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第41話 激務

「トリュホード星域海戦」の勝利から三か月後、連邦軍の大規模な反抗作戦が開始された。彼我の戦力差は覆い難く、同盟は前線の各所で敗北を重ねていった。第五四戦隊も前線で激戦を繰り広げ、いつしか敵追撃の急先鋒と化していた。ウォーケンは自ら率先して他の指揮官なら尻込みするような危険な戦域に志願した。グローク人兵士の地位向上のためには、万人が認める勝利を積み重ねる必要がある。民族の捨て石たらんとする気概は次第に彼らの間のも浸透していった。常に味方の先頭に立って戦うその雄姿は、見る者の胸に畏敬の念を喚起せずにはおかなかった。第五四戦隊の名は勝利の代名詞として連邦国民の間にも(あまね)く知れ渡るようになった。”双頭の竜”の戦隊旗は名実ともに宇宙最強の証となった。


 ■■■


 ウォーケンは馬に乗って草原を疾駆していた。ここは何処だろう? 彼方には雪を頂くサイレーン山の姿があった。それは幼い頃から見慣れた生まれ故郷の風景だった。ああ、俺は生きて帰れたのだ。手綱を握る手に力が籠った。全身を包み込む浮遊感が心地よい。目の前の風景が矢のように流れてゆく。このままどこまでも走ってゆけたら、どんなに気持ちがいいだろう。風のごとく、雲のごとく、すべてはただ夢の中にあった。


「……兄さん」


 傍らにキャサリンの馬上姿があった。彼女は者悲し気な表情でウォーケンを見つめていた。あの陽気で明るい妹が、こんな表情を見せるなんて。


「行かないで、兄さん」


 並走する二頭の馬は依然スピードを緩めない。不意に彼女の青い瞳から涙が迸った。

 何が不安だというのだ? ウォーケンは再び前方を直視した。いつの間にかサイレーン山は消えていた。行く手を阻むものは何もない。ただ緑成す地平線が彼方まで続いている。前進することにためらいはなかった。だが辿り着くべき目的地が見当たらない。


「行ってはだめ」


 そうだ、俺はどこへ行こうというのだ? ウォーケンは己の内に目標を見い出せず愕然とした。


「行けば必ず死ぬわ」


 キャサリンの細長い指から手綱が滑り抜けた。ウォーケンは必死に手を差し伸べたが、彼女の身体は木の葉のごとく彼方へと消えた。


「キャサリン!」


 手にしたコーヒーカップが床に落ちた。幕僚たちが訝し気に彼を見つめている。ウォーケンは司令官席の背に凭れかかると、太いため息をついた。いつの間にか眠っていたらしい。


「提督、お顔の色が悪いようですが……」


 ヴォルフが労わるように声をかけた。そういう彼もつい先ほど深い眠りから覚めたばかりだ。


「どうです。少しお休みになっては?」

「では少しの間、艦隊の指揮を代わってもらおうか」


 ウォーケンは足取りも重くベッドに横たわった。だが神経が高ぶって寝付くことができない。もう三日も寝ていないというのに。


 ”バーミンガム星域海戦”が終了して三時間が経過していた。三日に渡る追撃戦で連邦軍は同盟軍艦船八百隻以上を撃破した。だがこの大勝利にも拘わらず、グローク人兵士の士気は低下の一途を辿っていた。第一種戦闘体制が解除されたとき、多くのグローク人兵士がその場でへたり込んだ。少なからぬ者が、そのまま鼾をかいて眠ってしまったという。その疲れ果てた姿は命辛々戦場から落ち延びてきた敗残兵そっくりだった。


「こら、半舷交替だ。当番の者は眠ってはいかん!」


 ソコロフは艦内放送を通じて兵士に覚醒を促したが、その語尾は欠伸で間延びしていた。

 第五十四戦隊の兵士は今や疲労のピークにあった。この半年の間に大小十七回の海戦に参加して、敵艦五百隻余りを撃沈する大戦果を上げた。だが転戦に次ぐ転戦で、兵士には一日たりとも休息を与えることができなかった。屈強なグローク人とて体力には限界がある。既に二百名近くのグローク人が心身の衰弱により医務室に収容されていた。軍医はウォーケンにこう意見具申した。これは序の口に過ぎない。彼らに少なくとも一週間の地上休暇を与えないと、艦隊の機能が麻痺しかねないほどの人員が過労で倒れるだろうと。だがここで攻勢の手を緩めれば、敵に反抗の機会を与えることになる。作戦本部や連邦国民の過剰な期待と相まって、第五四戦隊は常に最前線で酷使される運命にあった。


 ■■■


 クロウは士官食堂で夕食をとっていた。昨夜は当直だったので、ろくすっぽ寝ていない。昼間は作業をしながら何度も意識を失いかけた。消灯時間が待ち遠しい。早くベッドに入ってぐっすりと眠りたい。ふと目の前が真っ暗になった。次の瞬間、彼はスープ皿に顔を突っ込んでいた。周囲から哄笑が起こる中、スレイヤーが声をかけた。


「おまえ、眠いからってスープで顔洗うことねえだろ?」


 クロウはナプキンで顔を拭うと、


「中年の身にもなってみろ。三日も四日も徹夜が続いたんじゃ、倒れねえ方がどうかしている」

「そう怒るなって。大農園(プランテーション)の重労働を想えば何てことねえだろ?」


 苦しい時、辛い時、その言葉はグローク人兵士の気力体力を支える合い言葉となったのだが……。

 クロウはその言葉が信じられなくなっていた。


「近頃、俺には大農園の方が楽に思えるんだが」

「冗談か? おまえにしては気の利かねえ冗談だ」

「いや、冗談なんかじゃねえ。今じゃ本気でそう思ってる」

「大農園の方が楽だと? 冗談じゃねえぞ!」


 スレイヤーがテーブルを挟んでクロウに詰め寄った。


「他人に扱き使われて何が楽しい?」

「軍隊だって同じじゃねえか。上官の命令には絶対服従だ。反抗すりゃ殴られる。脱走すれば銃殺だ。そして戦場では常に死の危険が付きまとう。自由なんてどこにある? 俺たちゃ体よく人類に利用されてるだけだ。なっ、スレイヤーさんよ」


 第五四戦隊は消耗品。そんな言葉が一部の兵の間で囁かれているのも事実だ。彼らはウォーケンが自ら進んで死地に赴く理由を知らない。それはクロウも同様だった。


「俺ゃ、近いうちに退役願いを出すつもりだ。こんな所にいたら、敵に殺される前に味方に殺されちまうからな。あの戦争好きの司令官によ」

「なんだと! テメ―、もう一度ぬかしてみろ!」

「ああ、何度でも言ってやる! 所詮は俺もおまえも人類に飼われた猿に過ぎねえのさ」


 先に手を出したのはスレイヤーだった。二人が殴り合いを始めるや、周囲の者がすかさず止めに入った。体力を消耗しているせいか、二人の息はすぐに上がった。


「いいか、俺はな、誰の意思でもねえ。自分の意思で軍人になったんだ! そのことを忘れるな」


 スレイヤーは周囲の手を振り払うと、憮然と士官食堂から立ち去った。入れ替わりに入室してきたダフマンは、怒りも露なスレイヤーを無視して、周囲の者に抱き起されたクロウを正視した。状況から事態は容易に推測できる。喧嘩は既に日常化した光景だった。誰もが激務のため苛立っている。彼自身も何度か喧嘩の仲裁を経験している。


「クロウ、喧嘩の原因は?」

「いや、何でもねえ。放っておいてくれ」

「疲れてるんだろ? 自室に帰って休むといい」


 揉め事の多くは些細な事が原因だ。ひと寝入りすれば大抵は忘れてしまう。クロウはダフマンに促されるままに自室へ向かった。彼は自室の前に立って、ふと何かを思い付いたようにダフマンを顧みた。


「軍人っていうのは割に合わない商売だよ。俺ゃ、もう疲れちまった」

「軍を辞めるつもりか?」

「今更辞めさせちゃくれねえだろ? こうなりゃ脱走か、あるいは怠業(サボタージュ)か」

「おい、どちらも下手をすりゃ銃殺だぞ。味方に殺されたいか?」

「味方だろうが、敵だろうが死ぬことに変わりはねえよ」


 クロウはそう吐き捨てると自室へ姿を消した。ダフマンは一抹の不安を感じつつ士官食堂へ踵を返した。


「おい、マズくねえか? この雰囲気。破綻寸前の大農園って感じだぜ。脱走や反乱が起きても不思議じゃねえってな」


 士官食堂におけるグレイの発言は、その場にいたグローク人士官の興味を引いた。

 ダフマンは危惧を抱いた。ウォーケンは功を焦っているのではないか?

 スレイヤーが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「脱走? 反乱? なんならおまえがやってみろよ。成功させる自信があればな」

「よせやい、冗談に決まってんだろ」


 それっきり話題は途絶えた。皆の吹かす煙草の煙が妙によそよそしい。誰もが艦内の空気から危険な臭いを感じ取っていた。脱走や暴動の可能性が兵たちの間で実しやかに囁かれた。作戦本部は俺たちグローク人兵士を使い捨てにしようとしている。そんな噂すら飛び交っていた。一笑に付すことができれば何の心配もないのだが。ダフマンの杞憂はやがて現実と化した。機関科員二十名が怠業を敢行した挙句、銃を手に機関室に立て籠もった。主導したのは機関長のクロウだった。その報告はすぐにトムソン艦長を経て、ウォーケンに伝えられた。

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