第03話 昇進
戦況報告のため司令部に出頭したウォーケンを待ち受けていたのは、海軍作戦本部長リック・ハドソン大将だった。海軍大学校主席を皮切りに、常にエリートコースを歩んできたこの男は、政治家である彼の父とは知己の間柄である。今回の作戦が成功裏に終われば、元帥と海軍大臣の地位が約束されていただけに、内心忸怩たる思いを抱いていたことは容易に見て取れる。
「君が生きて帰れたことを嬉しく思うよ。これでわたしも少しは君の父上に顔向けができる」
ハドソンの表情は言葉とは裏腹に憂愁の色に染まっていた。
作戦失敗の責任は誰が取るのか。実行した艦隊司令部か、立案した作戦本部か、認可した政府か。いずれにせよ大敗を喫したのだ。誰かが更迭されることは間違いない。ハドソンの言葉の裏には、暗に彼の父親にも類が及ぶことを示唆していた。
「特に君の艦は獅子奮迅の働きをしてくれた。今回の戦闘における最も輝かしい武勲だな」
「ハッ、ありがとうございます。閣下」
国民の目から敗北を糊塗するために、自分の武勲はより誇大に喧伝されるだろう。騒乱の時代には必ず英雄が必要とされる。これは出世を望まぬ彼にとって、むしろ座り心地の悪い椅子といえた。
ハドソンは手渡された戦闘報告書を斜め読みすると、
「君は敗北の原因を何と考えるかね? やはり艦隊司令部はベッソン提督の意見具申を受け入れるべきかと……」
「そうしていれば少なくとも惨敗することはなかったと、小官は考えます」
これは控えめな意見だった。ウォーケンは勝機も十分にあったと考えている。作戦本部が学歴よりも戦歴を重視していればの話だが。
「敵情偵察の不足による伏兵の見落としとは……。敵を寡兵と見て油断したか」
ハドソンは不機嫌そうに報告書を読み続けた。
直接的な原因はそうだろう。ウォーケンは胸中で呟いた。
だが戦闘の勝敗は瑣事が積み重なった末に決まるものだ。間接的な原因は作戦本部の人事にあったと考えている。四十前に早々に大将に昇進した艦隊司令官バーツにしてみれば、古参の少将である戦隊司令官ベッソンの意見など耳障りでしかないのだろう。これがベッソンの意見具申という形でなければ、あるいはバーツも敵の敗走が擬態であることに気付き、追撃を踏み止まったかもしれない。
「それにしても惜しい人材を失ったものだ」
ハドソンは肩でため息をついた。
「同感であります」
ウォーケンも目を伏せて呟いた。
この場合、ハドソンはバーツを、ウォーケンはベッソンを偲んでいたのだが……。
「司令部が全滅したのち、ベッソンは指揮権を引き継いでよく戦ったようだが」
ハドソンの問いかけに、ウォーケンは姿勢を正した。
「提督は我々を逃がすため、盾となって艦隊の最後部に付いたのです」
敵の包囲網を破って血路を開いたとき、先頭で奮闘していた旗艦ワイヤードは突然最後衛に回ったのだ。艦隊を逃がすべく自ら殿軍となったのは、誰の目にも明らかだった。
同じく前衛で戦っていたペルセウスも、ウォーケンの指示の下、ワイヤードに続こうとしたが、浮足立った後続が次々と押し寄せてきて、最後衛に回る機会を失ってしまった。この流れに逆らえば、艦隊は隊列を乱して要らぬ混乱を招くことになる。彼は涙を呑んで脱出を命じた。
「立派なご最期でした」
言葉尻に無念の想いが滲み出る。
ハドソンが徐に目を見開いた。
「彼らしい最後と称揚すべきなのだろうが。今時流行らんよ。そんな死に方は……。指揮官が死に急いでは、指揮系統が乱れるばかりだ」
ウォーケンの胸に抑えがたい怒りが込み上げた。
「閣下! ワイヤード一隻の犠牲で少なくとも百隻以上の艦が助かったのです。提督の死は決して無駄ではありません!」
「司令、副司令を失って、誰が艦隊の指揮を執るのかね? 一戦艦の艦長が艦隊の指揮を執るなど、どこの戦史にも見当たらない異常事態だと思うが」
その遠因を誘発したのが作戦本部の人事にあることを、ウォーケンは理解していた。だが作戦の成否は司令官の資質だけで決まるわけではない。艦隊司令部幕僚、その指揮下にある戦隊司令部、それに自分を含めた各艦の艦長にも責任の一端があると、彼は考えている。
「もし撤退の判断に誤りがあるのでしたら、それは小官の責任です」
「安心したえ。君に責任を問うつもりはない。無論、戦死した連中にもだ」
ハドソンの言葉の裏には、現場に責任を押し付けられない憤懣が見え隠れする。
艦隊司令部が全滅した今となっては、コンコルド星域攻略を下命した作戦本部がその責任を負わねばならない。彼は怒りの矛先を、艦隊司令官のバーツにではなく、その指揮下にあったベッソンに向けていた。
「まさか双頭の竜戦隊を繰り出して負けるとはな。同戦隊所属の艦艇二千隻中、生き残ったのは半数の一千隻。いくら敵に待ち伏せされていたとはいえ、連邦の誇る最精鋭部隊だ。もう少し戦いようがあったのではないか?」
現場の苦労を知らぬ官僚型軍人の常套句が、ウォーケンを苛立たせる。
「お言葉ですが、ベッソン提督は事前に伏兵を予期して、針路を迂回することを主張されたのです。それをバーツ提督が追撃を命じたばかりに……」
ハドソンが片手を振って、ウォーケンの言葉を制した。
「やめたまえ。個人の栄光は既に約束されている。バーツ提督は元帥に、ベッソン提督は中将に、それぞれ昇進が決まっておる。そして君もだ、ウォーケン少将」
「昇進でありますか? 我が軍は敗北したというのに……」
多少、皮肉を込めたつもりだ。
一瞬、ハドソンが不快気な顔をした。
「軍部の発表では、今回も我が軍が勝利したことになっておる。誰かがその栄誉に預からねばならんのだ。君は自分の幸運を感謝せねばならんな。さしずめ軍神マルスにでも」
もう、受け入れるしかないのだろう。
敗軍の将が昇進か……。
ウォーケンは天井を仰いだ。
「少々残念な気がします。戦艦の艦長はやり甲斐のある部署ですから」
海軍で最もやり甲斐のある地位は司令官と艦長である。
ウォーケンは身をもってその言葉を実感した。
文治派のハドソンも艦長の経験は積んでいる。だから運命共同体の家長としての充実感を多少なりとも理解できた。
「君がペルセウスに着任してからどれくらい経つかね?」
「半年であります」
「半年か。それであの戦いぶりを見せつけられては、君の手腕を素直に認めないわけにはいかんな。さすがは副首相のご子息だけのことはある」
いつまで経っても父の名が付いて回る。皮肉のお返しというわけか。
「兵がよく戦ってくれたおかげです。彼らの奮闘なくして生還はありえませんでした」
「ペルセウスが気になるかね?」
「それは……、初めて任された艦ですから」
「だが軍も人手が不足しておるのだ。特に君のような優秀な将官が。そこでだ、わしは君の能力に相応しい地位を用意した。受け取り給え」
ハドソンは一通の辞令書を差し出した。
「これはまだ内定だが、わしとしては君を新設される第五四戦隊の司令官に任命するつもりだ」
「……第五四戦隊」
「連邦初の、いや、人類初のグローク人による戦闘部隊だ。彼らを一人前の兵士に育てるのが君の使命だ。どうかね、君の言う、やり甲斐のある任務だと思うが」
「グローク人を、兵士にですか」
さすがのウォーケンにもこれには口を閉ざした。
彼らは人類に劣らず有能であり、軍も優秀な人材を欲している。いずれはグローク人戦闘部隊が結成されるだろうと予測はしていたが、まさか自分がその部隊の指揮を任されようとは……。
「どうかね? 君以外はこの任務を全うできる者はいないと考えておるのだが」
成功すれば人類初の快挙だ。指揮官の名は永遠に歴史に刻まれるだろう。
だが功名心に逸って失敗すれば、その責任はすべて自分が負うことになる。安易に大事を引き受けて、歴史に汚点を残した人物は顧みればいくらでもいる。
「提督には成功の可能性がおありだと?」
「だからこうして諮問しておる。わしと君の父君とは知己の間柄だよ。無理に任命するつもりはない。この命令に関しては拒否権を与えよう。だが成功すれば、君の軍歴は後の世まで語り継がれることになる」
提督は相変わらず人を指嗾するのが上手い。
もっともウォーケンは軍功による出世を望んではいなかったが。
「もし自分が命令を拒否した場合、代わりに誰をお考えでしょうか?」
「その場合、わしの頭痛の種がまた一つ増えるだけだが」
「自分が必ず引き受けると?」
「グローク人に偏見を抱かぬ将官を見つけるのは難しいのだ。君も知っているだろう。口では平等を唱えながら、グローク人が高級クラブへ顔を出すとしかめっ面する連中を」
日常空間を共有する機会が少ないせいだろう。グローク人に対する潜在的な蔑視は、辺境星域よりも、むしろ中央星域の方が強かった。連邦軍将官の多くがこの命令に何らかの拒絶反応を示すだろう。
「これはベッソンの死に報いる絶好の機会だと思うが」
ハドソンが決断を促した。
ベッソンもグローク人を差別しない数少ない将官の一人だった。彼ならこの命令を喜んで引き受けるはずだ。
ウォーケンは起立して一礼した。
「喜んで拝命いたします。連邦とグローク人のために」
「フム、やってくれるか」
「ハッ、微力ながら全力を尽くします」
「ウム、君ならグローク人といえども一門の兵士に仕立てるだろう。期待しているぞ」
彼らが勇戦すれば、グローク人の社会的地位の向上に一役買うことは間違いない。だが失敗すれば、彼らは再び蔑視と嘲笑を浴びることになるだろう。この内戦はグローク人を奴隷の身分から解放するために始まったものだ。連邦が負ければ、彼らは再び奴隷に身を落とさねばならない。彼らの戦い振りは、そのまま彼らの未来をも左右する。誰よりもグローク人がそのことをよく知っている。彼らの自由への意思に期待してもいいのではないか。
「部隊はいつ編成されるのでありますか?」
「ひと月後だ。それまで郷里でゆっくりと静養してきたまえ」
ウォーケンは新たなる決意を胸に執務室を後にした。