寧の侵攻
朝からよく晴れた日だった。空には雲一つない青空が広がっており、眩い太陽が日差しを降らせている。此処の所、空気の冷えが強くなっていたがこの日は降り注ぐ日差しに冷え込みが緩み城内にもどこか安穏とした空気が漂っていた。
そんな中、飛び込んできた青鳥が一つ。
――綾架に乱あり。
「やはり綾架か」
赦鶯が地図を睨みながら言った。部屋の中には武戴と赦鶯、殷石と虎梁の他に王都州師の三将軍が揃っている。壁に掛けられた遡州の地図には綾架の所に印が打ってあった。
「まずは虎梁の予想通りだな」
そう言って赦鶯は手元の書簡に視線を向ける。青鳥で届いた書簡には細かい文字がびっしりと綴られていた。
「綾架とその周辺の三つの街で一斉に蜂起したそうだ。敵の総数はおよそ一師程度。雲嵐率いる中軍が抑えていて今のところは大事には至っていない」
地図の綾架の街と付近の街を指して言う。
「だが、おそらくこれは陽動だろう。本当に警戒すべきは庁會の方だろうな。国境を隔てた峯宵では目に見えて軍の動きがあると遡州から報告が来ている」
峯宵は庁會と大街道で結ばれてはいるがその街道には陽側と寧側双方に門が造られ閉ざされている。門は堅牢で門から国境沿いに長く隔壁が造られていて容易に超えることは出来ないようになっている。
「門楼と隔壁があるからそう容易くは攻めては来れぬと思うが用心には越したことはない」
そう言ったのは武戴だ。厳しい眼差しで地図を見つめている。
「遡州師のうち二軍を庁會の警備に当てているので滅多なことは無かろうが警戒しておいた方が良かろう。王都州師三軍と禁軍二軍はなにかあった時にすぐに遡州へ向かえるよう準備をしておけ」
寧が峯宵にどれほどの軍を集めているかは分からないが、遡州師二軍が国境を固めていれば滅多なことは無いだろう。綾架の乱も一師に対して一軍が対応に当たっている。数の上では相手にもならない。
だが、と虎梁は思う。何か嫌な予感がしてならなかった。虎梁の想像通りに綾架に寧の兵が入り込み、奇襲をかけてくる。そして峯宵には軍が集められ不穏な気配を見せている。妙だと思うのは、綾架で事が露呈したにも関わらず蜂起したことだ。武器を密輸していることが発覚し、旅帥の男が捕らえられれば一旦は計画を中止するものではないか。それをせずにこちらの想定通りに事を起こしたのは何故だろうか。まるでこちらが想定していることを見越したうえで敢えて事を起こし、そちらに目を向けさせているように感じる。
「どうした、虎梁」
浮かぬ顔をしている虎梁に気付いたのか、赦鶯が声を掛けてきた。
「事がこちらの想定通りに進みそうで、少し気味が悪いのです」
「というと?」
「先日の武器の密輸で事が露呈したにも関わらず、こちらの想定通りに蜂起したことです。計画が露呈したなら中止するのが定石のはず。にも関わらず計画通りに綾架で事を起こし、そして峯宵にも不穏な動きがある。こちらが想定しているのを分かったうえで想定通りに事を起こし、何か別のことから目を背けさせようとしている。そんな気がするのです」
虎梁の言葉に考え込むように赦鶯が眉を顰める。
「確かに、想定通りすぎるな」そう言って「では、何から目を逸らせようとしているか想像はつくか?」
「残念ながら今の時点では分かりません。ただ、妙な胸騒ぎがするのです」
これといった確信は無い。ただ、不穏な気配を感じてならなかった。そう訴えると赦鶯は首肯し
「虎梁の勘は鋭いからな。主上、如何致しましょう」
「現時点では綾架と峯宵以外に不穏なところは見られない以上、不用意に軍を動かすのは得策ではないと考える。だが、虎梁の勘も侮れない。不測の事態に備えて王都の護りも固めておくべきだろうな」
武戴はそう言って地図の王都の場所に印を打った。王都から庁會までは馬を使っても十日以上かかる。例え庁會に寧が攻め込んできたとしてもすぐに王都に影響が出るわけではない。だが寧が何を企んでいるか分からない以上、王都の防衛は必須だ。王都を落とされることは即ち国を落とされることになるのだから。
王都と庁會を結ぶ街道沿いには幾つか町や村が存在する。その町や村に耳目として兵士を増員しようと言うことで話を詰めているその最中、突然扉が開いて一人の兵士が部屋の中に駆け込んできた。
「何事か」
赦鶯の言葉に兵士は跪き、
「遡州より知らせがございます。庁會に寧の進軍あり。門が破壊され、侵入を許したとのことにございます」
その言葉に室内に一気に緊張が走った。
「数は?」と問うた赦鶯に兵士は答える。
「三軍相当とのことです」
「三軍だと?」と誰ともなく呟きが漏れる。三軍、およそ四万弱。想定外に多い。
庁會は今、州師二軍が警備に当たっている。通常、州師は二軍から三軍で構成される。遡州は寧と国境を接していることもあり三軍が常備されている。このうちの一軍は州城の警備に必要不可欠。その一軍を除いた二軍を丸々庁會の警備に当てている。
一つの街に二軍というだけでも多いのに寧はそれを上回る三軍を仕向けてきたことになる。数の上では圧倒的にこちらが不利。対抗するためには少なくとも倍以上の兵力が必要となる。
全員の目が武戴に向かう。武戴は厳しい顔で地図を睨むと口を開いた。
「王都州師の三軍を援軍として向かわせる。虎梁軍と殷石軍は王都の警備だ」
「主上、私も参ります」
「駄目だ」虎梁の言葉を武戴は遮って「其方は寧に目を付けられている。先日の噂が其方を貶めるためか利用するためかは分からぬが、其方の名が使われた以上寧の矢面に其方を立たせるわけにはいかぬ。其方は残って王都の護りに尽力せよ」
そう言われると虎梁には返す言葉が無い。実際——口に出すことは出来ないが――寧の目的の一つに虎梁自身が含まれている可能性は高い。梨花から情報が洩れているとしたら、虎梁の持つ力は寧にとっては喉から手が出るほど欲しい力だ。そんな虎梁が庁會へ向かえば逆に敵の思う壺かもしれない。そう思い、虎梁は頷くしかなかった。
「寧の軍勢が三軍だとしても一気に全軍が侵入できるわけではない。遡州師が押しとどめている間に庁會に辿り着き敵を迎え撃つ。心してかかるように」
◇
すぐに出陣の用意がとられ、第一陣が王都を出発したのはその日の昼過ぎだった。時間差で次々に出発し、殿が王都を出たのはそれから三日後の朝のことだった。乾いた強い風が吹きすさぶ朝で、鎧の上から外套を纏った兵士たちは肩を竦めながら王都を後にした。
強風によって土煙が舞い上がり彼らの後姿を煙らせている。虎梁は詰所の見張り台からその姿を見送っていた。援軍が王都を立つ間にも遡州から続報が入り、今のところまだ庁會の二軍は踏みとどまっているようだ。国境の門は破壊されたものの、長大な隔壁が寧軍の侵入を阻んでおり事態は均衡しているとのこと。同時に綾架は雲嵐軍により制圧され、現在は残党がいないか調べているところらしい。
綾架から庁會に至るまでの事態はこちらの想定通りに進んだ。それに対する対処もできている。だが、その後が今のところ想像できずにいる。庁會に三軍を持って侵攻してきた寧が何を目論んでいるのか。長大な隔壁が侵攻の妨げになることは寧も分かっていたはずだ。にも関わらず侵攻してきたということはなにか他に意味があるのではないか。
侵攻の一報を聞いた日から考え続けているが未だに分からない。それが虎梁の心をざわつかせていた。溜息を吐いて空を見上げる。雲一つない青空が広がっていて、今の心境と真逆の景色に皮肉めいた笑みを浮かべた。風が無ければ過ごしやすいのに、と上衣の襟を掻き合わせて思った。
詰所に戻ると奥の卓子で飛が書類に埋もれていた。今、王都に残っているのは虎梁軍と殷石軍の二軍のみ。通常六軍在るところが二軍しかいないため、王都の警備以外の日常業務が集中していた。軍務は刃を振るうことだけが仕事ではない。犯罪や喧嘩などの取り締まりや、土木作業など軍の業務は多岐にわたる。そして何をするにも申請が必要なため書類仕事はつきものだった。虎梁自身、書類仕事は苦手ではなかったが、膨大な数の書類を振り分けて虎梁が裁可すべきものを選別するのは文官である飛の仕事だった。
「任せてしまってすまないな」
飛の向かいに座り、選り分けられた決裁書類を手にしてそう言うと飛は朗らかな笑顔を見せる。
「これが私の仕事ですから。腕の見せ所です」
そう言いながらも手早く書類を選り分けてゆく。異例の若さで官吏の試験に合格しただけありその手際は良い。次々と仕分けられていく書類を見ながら虎梁は軽く笑む。
「殷石殿の所も書類が山積みなんだろうな」
遠く離れた庁會では戦の真っ只中なのに王都は驚くほど静かだった。勿論、兵士たちの間には緊張感はある。虎梁自身も警備のための指示を出し王都内の動向に気を向けてはいるものの、現実にはこうして書類仕事に追われている。その落差に居心地の悪い気分を味わいながら書面に向かった。
書類に埋もれて午前中を過ごし、昼餉を取ると定期報告を受けるため詰所の一室へと向かう。広めの室内には武戴、赦鶯、殷石と冢宰の浩然の姿があった。
「何故、浩然殿がこちらに」
軍の詰所に不似合いな人物がいて思わず虎梁はそう問いかけていた。問いかけられた方は穏やかな笑みを浮かべて
「主上に至急裁可をお願いしたい事案がございまして、この時間はこちらだと言われたので伺ったんですよ」
穏やかさを絵にかいたような壮年の冢宰は誰に対しても腰が低く当たりが柔らかい。しかし怒らせるとこの朝廷の誰よりも怖いという噂の御仁だ。武戴の手元には書簡が並んでおり、恐らく浩然が持ってきた事案なのだろう。難しい顔で書簡を読みながら筆で何かを書き込んでいた。
「私は浩然の持ってきた事案の裁可を先にする故、定期報告は其方らで進めよ」
武戴の言葉に赦鶯が頷き、部屋の片隅に控えた兵士へ目を向ける。
「城下の様子を報告せよ」
赦鶯の言葉に兵士は「はっ」と敬礼し報告を始める。
「今朝の時点では王都内に不信な様子は見られません。城下に耳目を置いて情報を集めておりますが、今のところ街は静かな状態です。軍が出て行ったのを何事かと気にする様子はありますが、それ以外は特筆すべき点はございません」
「外部からの人の出入りはどうだ」
「入ってくる旅人や商人の数は平時と変わりありません。出ていく者の数が若干少ない様子ですが、誤差の範疇かと思われます」
兵士の報告に赦鶯は頷きながら
「今のところは変わりなしか。では午後も引き続き城下の警戒を続けるように」
そう言って兵士に退出を促そうとしたその時、外から慌てた様子で一人の兵士が部屋の中に駆け込んできた。
「大変です!火災が発生しました!」
「なんだと?!」
室内が一気にそそけだった。こんな乾燥した風の強い日に火災が発生したらどうなるか。ただでさえ城下は建物が密集していて火災に弱い。
慌てた様子で全員が詰所の露台へと駆け出した。露台は山の斜面にせり出すように作られた歩廊の幅を大きく取り、城下を一望できるように設えてある。露台に設置された胸壁に張り付き、城下の様子を伺う。
眼下には建物が密集した城下の様子が見て取れるが、その景色の中に複数の黒煙が立ち上っているのが見えた。
「複数の場所から同時に火の手が上がっております。どうやら何者かが示し合わせて火をつけて回っているようでございます」
兵士の報告に虎梁は叫ぶ。
「消火隊を結成せよ!一旅で消火隊を組織して、それぞれの火元に分担して消火に当たれ」
そう言っている間にもまた一つ別の場所から黒煙が上る。虎梁の指示を受けた兵士が慌ただしく動き城下へと向かってゆく。
「火付け隊がいるだと?何者だ」
隣から声がして、見ると殷石が城下を睨んでいる。
城下の黒煙は強い風に吹かれ横に流れる。その根元にちらりと赤い炎が見えた。小さく見えた炎は風に煽られ見る間に大きく姿を変えて隣の建物へその手を伸ばす。赤い手に舐められた建物は負けたようにその身から黒煙を吐き出して更に燃え広がる。
「もしや、寧の者がここまで入り込んでいるのか」
その言葉に虎梁は目を剥いた。その可能性を考えていなかった。それでなくとも王都の警備は厚い。州師三軍に禁軍三軍が護っているのだからおいそれと入り込むことは難しい。だが、それは平時のことで今は王都を守るのは禁軍二軍のみ。隙を突いて入り込むことは容易いことではないか。
そう思って虎梁は血の気が引いた。もしや、これが狙いだったのではないか。
綾架と庁會で大仰な騒ぎを起こして王都の軍を引き付けて、手薄になったところを狙いに来たのではないか。城下に火を放てばその消火対応で軍の手勢が取られる。更に手薄になったところで王宮を狙ってくるのではないか。
「消防隊とは別に火付けをしているものを探す捜索隊を一旅で結成し探し出せ」
虎梁が傍にいる麾下に指示を出した。
そもそも、荊闇から入り込んだ寧の軍勢が王都まで来ていないと何故思わなかったのだろうか。綾架から馬で十日も進めば来ることが出来る距離。綾架に潜伏していたものとは別に王都に向かって潜入してきてはいなかっただろうか。
眼下で建物を舐める炎が風に巻き上げられて炎柱のように立ち上がる。立ち上がった炎柱同士が身をよじりながら一つにまとまり、更に大きな炎の渦を作る。
「火の勢いが強すぎる!消火隊を増やせ!一師を以て消火に当たらせろ!」
指示を受けた兵士が慌ただしく動き、露台は騒然としていた。武戴も赦鶯も浩然も皆が青い顔をして城下の様子を見守っている。兵に消火の指示を出した以上、できるのは此処で様子を見守ることしかない。




