開く。
「其方が翔霞を使えば、人の体液も自在に操れると聞いた。ならば、仮に斬られたとしても其方が癒してくれるのではないか、と思ったのは間違いない」
「武戴様はあれが翔霞だとご存じでいらしたのですか?」
思わず懐を押さえる。貰い受けて以来、肌身離さず持ち歩いている宝笛。
「月駿殿から見せていただいたからな。月雫石でできた笛は他にあるまい」
「だとしても、博打を打ちすぎです。私が翔霞を使いこなせなかったらどうするつもりだったのですか」
「その時は運が無かったと思って諦めただろうな。結果として其方のおかげでこうして生きていられる。だが、其方には酷だったろう。本当にすまなかった」
そう言って頭を下げる武戴に虎梁は慌てて
「頭を上げてください。武戴様に謝っていただくには及びません」
「俺の行動が其方に不要の苦しみを与えたのだ。謝らせてくれ」
「武戴様……」
真摯な眼差しで言う武戴に虎梁は返す言葉が無かった。
渓滅亡の贖罪をしたかった武戴は敢えて斬られることで己の贖罪を果たした。だがそれが虎梁に大切な人を失う恐怖を与えたのは事実。だが、その気が狂いそうな恐怖は武戴を欺いて生きてきた自分の贖罪でもあったと虎梁は思う。
そして虎梁にとっては同時に、故国の仇討ちという目的も一部果たしたことになるのではないか。武戴を斬って命の危機に直面させた。そのまま捨て置けば武戴は死に、完全に仇討ちは成し遂げられただろう。だが虎梁は武戴を捨て置くことが出来なかった。武戴を救ったのは純粋に彼を失いたくないという虎梁の身勝手な理由。渓の王位継承者としての月潤の感情ではなく、武戴を失いたくないという虎梁の渇望から選んだ行動だ。月潤としての自分より、虎梁としての自分の意志の方が強く出た結果だ。ならばもう、自分は故国の柵を解き放たっても良いのではないか。渓の再興はならないが、自分の中に燻る同志達の思いもこれで昇華させてしまって良いのではないか。
不意に涙が込み上げてきて慌てて俯いて堪える。ずっと圧し掛かっていた肩の荷が下りた気がして心がふわっと軽くなる。
「……ありがとうございます」
感極まった声は喉の奥で擦れ、うまく言葉にならなかった。




