帰城
鬱々とした気持ちで馬を走らせ、城に戻ったのは薄っすらと空が白ばみ始めた頃だった。厩に馬を繋ぎ、人目につかないよう自邸へと戻る。物音を立てぬよう慎重に自室へ戻ったつもりだが、戻ってすぐに戸を叩く者がいる。覗き窓の隙間から伺うとそこには飛の姿があった。室内に招き入れた飛は部屋着ではなく出仕用の官服姿だった。
「まさか今まで待ち構えていたのか?」
呆れたように問うと
「仮眠は取っております。そろそろ戻られる時刻かと思いお待ちしておりました。この後すぐに出仕できるよう、着替えは万全です」
にこやかに返され苦笑する。胸の内に渦巻いていた陰鬱な気分が少しだけ紛れた気がした。虎梁は椅子に腰かけ、飛にも座るよう促す。
「それで、梨花様は何と?」
首尾が気になって仕方ない様子で聞いてくる飛に虎梁は口籠る。なんと返したら良いか。ついさっき断絶してきたばかりだとは言えなかった。
飛にとって梨花は生き延びた同胞達を取りまとめる長のような存在だった。梨花の指示の下に同胞たちが従い、虎梁を主として抱く形だった。官吏になり虎梁を主としてからもその関係は続いており、定期的に連絡を取り合っている。その長を切り捨てたのだと、長を切り捨てただけではなく、自分に期待を寄せている全ての同胞の思いを切り捨てたのだと、どう話せば納得してもらえるか虎梁には分からなかった。
特に飛は同胞たちの中でも陽王を討ち一族の再興を求める気持ちが強い。物心つくことから梨花による陽王の蛮行を聞かされていたのだから無理はない。それ故に虎梁に対しての期待も強く、そんな飛に理解をしてもらえるよう説明することは、梨花との関係を断絶する以上に困難なことのように思えた。
「虎梁様?」
答えあぐねて黙り込んでしまった虎梁に飛が首を傾げる。
「何かあったのですか?」
気遣わしい様子で問われ、虎梁は目を伏せた。
「飛、其方にとって一族の再興とは何だ?」
一瞬、言われた意味が分からないというように飛は目を丸くする。
「何を以って一族の再興だと考えている?」
そう問うと飛は少しも迷いのない目ではっきりと答えた。
「虎梁様が王を討ち、再び私たちが渓に戻れることだと思っております」
「渓に戻るとしても、全てが焼け落ち、瓦礫と共に山に呑まれた渓に戻れると思っているのか?」
「それは……」と飛の視線が揺らいだ。
「そもそもだ。王を討つと言うが、仮に武戴様を討ったとして、その後何事もなく渓に戻れると思うか?打った瞬間、反逆者として追われる立場になる。討った私だけではなく、側近の其方も連座で追われる身となることを考えたことはあるか。そうなった時にどうやって逃れるのだ。追っ手をかいくぐって渓に逃れたとしても、荒野と化しているあの場所に、逃げ隠れることは出来たとしても、そこで兵を募り追っ手を返り討ちにする手段など無いではないか」
そう言うと飛は言葉に詰まる。飛の中では王を討つことと渓の再興が同意義となっており、きっと王を討つことにより何が起きるか、その後の身の振り方をどうすべきか、という考えが抜けていたのではないだろうか。虎梁自身も仇討ちを、一族の再興を、と言う声に流されるように今まで生きてきて何を以って再興と呼べるのかを明確に考えたことが無かった。その事実に飛も思い至ったのだろう、顔色が悪くなっている。
「確かに言われてみればその考えに至ったことがありません。虎梁様が王を討てば、自然と渓が再興されるとしか思っておりませんでした」
呆然とした様子でそう呟く。
「何故でしょうか……王を討つということは大逆を犯すことで、それを実行した者は即捕らえられ処罰されるに決まっています。それが分かっていながら、何故今までその事実が頭から抜けていたのでしょうか」
自分でも意味が分からない、というように頭を振って飛は言う。
「虎梁様が大逆人になった瞬間、宮城内の兵だけではなく城外を守っている兵も加わって我々を捕らえようとするでしょう。どんなに城の抜け道を駆使したとしても逃げることなど不可能です。何故そんな簡単なことに思い至らなかったのか不思議です」
頭から抜けていた、というよりも考えることを阻害されていたという気がする。王を討ち一族の再興を、という旗印の下で、それ以外のことには目を向けないよう巧妙に仕向けられていたのではないか。
実際、梨花は常々「姫様が存分にお力を発揮できるよう、裏方の些少事は全てお任せください」と言って方々へ手廻しをして、虎梁が軍の中でその力を強めることに専念させてくれていた。裏を返すと虎梁に目の前の目的のみに集中させて、それ以外のことを気にしないように仕組まれていたのかもしれない。そうして自分は寧との根回しをして、渓を寧の属国にすべく動いていたのだろう。そう思うと簡単に操られていた自分の不甲斐なさと甘さに反吐が出そうになる。胸の内に苦いものを噛みしめながら虎梁は口を開いた。
「我々は謀られていたのかもしれない」
「謀る?誰にです?」
「梨花だ」
そう言った瞬間、飛は大きく目を見開く。
「何故、梨花様が?何のためにですか?」
思わず大きくなった声に慌てて虎梁は飛を視線で制す。自分が粗相したことに気付いて飛は手で口を覆った。虎梁は辺りに意識を集中し、人気のないことを確認して息を吐いた。戻ってきた頃より空が明るくなり夜明けが近い。下働きの者は起きて仕事を始める時間だ。飛に大きな声を上げないよう念を押して虎梁は話を続けた。
「梨花は渓を寧の属国にしたいようだ」
「今……なんと……?寧の属国?」
思いもよらぬ言葉に咄嗟に理解できなかったのか、困惑した様子で首を傾げる。
「梨花は渓の再興のため、私に寧王の助力を乞えと言った」
「寧王、ですか」
途端に飛の眉が顰められる。
「陽の将軍である虎梁様に寧へ助力を乞え、と?梨花様が本当にそのようなことを仰ったのですか?」
訝し気に言うその表情は険しく、寧に対しては虎梁と同じ感覚を抱いていることが分かる。
「信じたくない話だが事実だ。王を討った後は寧に庇護を求め、寧の民草を集めて渓を再興せよ、と」
「あり得ません!」
押し殺した声でそう叫び飛は思わず立ち上がった。
「梨花様は何を考えておられるのですか。寧王の庇護を受けた時点で、最早渓は寧の支配下に置かれるではありませんか。しかもそれを陽の将軍である虎梁様にやれと?あり得ません!」
声を潜めつつ激昂するその様子を見て、虎梁は内心安堵の息を吐いた。もし、飛が梨花に迎合して寧に助力を求めることを賛成した場合、虎梁は飛をも切り捨てなければならないところだった。虎梁自身が寧を敵視している以上、寧と繋ぎを付けたい存在は邪魔でしかないからだ。飛が寧に阿る気が無い以上、虎梁は今の自分の本心を告げても良いのではないかと思った。
「落ち着け、飛。落ち着いて座って話を聞いてくれ」
静かに諭すようにそう言って飛を座らせる。飛の瞳はまだ怒りで揺れていて、それでいて縋るような眼差しが虎梁に向けられている。その眼差しを正面から受けて、虎梁は静かに頷いて見せた。
「飛、其方が私の側近になって二年経ったな」
急に話が変えられた飛は一瞬きょとんとした顔になる。
「其方から見た主上……武戴様はどんな人に見える?」
唐突な質問に飛が少し困った顔になる。飛にとって武戴は打つべき仇としての存在だ。だが、その先入観を排して見た時に、武戴の人柄はどう見えているのだろうか。じっと飛を見つめていると、飛は居心地悪そうにあちこちに視線を彷徨わせていたが、やがて諦めたように小さくため息をついて言った。
「公明正大な方だと思います。身分、階級にこだわることなく公平に接し、不正は厳しく罰し、栄誉は惜しみなく称える。王としてまさにあるべき姿だと思います」
「梨花から聞かされていた王の姿と比較してどうだ」
「かけ離れています。本音を申しますと、あの話は本当に主上のことなのか疑念を抱いていました」
小さく苦笑しながら言うその顔にどことなく逡巡した色があり、きっと彼の中でもこれまで様々な葛藤があったのだろうと簡単に予測できた。
「私も全く同じことをずっと思っていた」
そう言うと飛の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「そうではないかと思っておりました。しかし王を討ち、一族を再興させることこそが虎梁様の使命なのだから、私が迷った顔をすることは許されない、と何度も梨花様に言われてきました。虎梁様が迷われたり躓いたりした際は、私が鼓舞して虎梁様が使命に邁進できるように補佐するのが私の使命だと」
「私は其方が一番一族再興への思いが強いと思っていた」
虎梁の言葉に、意外なことを言われたかのように飛が目を瞬いた。
「そう思われていたとは心外ですね」
少し嫌そうに言われて苦笑する。
「私が弱気になる度に諦めてしまうのか、と咎めていたのは其方ではないか」
「梨花様から与えられた使命を果たしていただけです」
そう言うと飛は少し視線を落として膝の上に置いた拳を握る。
「私は己に与えられた使命を果たしているつもりでした。でも、勤めを果たせば果たすほど貴女は私に本心を見せてくれなくなりました。一族の再興こそが我が使命、と傷ついた顔で仰るようになっていきました。私は正直、そんな虎梁様を見ているのが辛かったのです」
握られた拳が小さく震えている。飛の声にはどこか後悔しているような色が滲んでいて虎梁はその震える拳に自分の手を重ねた。驚いたように飛が顔を上げる。取り繕うことを忘れた顔がそこにある。
「すまなかった。其方に辛い思いをさせているのに気づけていなかった」
飛の拳を両手で包み込み、謝罪の言葉を口にすると飛がくしゃと顔を歪めた。まるで泣くのを我慢しているかのような顔で首を横にふる。
「謝っていただく必要はありません。私の言葉が虎梁様を追い込んでいたのは事実ですから。私の方こそ申し訳ありません」
そう言うと飛は一度、虎梁の手をほどき、逆にその手を握りしめた。
「私は貴女の側近です。貴女の御心のままに動きます。ですから、どうかそのお心を閉ざさず、私には本心を伝えてください」
真摯な色がその瞳にはあり、飛の心からの思いが伝わってくる。握られた掌から熱が伝わってきて、自分より大きな掌のその温もりに泣きたくなるような安堵感を抱いた。
◇
「梨花様は何故、寧に手引きしようと思われたのでしょうか」
いつまでも虎梁の手を握っていることに気付き、慌てて放した飛は居住まいを正しながら口を開いた。
「陽と寧の関係性を考えれば戦になってもおかしくないわけで、何を思って虎梁様にそんなことを言ったのでしょうか。単純に考えれば、虎梁様が陽を売る行為になるというのに」
「それが狙いなのではないか?私が武戴様を討って陽が混乱に陥っている隙に寧が攻め入って陽を支配下に置く。そういう筋書きなのではないか」
「それでは虎梁様の身が危ういではありませんか。守るべき旗印を危険の真っ只中に晒すなど、梨花様は何を考えているのですか」
「梨花は恐らく寧の間諜だ」
そう告げた瞬間、呆気にとられたように飛が口を開いた。「間諜」と言葉を呆然と呟く。あまりに意外な言葉に意味を掴み損ねたのだろう。
「兄様が私にそう忠告してくれた」
「兄様……?虎梁様に兄君がいらっしゃるのですか?」
「其方は幼かったし、接する機会もなかっただろう。十離れた歳の兄様がいる。あの惨劇の前に父様に勘当され死んだことにされていた。月魁という名だが、今は夏魁と名乗っている」
夏魁、という名前に飛が眉を顰めた。
「まさか情報屋の夏魁ですか?」
「そのまさかだ。その夏魁が兄様だったのだ」
「それは……信用して大丈夫なものでしょうか。夏魁といえば殷石が重宝しているという噂もあります」
心配そうに言う飛に虎梁は苦笑する。
「実際、殷石の依頼で私のことを調べていると言っていたからな」
「……っ!それでは夏魁から殷石に虎梁様の正体が伝わってしまうのでは」
「それは無いだろう。兄様は私の安全を一番に考えてくれると言った。殷石には取るに足りない情報を与えると」
「取るに足りない情報……ですか?」
「あぁ。本当の虎梁の両親は実は渓の民だったそうだ。虎梁少年が生まれてすぐに亡くなったため、虎梁少年が孤児院に預けられた、というのは事実だそうだ。だからその事実だけは殷石に伝えると言っていた」
「しかし、本当に信用しても大丈夫でしょうか。兄君を騙っている可能性はありませんか?夏魁が虎梁様の兄君だという確証はあるのですか」
「其方が不安に思うのも無理はないが、あれは間違いなく兄様だ。水を操る力も在った」
そう言うと、虎梁は壁際の箪笥の上に活けてある花に手を向ける。花瓶がカタカタと震えたかと思うと中の水ごと花が宙を舞い、飛の目の前まで飛んできた。花の刺さった水球は僅かにふるふると震えながら空中に静止している。
「こんな力を持つ者が渓の王族以外にいると思うか?」
「思いません」
揺れる水球を見つめて即答する飛に虎梁は頷いて、水球を再び花瓶に戻す。何処も濡らすことなく元の状態に戻った花瓶を見ながら「梨花にはいるかもしれないと言われたがな」と苦笑する。
「兄様は殷石の依頼で私のことを探っていると言ったが、私が軍に入ったころから私のことは知っていたそうだ。殷石が私の弱みを探るために兄様へ依頼したことを教えてくれた。梨花が寧の間諜であることも。そして渓が滅びた本当の理由も」
「本当の理由……ですか?」
「我々は、月雫石の独占を目論んだ陽による蛮行と聞かされていたが、実際は国土を広めようとした父様が寧と謀り、陽に攻め入ろうとしたところを返り討ちに在ったというのが事実だそうだ。」
「それでは真逆ではありません。」
「そうだ、真逆だ。だが、私はそちらが真実なのだと思う。少なくともこの二年間、間近で主上の為人を見てきて、梨花の語った蛮行を行うような人ではないと確信している。兄様が語った事実の方が私には腑に落ちるのだ」
其方はどうだ、と飛に問えば飛もまた頷いている。
「確かに、月駿様が寧と通じていたのであれば、梨花様が虎梁様も寧に通じさせようとするのに辻褄が合います。主上の蛮行を信じるより容易に受け入れることが出来ます」
「兄様は私にこう言った。渓が滅びたのは父様の望外な野心によるものだと。仇討ちなど考えてはいけない、と。それを聞いて、私は許された気がしたのだ」
「許す、とは?」
問われて虎梁は僅かに目を伏せて微笑む。
「皆からの期待を一身に受けていながら、その期待を裏切るような感情を持ち合わせていたことにずっと罪悪感を抱いていた。武戴様を討つことに抵抗を感じている自分を、皆の期待が許さなかった。だが、兄様の言葉で武戴様を討つ必要はないのだと、討つことを考えてはいけないのだと私の葛藤を肯定された気がしたのだ」
そう言って己の手を見つめる。同志達の期待を一身に受け、期待に応えるべく力を追い求めてきた掌。この手で王を討たなければならないと思っていた。討たなければ己の存在意義が無いとさえ思っていた。だが、夏魁の言葉でその必要はないと肯定された。それがこの上なく嬉しかった。王を斃すために手に入れた力と立場をこれからは本来のあるべき姿で行使しても良いのだと。
視線を飛に戻すと真摯な眼差しがこちらを見つめている。思えば虎梁として生きるようになってから、飛とこうして正面から向き合ったことが無かったことに気付いた。その眼差しを受けて虎梁は口を開いた。
「私は陽の将軍としてこの国を……武戴様を護りたい。渓の再興は無くなるが、それでも其方は私に付いてきてくれるだろうか」
月潤ではなく、虎梁としての自分に付いてきてくれるか、という問いに飛は
「貴女の御心のままに」と言って穏やかな笑みを浮かべた。
「私もこの国で過ごすうちにこの陽という国が好ましく思えてきたのです。貴女の側近として、この国を守る貴女の力の一端を担わせてください」
渓の同志としてではなく、虎梁の側近としての力強い言葉が胸に染みた。この身を縛り付けていた期待という名の重たい鎖が解かれた気がした。
「ありがとう」
感極まった言葉は掠れうまく音にならなかった。目の奥が熱くなり溢れ出すものを堪えることが出来なかった。頬を伝った涙を隠そうと手で顔を覆うと、飛がそっと手巾を差し出してきた。
「主を泣かせるのは側近の仕事ではありません」
苦笑しながら言う飛の手から手巾を受け取るとそれで涙を拭った。
飛に涙を見せてしまった気恥ずかしさから顔を背け窓の外に視線を向ける。既に空はすっかり明るくなり、燭台の燈火は用を成さなくなっていた。立ち上がって蝋燭を消すとそのまま窓へ向かう。鍵を外して窓を開けると少しひやりとした空気が室内へ流れ込んでくる。朝露の湿り気を含んだ空気が肌に心地よく大きく息を吐く。低く顔を出した朝日の眩しさに目を細めた。いつもと同じ朝の光景がいつもと違って輝いて見えた。それは多分、心を縛り付けていた鎖から解き放たれた解放感によるもの。飛に視線を向けると彼もまたどこか安堵したような明るい表情をしている。
「落ち着かれましたか?」と問われて虎梁は苦笑する。涙は止まったがまだどこか気恥ずかしさが拭えない。そんな自分の気持ちを紛らわすようにもう一度窓の外を見上げた。
「まだ朝餉の時間まで少しある。私は仮眠をとるので時間になったら呼んでくれ」
背を向けたまま言うと「承知しました」と笑みを含んだ声が聞こえ、飛が退室するのが分かった。窓の外では下働きの者たちが活動を始めているのが見える。今まで城内の者に対してどこか謀っている気持で見ていたが、もうそれをしなくても良いのだと思うとどこか面映ゆい思いだった。
外出用の袍のまま寝台へ体を横たえるとそのまま軽い眠りについた。




