第01話 生還
流れ星の残光が艦橋を掠め彼方へと消えた。
近いな……。
ウォーケンは戦死者名簿を閉じると、眼下に広がる首都星アルテミスに目を落とした。
渦巻く雲海の透き間から青く澄んだ海洋が見える。地表の八割を海が占めるため、この星には水晶球という美しい別称が付与されている。
あるいは宇宙が流した涙の雫かもしれない。
彼はまた生き残った。多くの部下を戦死させておきながら……。
再会と別離を想わせるその光景を、彼は死んでいった部下の面影を偲びながら見つめていた。
彼が艦長を務める宇宙戦艦ペルセウスは、その傷付いた巨体を癒すべく連邦軍最大の軍港ツーロンへ帰投しようとしていた。
いつしか彼方に輝く星々は影を潜め、青く輝く大気の中を、艦首が白い雲海を切り裂いてゆく。対流する風に煽られて、双頭の竜をあしらった第一戦隊の旗がはためく。それは連邦が誇る最精鋭艦隊の証であった。が今は……、護衛艦三隻に守られながら徐々に降下するその姿は、さながら手負いの虎のごとく、戦場で猛り狂った傷痕に満ちていた。
海戦は一週間前に起こった。
コンコルディア星域を制圧すべく出撃した連邦軍一万隻が、同宙域に布陣していた同盟軍一万五千隻と遭遇したのだ。
戦いは混戦となり、零距離射撃による撃ち合いが各所で頻発した。
ペルセウスも敵戦艦一、巡洋艦二を撃破する戦果を上げたが、被弾箇所は十数か所に及び、乗員の三割が戦死する大損害を受けた。
彼自身も艦橋に被弾した際、前頭部に全治二週間の軽傷を負った。
半日に及ぶ戦闘が終了し、艦隊が再集結したとき、既に僚艦の三割が宇宙の藻屑と消えていた。
ここにおいて作戦本部は撤退を指示。勝利の女神は制宙権を死守した同盟にほほ笑んだ。
連邦の最新鋭艦ペルセウスの初陣は惨めな敗北に終わったのだ。この艦が再び戦列に復帰するには、早くとも三か月はかかるだろう。その間に乗組員の補充も行わなければならない。彼には今後やるべきことが山積しており、敗北を噛みしめる時間が今しかないことを知っていた。
彼の胸には士官学校以来の友人だった砲術長の遺髪が納まっている。遺体は軍規に従って、その他大勢の遺体と共に宇宙葬に付された。戦死者を収めたカプセルが暗黒の宇宙に次々と放たれてゆく。見送る者の胸に無念の想いを惹起させながら……。
彼は再び宇宙へ旅立たねばならない。死んでいった部下のために、そして国家の標榜する民主主義のために……。
管制塔の指示の下、艦は垂直降下で所定の位置に着陸した。投錨するとただちに数基のタラップが乗降口に接続される。兵たちの挙手の礼に見送られてタラップを降りると、その横で被害の点検に着手していた技師たちの声が耳に届いた。
「これだけの損害を受けて、よく沈まなかったものだ」
ウォーケンは苦笑せざるをえない。
これだけ被弾しながら沈没に至らなかったのは、偏に幸運の賜物といっていい。
第一戦隊の僚艦は今度の海戦で約半数を失った。戦隊旗艦ワイヤードも司令官ベッソン提督と共に奮戦空しく轟沈している。
三年前、戦闘中に重傷を負った彼を担いで、爆沈寸前の艦から救出してくれたのが提督だった。
「提督、わたしを置いて早く脱出してください」
「バカ者! 軍人なら最後まで諦めるな! たとえ九十九パーセントの希望を失ってもだ」
提督は渾身の力を振り絞って、瓦礫の下から彼を引きずり出した。
脱出用シャトルの中で彼が礼を述べると、提督は物寂し気な笑みで応えた。
「若い者が死ぬのは、自分が死ぬよりも辛いものだ」
思わず唇を噛みしめる。提督戦死の報は彼に少なからぬショックを与えた。
今度は自分が提督を助けるのだ。その決意は実行されることなく空しく潰え去った。
自分はまた生き残った。その思いは決して彼を安堵させない。むしろ小さな棘となって彼の心を疼かせる。
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クリストファー・ウォーケン大佐。二十七歳。
彼は宇宙歴一八四六年、ニューリーカー星系の惑星プリマトス・オーガスタ州で生を受けた。彼の父トーマス・ウォーケンは既に政治家の道を歩み始めており、若輩ながら同国政府の有能な議員として、いずれは同国主席にと将来を嘱望されていた。彼も幼い頃から父親の薫陶を受け、政治家を自明の道と考えるようになっていた。
初等教育は入学から卒業まで主席だった。スポーツも球技や格闘技、あらゆる種目に汗を流した。付いたあだ名はミスターパーフェクト。人望には常に嫉妬と羨望がまとい付くことを、彼はこのとき初めて理解した。
解放奴隷のグローク人とも率先して付き合った。工業化の進んだプロバンスでは、彼らへの蔑視は薄らいでいるものの、市民の間ではまだ根強く残っているのも事実だ。友人の中には、将来のために彼らとの親交を断った方がよいと助言する者もいた。高名な父親を持つ君の名を利用して、どんな悪事を働くかわからないというのだ。
だが彼はそんな意見を意に介すことなく、人類同様に親しく付き合った。そんな彼を慕って多くのグローク人が周囲に集まった。その中には後になって連邦政府初のグローク人閣僚となるジャック・ベイヤ―の名前を見出すことができる。彼は後にこう述懐している。人類でK・ウォーケンほどわたしと忌憚なく握手した者はいないと……。
人種により人を分け隔てしない感覚は、父親の影響というよりは、むしろ同家の執事を務めていたグローク人、セバスチャン・ベッテルの影響が大きいと思われる。ウォーケンがまだ幼少の頃、二人が仲睦まじく遊んでいるのを、多くの者が目撃している。
また彼の母親エリザベスも人種偏見を嫌い、奴隷及び下層市民のグローク人に援助の手を差し伸べた。彼女の名を冠した病院や学校、養護院は国内に数十を数える。母は息子を伴って、ボランティアのため、よくグローク人の貧民街へ足を運んだ。弱者の立場を擁護するのが政治家の最も大切な役割であることを、彼女は身を以て息子に教えたのだ。この二人が彼の公平な平等感を育んだと思われる。