月潤(ゆえるん)②
炎が鎮まり渓から陽の兵士が全て引き上げた後、月潤たちは一度渓の街に戻った。焦土と化した故郷は筆舌に尽くしがたい惨状だった。かつての王宮があったところも消し炭と土台が残るばかり。瓦礫の中に人骨を認めたが、それが誰のものなのかは当然ながら判別は出来なかった。
父王が身に着けていたはずの秘宝の笛も、この瓦礫の中では見つかるはずもなく、一行はただ絶望と陽への憎しみを深めただけであった。
月潤たちは渓と国境を接するもう一つの隣国寧に身を寄せた。梨花が寧の出身だったこともあり知古を伝い、渓にほど近い街に住処を得ることが出来た。そこで月潤は長かった黒髪をバッサリと切った。女であることを捨て、新たに「虎梁」と名乗り、男として生きる決意をした。月潤の名は、復讐を成し遂げるその日まで封印する。
身分を隠匿し、街での生活を始めた虎梁は武術の鍛錬を始めた。陽への復讐にはまず彼の国の内部に潜り込む必要がある。伝手も何もない状態で、一番手っ取り早いのは軍隊に入ることだ。軍に入って腕を認められれば上層部へ食い込むことが出来る。
虎梁達を匿ってくれた家の主人が武術に長けた男で、虎梁はこの後長く彼に師事し、腕を磨いた。元々剣武の才があったのか、虎梁は瞬く間に腕を上げ、三年も経つ頃には近隣の誰も虎梁に敵うものは無かった。
十五になったその日、虎梁は陽の軍の門扉を叩き入隊した。
女の身で在りながら、男の名前を名乗り入隊してきた新入りに、軍は優しい場所ではなかった。隙あらばねじ伏せようと、虎視眈々と狙ってくる同輩たちを涼しい顔であしらい、逆に再起不能なまでに叩きのめすことを繰り返していくうちに、虎梁の地位はどんどん上がっていった。
男であろうと短く切った黒髪は、しかし一度軍に入れば女だという侮りから逃れられることもなく、いつしか切ることを放置したため、幼いころと変わらぬくらいにまで伸びていた。入隊から六年の時を経て、史上最速の速さで虎梁は禁軍左軍将軍の地位に上り詰めていた。
「虎梁様?」
黙り込んでしまった主人を訝しんで飛が首を傾げる。
「……もしや、迷っておられるのでは?」
眉を顰めて言う声音はどこか責める色をしていて虎梁は月を仰ぐ。
「……迷ってなどおらぬ。我が身は一族のためだけにあるのだから何を迷おうか」
口から出る言葉は嘘ではないが本音でもない。
「其方らの期待に応えることが我が使命。そうだろう?」
本音を悟られぬように彼の望む言葉を口に乗せ、静かに微笑んで見せた。
その表情を見て、飛は少し安堵した顔をする。飛はあの惨劇の時はまだ五つだった。彼の記憶にあるのは、紅蓮の劫火に焼き尽くされる故郷の姿のみ。だからこそ、虎梁が復讐のため軍に入るといったときは諸手を挙げて賛成したし、そんな虎梁を支えたいと自ら進んで官吏の試験を受けて異例の若さで合格し、虎梁の側近の地位を得た。
彼の中では復讐は当然のことであり、主である虎梁もそうであるべきと思っているのに、時折主が見せる迷いを含んだ眼差しが理解できないのであった。
本心を見せてくれない主に、少し拗ねたような表情で飛は視線を逸らした。
「虎梁様はずるいです」
「ずるい?」
「ずるいです。一族の仇討ちこそが自分の使命と仰りながら、どこか迷った目をされる。でも本心を私には語ってくださらない。ずるい主人です」
思いもよらない言葉に虎梁は軽く息を呑んだ。己の心中の迷いを悟られぬよう隠していたつもりだが、この腹心には悟られていたようだ。
拗ねた表情の彼はどこか子供じみていて虎梁は苦笑する。
「一族の仇を取りたいというのは紛れもなく私の本心だ」
「……っ、ですが!」
「ただ、少しだけ其方よりも色々な経験をしている分、思うところがあるだけだ」
少しくだけた表情になり、飛の肩を軽く叩く。
主と麾下ではなく、友人の顔になった主に飛は言葉に詰まる。その顔で言われたらもう飛には何も言えない。
「……やっぱり虎梁様はずるいです」
唇を尖らせるその様子は渓にいた頃のままで虎梁は少し笑った。
「飛こそ、十分にずるい」