突然の拘束
雲嵐軍が諸々の準備を終え、綾架に向けて出発したのは翌日の朝だった。先遣隊の一師が出発したのを皮切りに時間差で次々に王都を出てゆく。殿が王都を立ったのは三日後のことだった。王都から綾架までは十日の道のり。道中頻繁に王都と雲嵐軍、綾架の間で青鳥のやり取りが行われていたが今のところまだ目立った動きは見られなかった。
雲嵐軍が綾架に入った数日後。突然それは起こった。
「虎梁様、身柄を拘束させていただきます」
軍の詰め所で警備の指揮を執っていた虎梁の元に槍を構えた兵士が数名飛び込んできてそう言った。
突然のことに驚き目を丸くする虎梁。側にいた飛も驚愕の表情で固まっている。彼らが何を言っているのか理解できなかった。拘束、と聞こえた気がしたが何の冗談だろうと彼らの顔を見渡すが、全員殺気だった表情でこちらに槍を向けていて、少なくとも冗談ではなさそうだ。
自失から覚めたのは兵士の手が体に掛かってから。虎梁の両腕をそれぞれ兵士が掴み、後ろ手に捻り上げている。
「何をする!」
思わず声を上げるも彼らは無言で腕を掴んだままだ。
「お止めください!どういった料簡で虎梁様を拘束されるのですか!」
慌てて飛が兵士に詰め寄ろうとするが、その体は槍で阻まれた。
「私は逃げも隠れもせぬ。だが、一体どういう理由で私を拘束しようとしているのか、詳細を述べよ」
捻り上げられた腕は痛むものの、毅然として虎梁は彼らに問う。すると部屋の外から足音がして二人の人影が入ってきた。赦鶯と殷石だ。二人とも表情が険しい。
「赦鶯殿、殷石殿。いったいこれはどういうことなのでしょうか?」
虎梁の問いに赦鶯が苦渋の表情を見せる。兵士に虎梁を拘束させたまま重い声で言う。
「雲嵐より青鳥が届いた。綾架の街で不審な者を発見し、捕らえたところ隠れ家から多数の武器が発見されたと。捕らえた者たちは皆寧の兵士で、口を揃えて虎梁将軍の指示だと言っていると」
虎梁は驚きのあまり息をすることも忘れた。寧の兵士が虎梁の名を口にしている。そんなことがあり得るだろうか。そう思って、すぐに思い当たった。梨花だ、と。梨花が虎梁を陥れようとしているのだ、と。使えなくなった駒を処分する気なのだと。
その考えに至った瞬間、怒りが全身を駆け巡った。全身を震わすほどの怒りに虎梁は吐き捨てた。
「あり得ない!私の指示だと?私が、寧の兵士に?あり得ない!!」
「だが、捕らえた兵士の全てが其方の指示だと言っているそうだ」
「あり得ない。何者かが私の名前を騙って私を陥れようとしているに違いない」
赦鶯の言葉に噛みつくように言うと赦鶯はピクリと眉を動かす。
「誰が其方を陥れようとしているというのだ」
「それが分かれば苦労はありません。ですが、天に誓って私の指示ではありません。あり得ません!」
必死に訴える。その声を殷石が鼻で笑う。
「やはり噂通りであったな。其方が寧と通じて乱を起こそうとしている動かぬ証拠が出たではないか。即刻捕らえて反逆罪で処分せよ」
「殷石、今は其方に裁量権は無い。この件については私が任せられている」
赦鶯は言って虎梁を見る。怜悧な双眸がひたと真摯に虎梁を見つめている。虎梁もまた真っすぐ赦鶯を見つめ、訴える。
「これは何かの罠です。そもそも私が寧と通じるなどあり得ない。何者かが私の名を騙り、軍を謀ろうとしているに違いありません。私を陥れ、禁軍内を混乱させその隙を突こうという画策なのでは」
禁軍左軍将軍が処分されるとなると有史始まって以来の大事になる。そうなれば禁軍全体が浮足立ち、その混乱に乗じて寧が攻め込んでくることは十分に想定できる。梨花にとってみれば、不要になった駒を処分すると同時に陽への突破口を開くことが出来るいい機会になるというわけだ。
必死に訴える虎梁を飛がおろおろと青い顔をして見ている。飛も気付いているだろうか。梨花の仕掛けた罠に。
赦鶯はしばらく無言で虎梁を見ていたが、やがて軽く息を吐き、虎梁を拘束していた兵士に手を離すように言った。拘束が解かれ痛む腕をさすりながら赦鶯を見ると、どこか困ったような表情で首を振った。
「私は其方を疑ってはおらぬが、証言があれだけ出ている以上、何もせぬわけにはいかぬ。今回の件については調べが済むまで其方には謹慎を命じる。当分、沙汰があるまで官邸にて蟄居しているように」
そう言うと赦鶯は虎梁に背を向け、ついてくるよう促す。拘束はしないでくれるようだ。赦鶯を先頭に、後ろを虎梁、周りを兵士に囲まれるようにして虎梁は詰め所を出た。
「虎梁様!」
飛の声が追いかけてきたが、飛はその場に押しとどめられて追いかけてくることは出来なかった。
赦鶯はどうやら虎梁を官邸まで送るつもりのようだ。ぞろぞろと連れ立って歩く一行を何事かと通りすがる人々が驚きの目で見てくる。前を歩く赦鶯に虎梁は声を掛ける。
「主上へはこのことは……」
「報告済みだ」
「主上はなんと……」
「……あり得ない、と」
その言葉に虎梁は小さく息を吐いた。武戴がこの妄言を信じていないと分かって安堵した。だが、虎梁の名前が騙られているのは事実。先日の噂話と言い、虎梁を社会的に葬ろうとする意図が見えて背筋から震えが立ち上ってくる。
その程度の存在だったのか、と心の中で呟く。梨花にとって自分はそれだけの価値しかない存在だったのか。乳飲み子のころから側にいた情は無かったのか。自分に見せてくれた優しさはまやかしだったのか。そう思うと胸が痛い。未だに吹っ切れていない自分の弱さが露呈したようで、虎梁は唇を噛みしめた。
◇
官邸に到着すると、虎梁は赦鶯に上がるように促した。
「ご相談があります」
虎梁の自室で、使用人が淹れてくれた茶を差し出して虎梁は言った。
「聞こう」
茶を一口飲んで赦鶯は頷いた。
「今回の件ですが、捕らえられた者たちは全員、私から指示を受けた、と言っているということで間違いありませんか?」
「間違いない。全員が虎梁将軍直々の命で動いている、と言っているそうだ」
「それであれば、その者たちの身柄を王都に移し、私と対面させてみてください。それでその者たちの誰一人として私の顔が分からなければ私の指示であるという疑惑は晴れるでしょう」
「しかし、女将軍は其方しかいないのだから、顔を知らずともその佇まいだけで分かってしまうのではないか」
「ですから、私は敢えて文官の恰好でその者たちに対峙したいのです。秋官の取り調べに同行する書記官としてその場に連れて行ってくだされば良いのです。本当に私から指示を受けた者ならば、文官の恰好をしていてもすぐに私が分かるはずでしょう」
その言葉に赦鶯は「ふむ」と考えるように腕を組んだ。
「なるほど、それで其方のことが分からなければ今回の件は何者かが仕組んだものと分かるわけだな」
そう言うと赦鶯は大きく頷いた。
「分かった。まずは捕らえた者たちの身柄をこちらへ移すよう手配しよう。ただ、それまでの間は申し訳ないが蟄居していてもらうことになる。其方の軍に関しては蟄居している間は私が代わりに指揮を執る。疑いが晴れるまでは辛抱願いたい」
そう言うと赦鶯は茶を飲み干し、軍の指揮について二三確認すると部屋を後にした。官邸の入口には兵士が見張りに立ち、虎梁は外出を禁じられてしまった。
◇
蟄居中は人の来訪も制限される。そのため虎梁は自室で一人悶々として過ごしていた。使用人たちとも普段であれば他愛もない会話をしているが、謹慎中ということもあり虎梁自身が慮って最低限の会話のみをして自室へ引き籠っていた。何の情報も入らず、外に出ることもできず、ただぼんやり外を眺めること三日。焦れる程に長い一日を過ごしたその日の深夜に来客があった。
眠れず、中庭で一人月を眺めていると屋根の上に人影を見止めた。こんな深夜に黒づくめで現れるのは一人しかいない。慣れた気配に緊張することなくそちらを見やると屋根から音もなく夏魁が下りてきた。
「兄様、来てくださってありがとうございます。三日ぶりに人と話せます」
「謹慎になったと聞いたがどういうことだ?」
見張りをしている兵士に気付かれないよう辺りを憚って小声で訊いてくる夏魁に虎梁は苦笑する。
「私を騙る何者かが寧を通じて兵を動かしていたそうです」
「お前を騙る?……梨花か」
「兄様がすぐに梨花を思い浮かべるのでしたら間違いないのでしょうね」
そう言って虎梁は重い溜息を吐いた。心が沈んで仕方なかった。情報が入らず世間から完全に隔離された生活をしていると、自分だけが置き去りにされている気がして堪らない。綾架の街はどうなっているのか、荊闇はどうなっているのか。誰が何の目的をもって動いているのか、この騒動を仕掛けたのが本当に梨花なのか、気になって仕方ない。だが当事者から外されてしまい、蟄居している身では何をすることもできない。そんな苦行に虎梁の心は弱っていた。
「謹慎中のこの身がこの上なく疎ましい」
そう呟いて両手で顔を覆い俯いてしまった虎梁の背を夏魁が優しく撫でる。背に当てられた掌から温もりが伝わってきて、その温もりに僅かに慰められた気分になった。
「お前が寧と通じていないことは明白なのだから、すぐに疑いは晴れるだろう。それまでの辛抱だ」
「本当に疑いが晴れるといいのですが……」
気が弱っているとどうしても猜疑的になってしまう。武戴は「あり得ない」と否定したそうだし、赦鶯も「疑っていない」と言ってくれたものの、捕らえられた者たちが口を揃えて虎梁の指示だったと言い切ればどこかで揺らぐ可能性が無いとも言えない。そうなった場合、この身の処遇はどうなるのだろうか。回り続ける思考の渦に悲観的になってしまい、居ても立ってもいられなくなってしまうのだ。
殷石などは嬉々として虎梁の処分を口にした。あの様子が軍全体に伝播したらそれこそ虎梁の立場は危ういものになる。疑いをもたれた将に命を預けたい兵はいないだろう。断罪はされなくとも将の地位は追われることになるかもしれない。軍にもいられなくなるかもしれない。
そう思って虎梁は唇を噛みしめた。立場を無くし、軍を追われてしまえば武戴のために働くこともできなくなる。今や虎梁の中で武戴は唯一の主であり、追いつくべき目標である。かつて復讐を誓ったあの時とは違う、尽くすべき存在になっているのだ。過去の柵を捨てようやく武戴のために働けるようになったのに、それも失われてしまうかもしれない。
胸を締め付けるような焦燥感に身を焦がしていると、不意に頭に手が乗せられた。その手はそのまま頭をやや乱暴に撫ぜる。
「色々考えこんでいるだろう。お前の悪い癖だ」
夏魁が頭を撫でまわしながら呆れたように言う。
「……そうかもしれません」
「お前が寧と通じていないことは明白なのだ。妙な噂が飛び交っているようだが、王はそんな出鱈目なものに耳を貸す御仁ではないだろう」
「噂のことも兄様はご存じなのですね」
「情報を集めるのが俺の生業だからな。お前が寧と通じて反乱を起こそうとしているなど荒唐無稽にも程がある」
そう言って「しかし」と眉を顰めた。
「お前が渓の王族の生き残り、という噂を広めているのは気になる。梨花の狙いはどこにあるのか……」
「使えなくなった駒を処分しようとしているのではないですか?」
そう自分で言って胸が痛む。梨花の駒だった自分を再認識すると口が苦い。
「いや、寧にとってお前は利用価値がある存在だ。そう簡単に処分しようとはしないはずだ」
「私に利用価値など……。駒として使えなくなった以上、そんな価値がありますか」
「十分にあるな。お前の持つ王位継承者としての力。俺より遥かに強大なその力は如何様にでも使い勝手がある。翔霞がなくても嵐を起こしたり、川を逆流させることのできる力を寧が欲しくないわけがないだろう」
夏魁は虎梁の両手を己の手で包む。双子として生を受けた月潤はその手に強大な力を持って生まれてきた。翔霞の手を借りずとも、己が手のみで嵐を巻き起こし、川を逆流させ、津波を起こすことも容易にできる程の強大な力。その力を自在に操ることが出来るよう、幼少のころから山に籠り修行に励んできた。そしてその傍らにはいつも梨花がいた。梨花は月潤の能力を余すことなく知り尽くしている。その情報が寧にもたらされているのは間違い無いだろう。そして寧がそんな月潤を欲するのは当然のことだ。
寧は今、現王と王弟との間で覇権争いが勃発しているという。ならば、気象を自在に操ることが出来る月潤を手に入れられれば容易く覇権争いに打ち勝つことが出来るだろう。月潤――虎梁は寧にとっては喉から手が出る程欲しい存在なのだ。
「ですが、どうやって私を手に入れようというのです?私は陽の将軍です。どう間違っても寧に与したりすることはあり得ません」
「だからこその噂話なのではないか?噂を真に受けてお前を将軍の立場から失脚させ、軍から追放されたところを取り込む、ということが考えられる」
「噂話に関しては主上が一蹴したのでその案は失敗ですね」
「恐らくそれは想定内だろう。噂だけで事が容易く動くとは流石の寧も思ってはいまい。そこで次に綾架の兵を使ったのではないだろうか。綾架に潜ませた兵の一部を敢えて目立つようにして捕えさせお前の指揮で動いていると証言させる。先の噂に加えてそんな証言が出ればお前は捕らえられ、更迭されるかもしれない。更迭されたところでお前を取り込みに来るのではないか」
「更迭まではされておりませんが、こうして謹慎させられているのはあちらの想定内でしょうか」
「どうかな」と夏魁は考え込むように腕を組んだ。
虎梁が自発的に寧を頼らないことが分かっている今、寧が虎梁を手に入れようとするならば捕らえられているところに急襲をかけてその身柄を攫うということも考えられる。だがさすがに王都の宮城内にある官邸にまで寧の兵が入り込んでくることは出来ないだろう。だとすると、官邸で蟄居している限り虎梁の身は安全ということになる。
「奴らはお前が野に放たれるのを待ち構えているのだろうと思う。だから此処にいる間はどんなに策を練ったところで手の出しようがない。お前は此処にいるのが一番安全だと思う」
「当分、籠の中の鳥でいる必要があるということですね」
「仕方あるまい。寧がどんな手を使ってお前を取りに来るか分からない以上、用心に越したことはない。どちらにしても、お前に沙汰が下るまでは動けないだろう。お前の立場が更迭されることはないとは思うが、もし万が一お前が処分を受けるようなことになった場合は。お前は俺が攫って逃げる」
「兄様……」
驚いて目を瞠る虎梁に夏魁は真摯な眼差しで言う。
「お前を寧なんかに渡してなるものか。この国を出てどこか遠い国へお前を連れて行く。そこで寧も陽も、そして渓も関係ない只人として共に生きよう。お前はたった一人残された俺の家族だ。誰にも利用させない。させてなるものか」
押し殺した声からは強い思いが伝わってきて、虎梁はそっと目を閉じて頷いた。
「ありがとう、兄様」
二度と家族を失いたくない思いは虎梁も変わらない。たった一人残されたかけがえのない兄。もし、軍を追われることになったら夏魁と共にこの国を去ろう。武戴のために働くことができないのであれば、この国に留まる理由はどこにもない。
不意に涙が頬を伝い落ちていった。嬉しいのか、悲しいのか、虎梁自身にも分からなかった。




