不本意な手合わせ
「虎梁、腕比べだ」
思わず、投げられた刀を受け取った虎梁は武戴の言葉の意味を掴みかねて首を傾げる。
「何を……」
訝しげに武戴を見ると武戴は腰の刀を抜き、切っ先を虎梁へ突き付けた。
「久しく手合わせをしていなかったな。どのくらい腕を上げたかみてやろう」
「主上、今はそんなことをしている場合では——」
言い終わらないうちに、武戴が地を蹴って切り込んできた。胴を狙ってきた斬撃を寸でのところで手にした刀で受け止める。高い金属音を立てて刃が噛みあう。周囲の皆が呆然とその様子を見ているのが視界の端に映った。
「くっ……お止めください!」
斬りかかってきた刃を両手で押し留めるが、圧倒的な力の差にじりじりと押され、思わず一歩後ずさる。僅かに体勢が崩れた隙を狙って刃が跳ね上げられ、切っ先が頬を掠めた。鋭い痛みが頬に走る。
「飛、離れていろ!」
傍でおろおろと立ち竦んでいた飛にそう言うと、素早く地を蹴って立ち位置を変える。飛から離れ少しでも人気のない場所へと移動して改めて刀を構えた。
頬を生暖かいものが伝う感触がして袖で拭う。べっとりと袖口に血が付いた。
虎梁は武戴の思惑が理解できず混乱していた。今最も成すべきことは城下の守りを固め、火付け隊を捕らえ、怪しい動きをしているものがいないか取り締まるべく指示を出すことだ。腕比べなど、こんなことをしている場合ではないはずだ。
武戴が虎梁に切っ先を向ける。鋭い眼差しに射抜かれるような気がして身が震えた。それは紛れもない、殺気だった。
「主上、お止めください!何故このようなことをなさるのですか!」
叫ぶように問うと、武戴は鋭い眼差しのまま
「兵の士気を下げぬために、何某かの処分が必要なのだろう。ならば、ここで私と其方が打ち合えば最も話が早い」
そう言って周囲を一瞥する。いつの間にか露台には武戴と虎梁を中心に大きく円を描くように空隙が空き、遠巻きに人だかりができていた。
武戴はその場に響き渡るような声で言う。
「皆聞け!虎梁の処分については今、これから私と虎梁が打ち合う。虎梁が負ければ将を下りてもらう。勝てばこの件については不問とする」
「お待ちください!それではどちらかが深手を負い最悪命を落とすことになりかねません!」
青い顔をして冢宰の浩然が止めに入る。当然だろう。互いの得物は真剣。相手を殺すための武器だ。勝負の決着をつけるのであればどちらかが大きな傷を負うことは間違いない。これが虎梁に対する処分であれば虎梁が傷を負うのは皆納得できるだろうが、万が一武戴が深手を負い、致命傷にでもなったら国の一大事だ。
「この国の王と、亡国の王族の一騎打ちだ。決着をつけるにはうってつけだろう。なに、天の加護があれば私が負けることはあるまいよ」
不敵な笑みを浮かべて武戴は言う。
「しかし、主上に万が一のことがあったらどうなさるおつもりですか!」
「私が負けるとでも?」
「可能性が皆無であるとは言い切れません」
「甘く見られたものだな」鼻で笑って浩然を一瞥する。「もし私が斃れた時は虎梁がこの国の王になればよい」
「主上、それは――」
「元々後継には虎梁を考えていたのは其方も知っているだろう。それが早まるだけよ」
「しかし――」
ざわ、と場が騒めく。衝撃的な武戴の発言にその場にいる者全員が唖然とした表情になる。反発を露わにする者、ただただ驚愕に目を丸くする者、複雑そうな表情で武戴と虎梁を見つめる者、様々な感情が入り乱れてその場は騒然とした。
「虎梁が渓の王族ならば、これは正当な仇討ちでもある。私を斃してこの国の王となり、渓を再興するも良いだろう」
「私はそんなことは望んでおりません!」
切っ先を下ろし、虎梁は叫ぶ。仇討ちなど求めていない。国の再興などとうに諦めている。虎梁の願いはただ一つ。武戴のために働くこと。武戴のために力を使い、彼の国を守ることができればそれで良かった。
「私は主上の麾下で、この国の将軍です。国のためにならないことはしたくありません。私の存在が軍の士気を下げると言うなら、今この場で将軍の座を辞します」
「却下だ」と武戴はにべもなく言う。「こうなった以上、私と其方が打ち合わねば収まるまい。逃げることは許さぬ」
「ですが、主上に刀を向けるなどできません!」
「いつもの手合わせだと思えばよいのだ。得物が違うだけで、やることは変わらぬ」
「嫌です!こんなことをして——」
何になるのだ、と言いかけた言葉は武戴の斬撃によって遮られた。目にも止まらぬ速さで武戴が地を蹴り、虎梁に斬撃を浴びせてくる。咄嗟に刀を構えて斬撃を受け止めた。今まで受けた斬撃の何倍も重たい一撃。刃越しに武戴と視線が交わる。その目には殺気が宿っており、武戴が本気だということがひしひしと伝わってきた。
虎梁は足元から震えが立ち上るのを感じた。武戴は強い。間違いなくこの国で一番の遣い手だ。剣技の優劣は技量だけがものを言う訳ではない。間合いの取り方や瞬間的な判断力、恐怖に呑まれない胆力など全てを総合して、優れている者が遣い手と呼ばれる。武戴はその全てが極めて優れている。生来のものとして体格と膂力の劣る虎梁が敵う相手ではない。
受けた刃を押しのけることが出来ず、身を捩って受け流し跳躍してその場を躱す。体勢を整える前に次の斬撃が来て、これは転がることで何とか避けた。武戴の斬撃には迷いが無い。本気で殺すつもりで来ている。
「どうした。逃げてばかりでは勝負にならぬぞ」
素早く武戴の間合いから距離を取り、刀を構える。
何故、と虎梁は泣きたい気持ちだった。この騒動の責任をというのであれば、虎梁を罷免すればいいだけの話。何故打ち合わなければいけないのか。武戴に刃を向けたくない。敵わぬ相手とはいえ、何かのはずみで傷つけてしまうこともあるかもしれない。武戴を傷つけることだけはあってはならない。だから戦えない。
間合いを詰めてくる武戴に距離を取ろうと後ずさる。だが、すぐに露台の胸壁に突き当たってしまい退路を奪われる。目の前には殺気を漲らせた武戴がじりじりと間合いを詰めてくる。逃げることは叶わない。
虎梁は唇を噛む。やはり受け入れてはもらえないのだろうか、と思った。出自の如何を問わず、とかねてより武戴は言っていたが、実際に渓の王族が目の前に現れ、それが自軍の将軍にまで上り詰めていたとなれば受け入れ難いものではないだろうか。だからこそ、自分を罷免せず、打ち合うことで処分しようとしているのではないだろうか。
そう思ったとき、唐突に虚無感が押し寄せてきた。刀を取り落としかけて慌てて柄を握る。言葉を尽くしても伝わらないのであれば行動で示すしかない。武戴に対して敵意が無いこと。この国に対して害意がないこと。渓の再興など望んでいないこと。それを伝える方法は最早一つしか残されていなかった。
虎梁は大きく息を吐き、刀を構える。真っすぐに武戴を見据えると僅かに武戴が眉を上げた。間合いを詰めてくる相手に対し、虎梁は身を低くして地を蹴った。
刀を構える武戴の正面まで駆けると斬撃が降ってくる。それを横に飛び退り躱すと一歩踏み込んで相手の背後に回り込む。回り込んだ先で刀を振るう。胴を薙ごうとした切っ先は相手の刀によって遮られ高い金属音を響かせた。防がれた一撃の反動を使って後方へ一旦退く。再度、武戴の懐目掛けて足を踏み出すと、相手も地を蹴りこちらへ一撃を浴びせてくる。がっちりと刃が噛み合いお互い睨みあう。
虎梁の攻撃に武戴は愉しそうに口角を上げた。
「いい動きだ。腕をあげたな」
いつもの手合いの場であれば嬉しい誉め言葉も、今は冴え冴えとして心を抉った。武戴の余裕がただ悲しかった。力の差が歴然としているのだからこんな勝負は意味が無い。一言、「罷免する」と言ってくれればそれで済むものを、何故こんな茶番を演じなければならないのか。
それほどに処分したいか、と刃越しの武戴を見つめて虎梁は思った。たとえ渓の王族であっても構わない、と言ってくれたあの日の言葉は偽りだったのか。その偽りに縋って心からの忠誠を誓った自分はなんと滑稽なことか。そう思うと酷く心が痛んだ。
一旦、武戴から距離を取り、刀を構えなおす。武戴には隙が無い。何処を攻めても刃に阻まれて切っ先が届くことは無い。隙を作るには間断なく攻撃を続けどこかに隙を見出す以外にない。俊敏性を生かした攻撃は虎梁の得意とするところだ。
虎梁は身を低くし、腰に刀を構えると地を蹴った。武戴の間合いに入るとすぐに斬撃が飛んでくるが跳躍して身を躱す。そして斬撃後の隙を狙って攻撃を仕掛ける。だが即座に反応した武戴に防がれ届かない。一歩間合いから出ると横に飛んで別の角度から攻撃を仕掛ける。仕掛けては防がれを幾度となく繰り返す。
――武戴様……
攻撃を仕掛けながら虎梁は心の中で武戴に呼びかける。
――やはり信じてはもらえませんか
渓の王族という烙印を押された自分を。そう思い僅かに苦笑する。身分を偽り、周囲を欺いていたのだから当然だろう。かつて反旗を翻し、武戴率いる陽の軍に滅ぼされた国の王族など忌避されて当然だ。それでも
――貴方に反意など微塵も感じておりません
武戴を信じ、武戴のためにこの身を尽くしたいという思いは真実。それを最早伝える術を持たないことが悲しかった。
間隙無く刀を振るいながら虎梁は決意する。
――信じてもらえないのなら、受け入れてもらえないのならば
打ち合う中、武戴が石畳の縁に足を取られ僅かに隙が出来た。虎梁はその隙を突いて武戴に当て身を食らわせる。想定外の攻撃に一瞬、武戴が無防備になる。そこを狙って虎梁は刀を大きく振りかぶった。
傍目には隙を突いて斬りかかるように見えるようにみえた。だが、虎梁はここで大きく振りかぶることの愚かさを知っている。振りかぶるということは、胴ががら空きになるということ。手練れた者であれば即、返り討ちにできる。だからこそ敢えてそれを選んだ。
虎梁は振りかぶりながら武戴が体勢を整えるのを見た。刀を構えなおすのを見止めて小さく嗤う。
――貴方の手で、終わらせてください
躰に鋭い衝撃が来るのを予想して目を閉じた。
武戴に斬られるならばそれでいい。それでこの苦しみから逃れられるのなら本望だ。同胞たちの思いを背負って軍に入り、使命に縛られ続けた八年間。その使命から逃れるために切り捨てた同胞たち。理はこちらにあると分かっていても拭えない罪悪感。その苦悩を武戴が終わりにしてくれるのならこの上ない僥倖ではないか。
――これでもう、全てから解放される
だが、予想した衝撃はいつまで経っても来ず、代わりに振り下ろした腕に鈍い衝撃があった。
驚いて目を開けると、視界に映ったのは武戴の肩から腰にかけて袈裟斬りに衣服が裂け、その奥にぱっくりと口を開けた赤い肉。一瞬遅れてそこから鮮血が迸った。
「武戴様!!」
虎梁は悲鳴を上げて刀を捨てる。傾いでいく武戴の体を抱きとめる。力の抜けた躰は重く、抱きしめた形のまま虎梁ごと倒れ込んだ。傷から溢れた血が濡れた石畳を赤く染めてゆく。
「傷医を呼べ!止血を……誰か布を持て!」
叫ぶと辺りが騒然として、何名かが詰所の中に駆け込んでいくのが視界の端に見えた。
虎梁は武戴の上衣を裂く。鍛えられた上体が露わになり、そこに一本大きく口を開いた傷口が現れる。その口から赤黒い血がとめどなく吐き出されており、咄嗟に傷を手で押さえたが、押さえた指の間から血が溢れその手を赤く染めた。傷が大きすぎて手に余る。虎梁は裂いた上衣を刀で更に細く裂き、傷を圧迫するように巻き付けてゆく。傷が大きく武戴の上衣だけでは足りず、虎梁は自身の上衣を脱いで裂いた。同時に詰所から兵士が止血用の布を持って来て、それを使って上体にきつく止血を施したものの、血は止まらず巻き付けた布に赤黒い染みが広がってゆく。
「武戴様、何故……」
武戴の上体を膝に抱き上げ虎梁は激しく狼狽していた。斬撃を受けて地に伏すのは自分だったはずだ。武戴が体勢を整えるのも、刀を構え直すのもこの目で見た。あの間合いであれば容易に返り討ちにすることは出来たはずだ。なのに、何故、武戴の方が倒れ伏しているのだろうか。
「何故……わざと斬られたのですか」
蒼白な顔で問うと武戴は痛みを堪えるようにして「ばれていたか」と笑った。
抱き上げた上体には力が入っておらず、武戴は虎梁に体を預けるようにして荒い息を吐いている。溢れる鮮血は抱え上げた虎梁の腕に、膝に、腹にも広がってゆく。間近で見つめる武戴の顔には、脂汗が滲んでおり相当痛みがあるのだろう。だが、それを微塵も感じさせない表情で武戴は静かに笑みを浮かべている。
武戴は片手を上げて虎梁の指先で頬の傷に触れる。先ほど切っ先が掠めたその傷はまだ生温い血を滴らせていた。
「其方の顔に傷をつけてしまったな。すまぬ」
「私のことなどいいのです。武戴様の傷の方が重傷です」
労わるように傷に触れる武戴の手を握りしめて言う。武戴の傷に比べればこんな掠り傷など怪我の中に入らない。こんな時まで自分のことを思いやってくれる武戴の優しさに、頬を涙が伝う。
「何故私をお斬りにならなかったのですか」
斬られて当然だった。武戴と虎梁が打ち合うことになった以上、どちらかが斬られることでしか勝負は終わらなかった。だから虎梁は敢えて自ら隙を作り、武戴に斬られることで終わりにしたかった。己の全てを懸けて尽くしたいと思った主だから、その手で終わらせて欲しかった。だが、武戴は虎梁を斬ることをせず、信じられないことに自ら虎梁に斬られた。自殺行為ともいえるその行動が理解できず、泣きながら問う虎梁に武戴は静かに口を開いた。
「私は其方に贖罪の必要があった」
一瞬、何を言われたのか分からず虎梁は目を瞬かせる。自分が、渓の王位継承者として武戴に贖罪をする必要はあれど、自分に対して武戴が贖罪の必要など有ろうはずがない。そう思っていると
「其方の父を殺したのが私だからだ、月潤」
「……っ!!」
殴られたような衝撃を受けた。
今、確かに武戴は「月潤」と言った。捨てたはずの名を、知るはずのないその名を。ひた隠しにしてきた本当の名を。何故、武戴の口からその名が出るのだろうか。
「ご存じだったのですか……?」
震える声で訊いた。まさか知っていたのか。だとしたらいつから。
武戴は穏やかに微笑んで言った。
「あの日、王宮で見た姫と同じ面差しだ。分からぬはずがない」
「そんな……」
「其方が軍に入ったその時から、分かっていた」
では、最初から全て知っていて、そのうえでそばに置いていたというのか。
告白のあまりの衝撃に虎梁は頭が真っ白になってしまった。
滅ぼした国の姫が仇敵の軍に入る。それは即ち復讐を遂げるため以外の何物でもないのは誰でも分かることだろう。当然の如く軍に入った当初は武戴を斃すことを目標としていた。そんな不埒な目的をもって軍功を積んでいた自分に、武戴は何を思って上の階級を与えてきたのだろうか。階級を上げるということはそれだけ武戴に近づく機会が増えるということ。機会が増えれば弑逆の機会も増える。自ら命の危険を招く行為に他ならない。
無論、階級を進めるにつれて復讐など考えられなくなった。結果論として敵を懐に入れることにはならなかったが、もし自分が当初の目的を堅持し、武戴の寝首を掻く機会を狙っていたらどうするつもりだったのだろう。
「私が復讐のために軍に入ったと、思われなかったのですか?」
「承知の上だ。其方は私に復讐する権利がある」
「権利など……あろうはずがございません」
父王の望外な野心のために滅ぼされた国だ。自業自得ともいえる結末に、復讐の権利など無いはずだ。
武戴は首を横に振り、沈痛な面持ちで口を開いた。
「ある。私の力がなかったばかりに、其方の父だけでなく、母君も姉君も、そして国をも死なせてしまったのだから」
そこには深い後悔の色が見えて取れた。




