練られた衝動
1
「そうだ、『ガーデンフラワーパーク』へ行こう」
キッチンで皿洗いをしていると、リビングからそんな声が聞こえてきた。
何事かと皿と布巾を両手にリビングの方へと歩いていく。リビングではソファーに座った妹の奏がテレビに熱中していた。
テレビでは、奏の大好きな『花の特集』が放送されている。
「ガーデンフラワーパークって、お花がたくさんあるところ?」
「そう。たくさんのお花を見ておきたいなと思って」
8月現在、大学2年生の俺は夏休みを謳歌していた。
やることといえば週4で入っているバイトくらい。それ以外は暇な日々を過ごしていたので、家にいる妹に「行きたいところがあったら、どこでも連れていってあげるぞ」と言っておいた。
妹は「急に言われても出てこないよ」と嘆いていた。だから保留という形を取っていたのだが、一日経った今ようやく行きたいところが決まったらしい。
「分かった。明日はバイトだから、明後日二人で行こうか」
「うん。楽しみだなー」
そう言って、再びテレビへと目を向ける。瞳をキラキラさせて視聴する姿を微笑ましく思いながら、俺は再びキッチンへと戻った。
****
大学1年生の時に『普通車免許』を取得していたので、ガーデンフラワーパークへは車で行くことにした。クーラーの効いた涼しい車内で、夏にピッタリの曲を流しながらするドライブは最高だ。奏も同じようで、曲に合わせて体を揺らしながら外の景色を眺めていた。
車を走らせること約2時間。目的地である『ガーデンフラワーパーク』へと到着した。
水筒を身体にかけ、奏のために日傘を差すと二人で手を繋いで入園口まで歩く。手を繋いだことに奏は恥ずかしがるものの拒否はしなかった。恥ずかしさを紛らわせるためか奏は片手に持った手持ち扇風機を俺の顔に近づける。暑いとはいえ、ここまで近づけられると流石に鬱陶しい。
入園してすぐに『ファミリー自転車貸出所』へと向かった。
ファミリー自転車は2〜4人乗りの自転車だ。炎天下の中、長時間歩くのは危ないと思ったので、自転車で回ることにした。前方に座席、後方にサドルが二つあるファミリー自転車。奏は前方、俺は後方に乗って自転車を走らせた。
自転車専用の周遊コースをゆっくりと走りながら鮮やかに咲き誇る花々を眺める。奏は持っていた手持ち扇風機を自転車を漕ぐ俺にかざしてくれる。先ほどの羞恥と違って、今回は親切によって生まれた行為だ。将来はきっといいお嫁さんになるに違いない。
途中、奏が「これ見たい!」と言ったら、自転車を止めてじっくりと見せてあげた。俺も漕いでばかりいると流石に疲れる。炎天下での運動は徐々に体力を奪っていく。2人とも水分補給を欠かさずに行った。
正直、俺自身はあまりお花に魅力を感じてはいなかった。だが、花が咲く場所に花の説明をする看板が立てられており、そこに書かれた『花言葉』には魅力を感じていた。良い言葉もあれば、悪い言葉もある。せっかくの綺麗な花でも、悪い花言葉の花を渡してしまえば、相手を悲しませる可能性があるというのはなんて残酷なことだろう。
二人仲良く喋りながら進んでいると、あっという間に周遊コースが終わりを告げる。
自転車を降りて、近くにある食堂で昼ごはんを食べることにした。
「ここではクルーズに乗って楽しむこともできるらしいよ。乗ってみるか?」
お昼を食べながら、俺は奏に提案する。自転車を漕いでいる最中、園内の川を流れるクルーズを見て閃いたのだ。
「んーー、今日はいいや。もう疲れちゃった」
「分かった。また今度にしよう」
「うん。そうだ、その代わりに次は『ヨーロッパ村』へ行こう。あそこの『ハッピークルーズ』好きなの」
「ヨーロッパ村か。夏だしちょうどいいかもな。明日、明後日はバイトだから3日後に行こうか」
「やったー」
奏は喜びながら、お昼ご飯を食べる。喜ぶ彼女を微笑ましく思いながら、俺も自分のご飯を食した。
その後は、特に何もせず、再びドライブを楽しんだ。
2
「キャッー!」
上から降ってくる滝のような水を受け、奏は悲鳴を上げた。とは言っても、実際に受けたのはクルーズに建造された三角型のゴム製の屋根だ。屋根に流れた水は下に流れる水へと浸透していく。たまに、クルーズの手すりに当たった水が船内にいる俺たちへと飛んでくる。夏場の冷たい水は心地よかった。
3日後、俺たちは予定通り『ヨーロッパ村』へとやってきていた。
8月でも平日のためか、あまり人は見られなかった。そのため、アトラクションに乗る際の待ち時間は発生せず、俺たちは数多くのアトラクションを楽しむことができた。
『ハッピークルーズ』を終え、次のアトラクションへと歩いていく。
最後にやってきたのは俺が中学生の時だったと思う。その頃の記憶がほとんどないため、全てのアトラクションが新鮮で楽しかった。
逆に奏はよく覚えていた。「乗ったことあるアトラクションだ」だとか、「あの時はなかったアトラクションだ」だとか、各々俺に説明してくれる。大した記憶力だ。
前を歩く奏の動きが不意に止まった。疑問に思いながら彼女の視線の先へと目を向けた。
突如弾ける大きな水飛沫。高いところから一直線に急降下した丸太のボートが地面に当たった衝撃で上がったみたいだ。
スプラッシュ・モンセラート。
水の中を走るジェットコースターだ。
「あれに乗りたいのか?」
奏の横につき、語りかける。彼女は俺の方にゆっくりと顔を向けると首を左右にふった。
「私、絶叫マシンは嫌いだからいいや」
「……そっか」
「うん。代わりにあそこに行こ!」
そう言って指をさしたのは『キャンブロ劇場』。映画のようにスクリーンに映された映像を鑑賞するアトラクションだ。どうやら色々と乗って疲れたらしい。
俺たちはキャンブロ劇場へと入っていった。
キャンブロ劇場ではドラマやアニメなど全3作品の映像が用意されていた。奏にどれにするか尋ねたところ「全部」と返答された。
席についてゆっくりしながら流れる映像へと目を凝らす。疲労が溜まっていたため眠ってしまうのではないかと不安だったが、内容が案外面白く飽きずに見ることができた。
「楽しかったね」
全ての上演を終え、俺たちはアトラクションを後にした。
「途中寝てただろ」
言い出しっぺの奏は俺よりは興味が薄かったのか途中小さな寝息を立てながら眠っていた。空調の効いた部屋が心地よかったのだろう。
「……そうだ、次は『アドベンチャーゾーン』へ行こう」
俺の言葉がなかったかのように、奏は話をすり替える。なんて都合のいい妹なのだろう。しかし、そんな姿がまた微笑ましい。
「急だな。どうしてアドベンチャーゾーンに?」
「いやー、さっきのアニメで動物見てたら、実際の動物が見たくなっちゃって」
「なるほど。バイトは明日休みで、それから4連勤だから来週あたりでいいか?」
「うーん。できれば明日がいいかな?」
「2日連続は体力的にキツくないか?」
「なんとか頑張る」
「……分かったよ。その代わり今日はもう帰ろう」
終園時間まで遊ぶつもりだったが、それでは帰るのが夜遅くなる。明日も出かけるのであれば、早いうちに帰ったほうがいいと思って奏に提案した。奏は嫌がることなく首を上下に振ってくれた。
****
「お兄ちゃん見て見て、キリンだよ」
小さな汽車に揺られながら、俺たちは動物たちに囲まれた庭園を動いていた。
雲行きが怪しかった今日だが、幸いにも雨は降らずただただ暗い雲が漂っているだけだった。そのため動物たちは住処に帰ることはなく、外を元気よく歩いている。
奏は、顔を窓ガラスに近づけながらウキウキとした表情で動物たちを眺めていた。向かい側に座る俺は、動物を見ながらも、時おり奏の表情をチラッと見た。子供のように綺麗な瞳を輝かせる純真な彼女を愛おしく思った。
30分かけてサファリゾーンを一周し、全ての動物を眺めた。
これでアドベンチャーゾーンのスポットは全てまわった。あとはエントランスに戻って記念品を買うくらいか。
「ねえねえ、最後にあれ乗ろうよ!」
二人で歩く最中、奏がそう言って遠くにある大きな物体を指さした。
円型をした白色の物体。小さな円がいくつも集まり、ジェットコースターの天辺よりも大きな直径の円を描いていた。
「観覧車か。そうだね、最後に綺麗な景色を眺めてから帰ろうか」
「うん!」
俺たちは足先を変え、観覧車のあるトライゾーンへと歩いていった。
サファリゾーンの隣にあるトライゾーンへはすぐにたどり着いた。観覧車に乗る人は大勢いたが、列はそこまで長くはなく、およそ10分待った末に観覧車に乗ることができた。
ゆっくりと遠回りをするように徐々に上がっていくゴンドラ。俺たち二人は汽車の時と同じように互いに向かい合って景色を眺めていた。高さが半分あたりを超えたところで色々なものが見え始める。俺たちは今日訪れたゾーンの場所を互いに指差しながら教え合った。
「ねえ、お兄ちゃん。ありがとうね」
やがて俺たちを乗せたゴンドラは頂上へと到達していく。
そこで奏はしみじみとした声で俺にそう言った。壮大な景色が観れるにも関わらず、奏は俺の方を見つめていた。
「何が?」
「みなまで言わせないでよ。とにかくありがとう」
「……どういたしまして」
頂上に到達したゴンドラは今度はゆっくりと、遠回りするように地上に降りていく。
前半はあんなにはしゃいでいたのに、後半はピッタリと会話をやめ、俺たちは静寂ながらも心地の良い時間を過ごした。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
観覧車を降車すると、奏は一言置いてトイレのある方へとそそくさと歩いていった。「ゆっくりでいいぞ」と言ったが、奏は声が聞こえていないかのようにそそくさと歩く。もしかすると我慢の限界なのかもしれない。
ベンチで休もうと辺りを見渡すとアイスクリームを売っているキッチンカーが目に止まった。奏が戻ってくる前にソフトクリームを用意しておこうとキッチンカーに向けて歩いていく。二人分のソフトクリームを注文し、それを両手に持ってベンチに座る。
「誰か! 救急車を呼んで!」
ベンチで待っていると、不意に女性の大きな叫び声が聞こえてきた。
視界は人々がトイレの方へと走っていく様子を捉えた。そこで俺は嫌な予感を覚えた。ベンチから立ち上がり、急いでトイレの方へと走っていく。
途中で雨が降ってきて、持っていたソフトクリームを濡らしていく。ぽたぽたと溶けたクリームが手につくが、そんなことは一ミリも気にならなかった。
人が密集するところへ辿り着くと、人混みをかき分け、中を覗いた。
「奏っ!」
案の定だった。そこには倒れた奏の姿があった。
3
奏は13歳の時に、筋疾患があると診断を受けた。年々筋力が衰え、数年後には歩けなくなるだろうと言われた。当初は在宅療養をする予定だったが、あることがきっかけで医療型障害児入所施設での長期入院をする運びとなった。
筋力は徐々に弱まり、来年の春前には施設への入院をすることになるだろうと言われた。
奏と暮らせる最後の長期休み。最後くらい彼女の行きたい場所へと連れていってあげたかった。
「お兄ちゃん、ごめんね」
ベッドで目覚めた奏は、開口一番に俺にそう言った。
「謝ることはないさ。体調はどうだ?」
「バッチリ。でも、なんでだろう。いつもの様には身体に力が入らないな」
やっぱり昨日今日と2日連続で歩かせたのは間違いだったか。俺は自責の念にかられた。
「ねえ、お兄ちゃん。私はもう動けなくなっちゃうのかな。もう遠くへは行けないかな」
「きっとまた行けるようになるさ。今はゆっくり休もう」
「うん。でもね、後もう一箇所だけ行きたいところがあるの。夏休みが終わる前には行っておきたいな」
医者からは当分は遠出をしてはいけないと注意された。だから、奏の願いは叶えられそうにない。でも、それを彼女に言うのは流石に憚られる。
「どこに行きたいんだ?」
「山寺。山形県の宝珠山立石寺」
山形県か。流石にここからでは遠すぎる。それに、今の奏の体調で山を歩くのは危険だ。
「どうしてそこに行きたいんだ?」
「……綺麗な絶景を見たいの」
「そこじゃないとダメなのか?」
「うん。山寺じゃないとダメ」
しばらく沈黙が続く。
どうにかして奏の願いを叶えてあげたい。でも、どうしたら奏を連れていってあげられるだろうか。俺は奏の願いを頭の中で反芻する。
「奏、山寺の絶景が見たいのか?」
「うん。山寺の綺麗な景色が見たい」
「いいことを思いついたんだけど、聞いてもらっていいか?」
奏は黙って頷いた。俺は頭の中にひらめいたアイデアを奏に話した。それを聞いた奏は弱りながらも満面の笑みを俺に向けてくれた。
****
「奏、聴こえるか?」
一週間後。もろもろの準備を終えて俺は山形県宝珠山立石寺へと向かった。
車を走らせること約8時間。深夜に出たにもかかわらず、着いた頃には日はすっかり頭上を照らしていた。
「うん、聴こえるよ」
俺の声に奏が応答する。画面にもしっかりと彼女の姿が映っていた。
自撮り棒にはめられたスマートフォン。今日の奏の身体となり、目となってくれる存在だ。
あの日、俺は奏にビデオ通話での景色の眺めを提案した。俺のスマホと奏のスマホをビデオ通話で繋げることで奏に山寺の絶景を見せてあげようと思ったのだ。「絶景が見られるなら」と奏は承諾してくれた。
耳にイヤホンを装着し、奏と連絡を取る。無事に通信が取れていることを確認できたところで俺はバッグを背負って歩き始めた。今日この日のために買っておいた『充電式バッグ』。バッグ下部にUSB挿し込み口が取り付けられており、そこからスマホを充電することができる。
炎天下の中を長時間歩いていく。スマホの充電も俺の充電も逐一補給しながら、ゆっくりと景色を堪能する。深夜から起き続けていたためか、『寝不足』と『疲労』による強烈な眠気に襲われるが、なんとか我慢して歩いていった。
「どこかじっくり見たいところはあるか?」
眠気を紛らわせるように向こう側にいる奏へと話しかける。
自撮り棒にはめられたスマホはできる限り、俺の目線と合わせる。それから自分より少し前にやることで内カメラとなった奏のスマホから彼女の様子を見ていた。俺のスマホは外カメラとなっているため奏から俺の姿は見えない。
「今の石像の説明のところ見せて」
奏に言われた通り人物像に刻まれた文字が見えるようにスマホを掲げる。
「ありがとう」と言われたところでスマホを再び目線に戻して歩き始めた。山寺は階段が多い。麓の山門から奥之院まで1015段もあると言われている階段を1段ずつ上がっていく。最近、運動をまともにしていないからか骨の折れる作業だった。
それでも奏の願いを叶えるために必死に歩き続けた。
そして、1015段を上り終え、奥之院を超えたさらに先、五大堂へと辿り着いた。
木々に囲まれた家々。それらが向こう側にある山脈をかき分け、一本の道を作るかのように連なっている。純真な緑の茂る山は奥へ進むほど霧に霞み、薄くなっていく。最奥にある壁のように連なる山脈は圧巻だった。
「綺麗……ちゃんと写真に撮っておいたよ」
景色に目を奪われていると奏の声で我に帰る。実は俺もバックグラウンドで写真を撮っていたが、それは内緒にしておこう。
「見れてよかったな」
「うん。お兄ちゃん、私の願いを叶えてくれて本当にありがとう。すごく嬉しい」
奏はしみじみとそう言った。彼女の言葉に俺は心が熱くなった。熱は伝導し、目尻をも熱くしていく。眠気も疲労も何もかもが吹き飛んだ。今は奏の願いを叶えられた嬉しさだけがある。悪いものは全て涙となり、大量の雫が目からこぼれ落ちていった。
「よかった」
平静を装って奏に言う。
外カメラである自分のスマホに感謝した。
泣きじゃくった自分の顔を奏に見られなくて良かった。
4
数年後、奏は肺炎により亡くなった。
葬儀を終え、火葬場で焼いた後に、志藤家の墓に納骨した。
ここには父と母の骨も納められている。きっと今頃、天国で仲良く一緒に暮らしていることだろう。
父と母は奏が13歳の時に、トラックとの交通事故で亡くなった。奏の筋疾患の診断をされて寿命が短いことを知った両親は、そのことに気を取られ、運転を誤ったのだろう。
それがきっかけで奏の自宅療養が困難となり、施設での療養という形になった。
奏を納骨して以降、俺は奏の月命日には必ずお墓に来るようにしていた。
今日もまた、お墓に花を供え、両手を合わせて供養した。
ただ一つだけ違うことがある。それは今日供えた花の種類だ。いつもは、ピンク色は『カーネーション』の花にしているのだが、今日は『ガーベラ』の花にしたのだ。
奏が亡くなり、彼女の部屋の整理をしている時、一枚の紙を発見した。
『お兄ちゃんへ
夏休みに行った場所の文字を順番に注意して取ってみてください。
それが私のお兄ちゃんに対する気持ちです。
奏より』
紙には簡潔にそう書かれていた。
俺はメモ用紙を取り出し、書き連ねたところで奏の抽出して欲しかった言葉を理解した。
ガーデンフラワーパーク。
ヨーロッパ村。
アドベンチャーゾーン。
山寺。
これらの『行った順番の数字』番目の文字を取ると『ガーベラ』になる。
ガーベラの花言葉は『感謝』。花が大好きな奏は最後に花言葉を通して俺に感謝を伝えたのだ。
「何が『そうだ、〇〇へ行こう』だよ。ゴリゴリに計画練ってたんじゃないかよ」
供養しながら俺は一滴の涙を流す。
今日ガーベラを供えたのは奏の気持ちがちゃんと伝わったことを教えてあげるためだった。きっと奏も喜んでいるに違いない。
不意にスマホの通知が鳴った。
内容を確認すると、カノジョから連絡が来ていた。
一人となった俺を家族が心配しないように充実した人生を送ろうと決めた。今は仕事に恋愛と充実した日々を送っている。
カノジョからは次のような内容のメッセージが送られてきていた。
「そうだ、来週の三連休『ディストランド』に行こうよ!」
この作品がいいと思ったら、『いいね』『高評価』いただけると嬉しいです!