31 うたた寝
クロス様は、本当に眠っている様に見えた。
とてもクールで御美しいクロス様の御顔は、とても穏やかな寝顔をされている。
声を掛ければ、「何ですか? せっかく寝付いたところなのに」とお叱りを受けそうな。
そんな気がした。
けれども、きっとそうではないんだろう。
少し、眠くなってしまった。
いけない。
モイラが仮眠から起きてくるまでは、私まで眠ってしまってクロス様を寂しくさせてはいけない。
けれど。
今日は疲れた。
これは、単なる疲れなのだろうか?
宣誓の後、あきらかに強い何かを感じた気がする。
それは、至高の幸福と、凍るような恐怖が同時だった。
気のせいだろうか?
人の気配がした。
モイラのいる部屋の方からでも、ドアの外からでもない。
誰かが入って来た様子がない。
ウトウトとして下がっていた瞼をしっかりと開いて、周りを見た。
「あれ? やっぱり誰もいない。気のせいだったのかな?」
『プレア』
「?」
誰?
声の方向に振り向くと、そこにアクス様がいらっしゃった。
アクス様は、クロス様の御部屋にある祭壇を背にして立っておられた。
「ああ。ああ」
私は、嬉しくて大きな声が出そうだった。
そうだ。
モイラを呼ばないと。
すると、アクス様は、口元に人差し指を寄せて、静かにするようにと合図された。
『プレア。良く大神官の大役を引き受けてくれました。私が命じた事とは言え、嬉しく思います』
私は、夢でも見ているのだろうか?
でも、こんな夢なら覚めないで欲しい。
「あの、アクス様。これから私は、どう皆様を導けば良いのでしょう? アクス様やクロス様の様に出来る自信が無いのです」
私は不安だった。
『そう。私もクロスも、最初の頃は同じように不安だったわ。とりあえずは、今までの慣例通りに進めなさい。これから、そのやり方では務まらない出来事が沢山起きるでしょう。その時は、あなたの判断で自由におやりなさい。あなたの自由闊達な考え方が、細い道を切り開くでしょうから』
なんと夢のようなことだろう。
もう、ここから一人で考えていかなければならないのかと覚悟していたのに、こうして相談に乗って頂けるなんて。
「あの。私も死んでしまったのでしょうか?」
アクス様は、亡くなられた。
そのアクス様と話をしている私は?
私も、過労で倒れちゃったのかもしれない。
『うふふ。そういうところは、相変わらずね。あなたは、少し眠っているだけですよ』
「え? じゃ、クロス様をお一人に……」
私は慌てた。
『落ち着きなさい。うたた寝のほんの一瞬の出来事ですよ。安心しなさい』
私は、ホッとした。
『クロスには、無理をさせてしまいました。申し訳なく思っています』
「いいえ。クロス様は、ご自分の使命を果されることを誇りに思われていました。私から見て、決して嫌々でやられていたようには見せませんでした」
『そう。それは嬉しいわ。これからは、クロスを十分に労ってあげるつもりです』
「そうですか。きっとクロス様もお喜びになられると思います」
『あなたと話すと、話が反れてしまいますね。困ったわ』
そう言うと、アクス様は微笑まれた。
『プレア。あなたが手にした大神官だけが読み解ける経典を良く読み返しておきなさい。常人では、意味を本当に理解できず。その通りに出来ない事ですが、あなたがそれを行えば、書かれてある通りの現象が起きるのです。わかりましたか?』
「はい。心得ております」
『あら? ずいぶん素直ですね?』
「はい。一言間違えば、叶わず。誤用すれば、末代まで不幸にさせる。心得ております」
『よろしい。代理であった私ですら、その一部を行えました。ただ、それを多用することは、この世の理を壊すことになります。例え、求められても、それを成してはいけない時は、行わない様に』
「はい。心得ております」
『大神官とは、それを許された存在なのです。そして、誰でもなれるわけではないのです』
「はい」
『よかった。あまり説明する必要も無かったわね。他に何かありますか?』
アクス様から合格点を貰ったようだ。
うれしい。
「あの、以前お話頂いた『終焉の大神官』についてです。私の代で、聖導会も前の国も終わってしまうという意味なのでしょうか? 回避することは出来ないのでしょうか?」
普通の人なら、『終焉』と聞いて良い気がしない。
『プレア。その定めは変える事が出来ません。ただ、それにあがらう事は出来ると思っています』
アクス様は答えて下さったが、納得のいくものではなかった。
ただ、アクス様に言っても、どうしようもない事なのかなと、納得するしかないのかもしれない。
「クロス様が代行を成されている時、とてもお疲れでした。ただの心労だけでは、あのようになられるとは思えません。雑事で心を乱されるような方では無かったのに」
そうだ。
クロス様は、何か尋常でないものと対峙してる感じだった。
アクス様から預かった御子様の件など、クロス様に取っては頭痛の種ぐらいにしかならない。
『そうですか。良く見抜きましたね。それを、他の人に話しましたか?』
「いいえ」
『そう。では、クロスは苦しんでいたようでしたが、今のあなたはどうですか?』
「はい。特に何も」
アクス様は、何を仰っているのだろう?
『代行といえども、大神官代理の代行です。それへの激しい抵抗をする者達との、見えない戦いもありました。やがては、あなたも経験することでしょう』
クロス様は、人以外の何と戦っておられたのだろう?
『それにプレア。「終焉の大神官」と伝えられ、クロスの時よりも状況は悪化していこうとしている。なのに、何故平気なのですか?』
これは、私が鈍感だと言われておられるのだろうか?
「あ、あの私が、鈍感だから?」
『ふふふ。違いますよ』
笑われてしまった。
『やはり、人の上に立つ器が、あなたにはあるのですよ』
『プレア。物語の幕を引く人が必要なのです。修復不可能な悲劇なら、なおの事。見えない形での徹底的な圧迫感が、私にもクロスにもありました。ただ、他の人では、クロスの様に耐える事すらも出来ないでしょう』
「その見えない形の圧迫感とは、何でしょうか?」
『今日手にした経典を読みなさい。そこに書いてあります。私達には、耐える事しかできませんでした。ですから、十分なアドバイスができません。御免なさい。ただ、それは人外……、と言う……』
アクス様の御姿が、見えなくなっていく。
ちょ、ちょっと待って!
駄目!
まだ、尋ねたいことがあるのに!
「今まで学んいた経典には、書いてない事なのでしょうか? それは、一体どんな……」
「アクス様!」
目を覚ますと、やっぱり周りには誰もいなかった。
私の目の前には、祭壇があるだけだった。
そこには、アクス様の姿もない。
「あ、あれ? やっぱり夢だったの? そんな」
頬を熱いものが、目から溢れ、流れて落ちていく。
もしかして、アクス様と話が出来たのも、大神官としての力の一旦なのだろうか?
亡くなられた方とお話できる人がいるとは知っているけど。
急に、その力が目覚めたという事なのだろうか?
最後に、アクス様が言いかけた言葉を思い出した。
『人外』
一体なんの事だろう。
人ではないと言う事は、ニアンスからわかるけど。
私は、隣の部屋にモイラの様子を見た。
まだ、スヤスヤと眠っている様だった。
ただ、モイラの目には、涙の跡が薄っすらと残っていた。
私はアクス様に言われた通り、授けられた経典を読み始めた。
そして、目次の所に『人外』という言葉を見つけた。




