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幽愁の月  作者: 巫部朱莉
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尋問

 赦鶯(しゃおう)虎梁(ふーりゃん)の官邸にやってきたのはそれから数日後のことだった。


 兵士を一伍引き連れてやってきた赦鶯(しゃおう)の手には文官の出仕服が握られていた。


「例の者達の移送が終わり、これから秋官の尋問に入る。其方は書記官として同行せよ」


 やっと来た、と虎梁(ふーりゃん)は気の引き締まる思いがした。思ったより早かった、と思った。囚人を移送するためには警備も厚くする必要があり、もう少し時間が掛かるかと思っていたが、思いのほか迅速に移送したらしい。


 赦鶯(しゃおう)はそんな虎梁(ふーりゃん)の心中を察したのか


「主上が移送を急がせたのだ。いつまでも其方を謹慎させておくわけにもいかない、と」


 と小声で教えてくれた。武戴(うーだい)は変わらず信じてくれているのだと思うと自然と顔が綻んで、それに気づき慌てて表情を取り繕う。赦鶯(しゃおう)から渡された文官の出仕服に着替え、髪を結い化粧をすると赦鶯(しゃおう)の元へ向かう。


 文官の出仕服を纏った虎梁(ふーりゃん)はどこから見ても文官の女官吏で将軍には見えない。赦鶯(しゃおう)赦鶯(しゃおう)と共に来た兵士たちも一瞬、ぽかんとしたように口を開けた。


「……出立が違うと随分変わるものだな」


 赦鶯(しゃおう)が苦笑しながらそう言った。


「軍服とは趣が異なりますから多少は違いましょうけど、自分では分かりません」


 鏡で見てもいつもの自分と大差ないようにしか思えず、虎梁(ふーりゃん)も苦笑する。


「その姿の其方に奴らが気付かなければ、其方の言った通り何者かが其方の名を騙って事を起こしている証拠になる。行くぞ」


 そう言って赦鶯(しゃおう)は踵を返した。虎梁(ふーりゃん)も後に続く。


 来た時と同じく周りを兵士に囲まれて移動する。数日ぶりに出た外は清々しく晴れ渡っていて虎梁(ふーりゃん)は今の自分の境遇との差異に皮肉な笑みを浮かべた。


 これから赴く尋問の場で虎梁(ふーりゃん)の疑いは間違いなく晴れるだろう。だが、何故、虎梁(ふーりゃん)を狙って荒唐無稽な噂が流されたのか。虎梁(ふーりゃん)自身は身に染みて分かっているが、周囲にその理由を説明することは出来ない。どう説明すれば真相を悟られず納得してもらえるか。自然と虎梁(ふーりゃん)の足取りは重くなる。


 そんな虎梁(ふーりゃん)に気付いたのか、赦鶯(しゃおう)が振り返る。


「どうした。顔色が悪い」

「……何故、寧の者が私の名を騙り私を陥れようとしているのだろう、と不可解なのです。敵の目論見が分からず、それが気持ち悪くて……」


 心の内を吐露するわけにもいかずそう言うと、赦鶯(しゃおう)は「ふむ」と考えるように空を見上げた。


「確かにな。恐らく標的として其方が一番適当だったのではないか。女の身で在りながら男の名を持ち、史上最速の速さで禁軍左軍将軍にまで上り詰めた者とあれば話題性に富んでいる。そこに敵国に通じているという醜聞が出回れば騒動も起こしやすかろう」

「敵の目的は禁軍内を浮足立たせることでしょうか」


 そう思ってくれればいい。飛び交う噂も全て、禁軍の混乱を狙った寧の奸計だと。寧と通じているという部分については事実無根だが、虎梁(ふーりゃん)が渓の王族の生き残りだということが事実だと誰にも悟られてはいけない。


「その程度で浮足立つと思われているのであれば、我が軍も舐められたものだ」


 顔を顰めて吐き捨てる赦鶯(しゃおう)に、虎梁(ふーりゃん)は苦笑してみせる。己の身分を偽り欺いているのは事実。その罪悪感に僅かに心内を苛まれながら虎梁(ふーりゃん)は足を進めた。


 赦鶯(しゃおう)に連れられて向かった先は秋官府の府所の一つ。罪人を留め置く牢獄と取り調べのための広間が併設された建物だ。中に入ると前室に数名の人影があり、一斉に赦鶯(しゃおう)虎梁(ふーりゃん)に向かい拱手する。腰に下げた綬から秋官の所属だと分かる。これから尋問を担当する官吏なのだろう。その中の一人だけ出立が異なる者がいた。軍服を纏い、長い髪を後ろに一括りにした女。その者は虎梁(ふーりゃん)と目が合うとにこりと微笑んだ。


「待たせてすまない」と赦鶯(しゃおう)は言って軍服姿の女を呼んだ。「雹華(ばおふぁ)、ここに」


 雹華(ばおふぁ)と呼ばれた女はきびきびとした動きですぐに赦鶯(しゃおう)の元へ来て跪く。


「支度は整っております」

「うむ。虎梁(ふーりゃん)、これから例の者たちの尋問をするが、この雹華(ばおふぁ)を其方として同席させる」


 赦鶯(しゃおう)の言葉に虎梁(ふーりゃん)は首を傾げる。


「私として、ですか?」

「そうだ。例の者たちが本当に其方と面識があれば其方の方に反応するだろう。だが、姿絵などで其方の特徴を知らされているだけであれば、背格好の似ている雹華(ばおふぁ)を其方と認識するだろう。念には念を入れておくべきだと思ってな。そのために雹華(ばおふぁ)には来てもらった」


 雹華(ばおふぁ)は立ち上がると虎梁(ふーりゃん)の隣に並ぶ。確かに背格好がよく似ている。本物を知らず姿絵程度で知っている者ならば間違えてもおかしくないだろう。


「尋問の場では雹華(ばおふぁ)虎梁(ふーりゃん)と呼ぶ。虎梁(ふーりゃん)として立ち居振舞うように。虎梁(ふーりゃん)は書記官として秋官の側に控えよ」

「かしこまりました」


 赦鶯(しゃおう)の言葉に虎梁(ふーりゃん)雹華(ばおふぁ)は揃って拱手した。


 前室から正室へ入ると広い部屋は真ん中を鉄格子で仕切られている。鉄格子の向こう側は堅牢な石壁が続いており、兵士が二名、それぞれ部屋の角に立っている。鉄格子からこちら側には椅子が並んでおり、秋官が真ん中の椅子に腰かけ、虎梁(ふーりゃん)はそのそばに配置された卓子に着く。卓子の上には調書を取るための紙と筆が揃っている。赦鶯(しゃおう)雹華(ばおふぁ)虎梁(ふーりゃん)とは反対側の椅子に腰かけ、用意が整った。


 こちら側が全員配置に着くと鉄格子の奥の扉が開き、手枷をして腰に縄を打たれた男が兵士に前後を挟まれて入ってきた。男はやつれた様子ではあるものの、毅然として前を向き、鉄格子越しにこちらを値踏みするように一瞥した。一瞬、虎梁(ふーりゃん)とも視線が合ったが、興味なさそうにすぐに視線を逸らし、雹華(ばおふぁ)の方に視線を向けるとそこで動きを止めた。男の目が軽く見開かれるのを見て、男がこちらの仕掛けた罠に嵌ったことが分かった。


 男は石畳の真ん中に穿たれた杭に腰縄を繋がれ、その場に座らされた。前後を挟んでいた兵士がそれぞれ鉄格子の脇に控えたところで秋官が口を開いた。


「これより取り調べを行う。名を述べよ」


 男は雹華(ばおふぁ)に注いでいた視線を秋官に向けると静かに答えた。


(りゅう)燈実(どんし)


 虎梁(ふーりゃん)は筆を手にして紙に男の名を書き記した。書記官としてこの場にいるのだから調書を取る必要がある。


「寧国の兵士で間違いないか」

「そうだ」

「軍での階級はなにか」

「師帥を拝命している」


 師帥は五師二千五百名の長だ。男が敢えて捕らえられたのか、それとも捕らえられた事が不測の事態だったのかは今の時点では分からなかった。虎梁(ふーりゃん)は男の様子を伺いながら筆を進める。


「寧の旅帥が我が国に忍び込んできた理由は何だ」

虎梁(ふーりゃん)将軍の要請により、内乱を支援するためだ」


 男が言った瞬間、室内の空気が緊張した。虎梁(ふーりゃん)の筆を持つ手が僅かに震える。男を見ると、その視線は真っすぐ雹華(ばおふぁ)へと向いている。


「其方の言う虎梁(ふーりゃん)とは、我が国の禁軍左軍将軍の虎梁(ふーりゃん)のことか」


 秋官に代わって赦鶯(しゃおう)が男に問う。男はちらりと赦鶯(しゃおう)を一瞥して


「その通りだ。虎梁(ふーりゃん)将軍の命を受け、私はこの国へ潜入していた」

「事実か、虎梁(ふーりゃん)。」


 雹華(ばおふぁ)に向かって赦鶯(しゃおう)は問う。雹華(ばおふぁ)はその問いを受け


「事実無根でございます」と首を横に振る。「私が内乱を起こす理由がございません」

「何を仰る」男はいきり立った。「祖国を陽に滅ぼされた仇討ちのため我が国の手を借りたいと言ったのは貴女ではないか」

「私の祖国は寧だ。滅ぼされた国とはどこを言っている」


 淡々とした口調で雹華(ばおふぁ)は言う。それに対し男は憤ったように


「貴女は渓の王族の生き残りではないか。陽に国を滅ぼされた仇討ちのため軍に入り、王を討つためにその地位にまで上り詰めたとご自身で仰ったではないか」

「馬鹿馬鹿しい。そもそも、私は其方に面識は無い」

「そう言って私を切り捨てようとするのか」

「いつ私が其方と会ったことがあるというのだ」

「半年ほど前に庁會(ちょうかい)天祐(てんゆう)を介して泰然(たいらん)将軍と共にお会いしたではないか。お忘れか」


 男の言葉に虎梁(ふーりゃん)は眉を顰める。確かに半年ほど前に、軍の演習で庁會(ちょうかい)に一時滞在したことがある。だが当然ながら虎梁(ふーりゃん)がこの男と会った事実はなく、天祐(てんゆう)泰然(たいらん)という名前にも一切心当たりは無かった。


「忘れるも何も、全く身に覚えがない。誰か別人と勘違いしているのではないか」

「何と!」


 叫ぶ男を赦鶯(しゃおう)が「止めよ」と鋭く制した。


虎梁(ふーりゃん)、この男の言うことは全く身に覚えがないのだな?」

「天に誓って」

「ならば良い。其方は一度退室せよ」


 そう言うと赦鶯(しゃおう)雹華(ばおふぁ)を部屋から下がらせた。男は出ていく雹華(ばおふぁ)の後姿を睨むように見ている。この会話の間、一度たりとも虎梁(ふーりゃん)の方を見ることは無かった。


 虎梁(ふーりゃん)は筆をおくと軽く息を吐く。男の言動はどうにも芝居がかっており、そう言うよう命じられているように感じた。命じたのは誰か。男が師帥であるなら、それ以上の将軍か夏官長、冢宰、それか寧王だろう。そしてそこに梨花(りふぁ)が関わっているのは間違い無いだろう。男が語った内容は梨花(りふぁ)でないと知り得ない内容だから。


 重い気持ちで赦鶯(しゃおう)の方を見ると、赦鶯(しゃおう)は椅子を立ち男の正面に向かった。


燈実(どんし)とか言ったか。その様に振舞えと誰に命じられた」

「なんだと?」


 男は怪訝そうに眉を顰める。


虎梁(ふーりゃん)が寧と通じるなど有り得ない。誰の命で虎梁(ふーりゃん)を陥れるような言動をしている」

「陥れるも何も、事実だ。虎梁(ふーりゃん)将軍は渓国再興のため我が寧に助力を求めてきた」

「だが虎梁(ふーりゃん)は其方と面識は無いはずだ。面識がないのにどうやって助力を求める」

「私自身が会ったと言っているのだ。虎梁(ふーりゃん)将軍に会い、直々に助力を求められた」

「それは今、退室させた虎梁(ふーりゃん)に違いないか」

「それ以外の何者だと言うのだ」

「あれは虎梁(ふーりゃん)ではない」

「は?」


 男はぽかんと口を開けた。赦鶯(しゃおう)の言葉の意味を理解できなかったのか、脳が理解を拒否しようとしているのか、意味が分からない、という顔で目を見開いている。そんな男の様子に赦鶯(しゃおう)は冷ややかな口調で言った。


「其方が虎梁(ふーりゃん)と思って言葉を交わしていたあの者は虎梁(ふーりゃん)ではない」


 暫し呆然として、そして男は自分が謀られていたことにようやく気付いたようだ。顔色が悪くなり口を戦慄かせている。赦鶯(しゃおう)は男を冷たく見やり


虎梁(ふーりゃん)がこの国を裏切るような真似をするはずがない。何者かが虎梁(ふーりゃん)を陥れようとしているようなので、少しばかり謀をさせてもらったまでよ」


 そう言うと赦鶯(しゃおう)は凄みのある笑みを浮かべた。


「さて、どんな奸計で虎梁(ふーりゃん)を陥れようとしたのか聞かせてもらおうか」



 男は暫くの間、何を問われても貝のように口を閉ざして語ろうとしなかったが、赦鶯(しゃおう)の容赦ない尋問により遂に音を上げて口を割った。


 男が捕らえられたのは不測の事態によるものだったが、綾架(りょうか)の街に潜入している者には並べて等しく虎梁(ふーりゃん)直々に命を受けたと証言せよ、との命が出ている。筋書きは男が語った通りで、どんなに否定されても虎梁(ふーりゃん)直々の命だったと主張するよう命じられていたそうだ。その命に従っていれば、捕らえられたとしても寧の間諜が脱獄の手筈を整えてくれるから案ずるな、と。虎梁(ふーりゃん)の姿絵が寧軍の中で共有されており、その特徴と一致した雹華(ばおふぁ)虎梁(ふーりゃん)と思い込んでいたと。


 どうしてそのような命が下されたのかについては、男は知らないと言い張った。上からの指示だったと。これについては、兵士は上意下達が原則のため、本当に知らないのだろうと思われた。


 結局、男からは寧が虎梁(ふーりゃん)を標的にした明確な理由は得られなかった。疑いの晴れた虎梁(ふーりゃん)は謹慎を解かれ、軍務へと復帰した。

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