遡州からの報告
遡州から報告が来たのはそれから暫く経ってのことだった。
遡州から青鳥を受け取ったと、赦鶯によって虎梁は城内の一室へ呼び出された。向かうと室内には既に武戴と赦鶯、殷石と中軍将軍の雲嵐が揃っていた。武戴に跪拝をして一つ空いていた席に座ると赦鶯が口を開いた。
「件の煙はやはり樵だったようだ」
「樵……間違いないのですか」
そうであって欲しいと思っていた答えなのに、実際に報告を受けるとどこか釈然としない思いに駆られて虎梁は首を傾げた。赦鶯は手にした書簡を見ながら報告を読み上げる。
「先日の会議を受け、遡州師から二旅を出して荊闇の調査に向かったところ、山の中で五名の樵を発見したそうだ。彼らの話によると、荊闇付近の山は良質の木が多く、立ち入り禁止区域で他に誰も立ち入らないので、前々から頻繁に山に入り材木を伐採していたそうだ。荊闇への道自体は山に呑まれて通れない状態だったが、樵が作った獣道があったそうだ。山を下りたところに材木小屋がそれと分からないように作られており、伐採の際に虫を燻すため火を焚いたことも認めている」
報告の内容に疑わしいところは無い。無許可の樵による伐採があった。それだけだ。それで納得できるはずなのに、何かが心にしこりのように残っている。
きっとこれは不安の表れなのだ、と虎梁は思った。梨花の呼び出しと時期を同じくして起きている寧の不穏な動き。そして荊闇から上がる不審な煙。その全てが虎梁の中で結びついてしまっているが故の不安。だからこそ、その一つが関係ないものと言われてもすぐには納得できない理由なのだろう。
「何か疑わしい内容があるか?」
赦鶯に問われて虎梁は首を横に振る。
「いえ、ございません。しかし……」
納得がいかない、という思いが口から洩れる。だがその次に続く言葉を見つけることが出来ずいたずらに視線が宙を彷徨った。
「しかし時宜を計ったように樵も山に入っていたものだな」
中軍将軍・雲嵐が何気なく言った一言が虎梁の耳に止まった。
それだ、と思った。機が良すぎるのではないか。樵も毎日山に入っているわけではないだろう。煙が上がるのが度々、と言われたことから日を開けて入っていたと思われる。その樵が山に入る日と、軍が調査に訪れた日が、たまたま同じ日だったということになる。それは本当に「たまたま」だったのだろうか。
ふと虎梁の脳裏に夏魁の言葉が蘇った。「陽にも間諜が入り込んでいる」と言っていなかったか。もしやあの朝議の場にも間諜がいて、荊闇に調査に入ることが知れたのではないか。遡州にも間諜がいて、調査に赴く日時が漏れていたのではないか。寧が荊闇に入り込んでいることを悟られないために、敢えて軍が調査に入る日に樵を仕込んでおいたと考えることは出来ないだろうか。そう思い、虎梁は口を開いた。
「時宜が過ぎるのではないでしょうか」
全員の視線が虎梁に向いた。
「どういうことだ?」と言う雲嵐に
「軍が調査に入る日に合わせて、たまたま樵が山に入っていて発見された。そして麓にはこれ見よがしに材木小屋が作られていた。なんだか全て出来すぎのような気がしてなりません」
「何者かが軍を謀っているということか?」
「そう断言はできませんが、何か引っ掛かるのです。偶然にしても出来すぎだと」
私の考えすぎならいいのですが、と言って虎梁は一同を見回す。赦鶯も雲嵐も何かを考えるように眉を顰めている。殷石はどこか小馬鹿にしたような視線を虎梁に向けている。そんな一同を武戴が静かな眼差しで見ていた。
「其方が荊闇に拘るのはやはり其方が渓に由縁を持つ者だからか?」
不意に殷石がそう言って虎梁は目を丸くした。まだそれを持ち出してくるか、と内心呆れながら
「私の出自は寧で、会ったこともない両親の出自など関係ないと申し上げたはずですが?」
「ではなぜ荊闇にそう拘る。あそこは天然の要塞で立てこもるのには適しているが、何か事を起こそうとするには不向きな場所ではないか」
「荊闇自体はそうかもしれませんが、荊闇を通じて密かに人を陽に忍び込ませ、麓の綾架の街に潜伏させ、機を伺うということが考えられるではありませんか。綾架の街は遡州第二の都市。旅人も多く、潜伏させるにはうってつけではありませんか」
「だが荊闇への道は山に呑まれて通れなくなっているのであろう」
「樵の作った獣道があると報告にはあったようですが」
荊闇に繋がる道は公には一本しかない。それも荷馬車がすれ違える程度の狭い道。誰も通らなくなればすぐに山に呑まれてしまう程度の道が急峻な山を蛇行して続いている。その公道を通って荊闇から綾架の街へ行くには丸二日は掛かる。道を切り開きながら進んだとしたら更に掛かるだろう。
だが、公道の他に道が無いわけではない。地元の人間のみが使う抜け道——人一人が辛うじて通れる程度の細道が何本か存在する。勿論使う人がいなければすぐに消えてしまう道だが、樵の作った獣道というのはそのうちのどれかだろう。そう思ったものの、細道の存在は公には知られていないため口には出せなかった。
「獣道を通って潜入できる人数などたかが知れている。そんなに警戒が必要か」
そう言う殷石に「いや」と声を上げたのは雲嵐だった。
「虎梁の言うことにも一理ある。綾架は荊闇との間に山脈が控えているため警備が手薄だ。そこを突くということは十分に考えられる」
「しかしいくら警備が手薄だと言っても、そんな大勢を潜伏させるのは無理がある」
「綾架が本隊というわけではなく、少人数で騒乱を起こして近隣の軍を綾架付近に集めさせて、その隙に国境の庁會を突く、という手も考えられる。寧に不穏な動きがある以上、あらゆる可能性を視野に入れて動いた方が良かろう」
雲嵐の言葉に殷石は苦い顔で口籠る。考えが甘い、と言われたようなもので矜持を傷つけられた殷石の顔色は悪い。
そんな殷石を冷めた目で虎梁は見る。虎梁憎さに基本的な兵法に考えが至らないというのは将軍として如何なものか、と思う。今、この場にいる五人の中で殷石が最年長で経験も最も多いはずだ。本来であれば殷石が率先して綾架の危うさを問うべきものを、雲嵐と最年少の虎梁に指摘され面目丸つぶれである。いつだったか武戴が言った「役者不足」という言葉が身に染みて内心でため息を吐いた。
「念のため綾架の防備も厚くしておいた方が良いな」
赦鶯の言葉に雲嵐が首を傾げる。
「しかし、庁會やその周辺の防備で遡州師はかなりの兵を出している。州城自体の防備もある。余剰があるとは思えない」
「禁軍から一師を出せば問題あるまい」
そう言ったのは武戴だ。皆が一斉に視線を武戴へと向ける。
「寧の不穏な動きは我が国にとって脅威だ。遡州師だけで賄うのは負担だろう。左右中軍それぞれから一師を選抜し、遡州師を組み込んで交代で防備に当たらせよ」
朗々とした声で言った武戴の言葉に一同は頷いた。
「荊闇自体の調査はいかがいたしましょう?」
綾架の街の警備だけで荊闇へは調査を向けないのか、と言う赦鶯の問いに武戴は
「荊闇自体は捨て置いても問題なかろう。殷石の言った通りあそこは天然の要塞だからそこで何か事を起こそうとはすまいよ。道も山に呑まれているからわざわざ兵力を割いて道を切り出す必要はない。ただ樵の作った獣道については洗い出して警戒に当たらせる。通るものがあれば身許を改めて不審な点があれば連行せよ」
「かしこまりまして」とその場にいた全員が頷いた。




