第30話 友情
「後を頼む」
バルバロイの住民に対する救護班の編成を指示すると、事後を参謀長のヴォルフに託して、ウォーケンは一人第一指令室を去った。その様子を目端に捕らえたロードバックの胸にある一つの疑念が生じた。
この重大事にいったいどこへ行く気だ?
混乱している現場を離れるのは気が引けるが、それでも後を追おうとしたのは、ロードバックが確信的ともいえる不安を抱いたからだ。その不安は的中した。司令官室に消えたウォーケンの後を追ったロードバックが見たものは、拳銃を手に自決しようとする彼の姿だった。
「おい、やめろ!」
言うなり、ロードバックはウォーケンから拳銃を奪い取った。
ウォーケンは敢えて抵抗しなかった。ただ暗い目でロードバックを睨んだだけだった。
「何を考えてる! あれは偶発的な事故だ。おまえに責任などない!」
「……事故だと? 核攻撃を下命したのは俺だぞ」
「いや、命じたのはグールト提督だ。おまえはただ命令に従っただけだ」
「事前の細密な調査を怠った責任は誰が取る? 十万だぞ。十万もの住民が亡くなったんだぞ! 俺には耐えられない」
ウォーケンは脱力したようにベッドに腰を落とした。そして俯いたまま黙して語ろうとはしなかった。
あるいは心中で慚愧の涙を流しているのかもしれない。その純粋な正義感が巨大な責任感となって、彼自身を追い込んでゆく。多くの連邦軍将兵が事故と認識するこの一件を、彼だけは自己の責任と感じずにはいられない。だがこの手の法が罷り通れば、戦場では戦死者よりも自殺者の方が多くなる。命の大安売り。多くの将兵が無意識に共有しているその戦争観を、ウォーケンは意識的に共有しようとはしなかった。優れた資質を有しているにも拘わらず、まさにその一点において、彼をして軍人に不向きな人種とするのだ。
だが彼には立ち直ってもらわねばならない。第五四戦隊を指揮できるのは彼以外にはいないのだから。
「おい、連中はどうするんだ? せっかくここまで育て上げたんだぞ。ここでおまえが見捨てたら誰が艦隊の指揮を執るんだ?」
「俺以外にも優れた指揮官はいくらでもいる。ロードバック、なんならおまえが……」
不意にロードバックがウォーケンの胸倉を掴んだ。
「おい、いい加減にしろ。みんな、おまえを信じてついてきたんだ。それを見捨てるなんて。俺は絶対に許さねえからな」
ウォーケンの口元が歪んだ。
「許さなかったらどうする気だ? 俺を殺すか? 本望だ。殺ってもらおうか」
「なんだと!」
ロードバックが拳を振り上げたそのとき、背後で声が響いた。
「参謀、おやめ下さい! 今は第一種戦闘配備中です。喧嘩なら同盟軍相手にすべきです」
開かれたドアの向こうにトムソンの姿があった。その背後にダフマンとクロウの姿が見えた。
ロードバックが拳を下ろして三人を見た。
「確かにその通りだ。まさか戦闘中に司令官に怪我を負わすわけにはいかないからな」
「意見具申を認めていただき、ありがとうございます」
ロードバックがウォーケンの手を取ってベッドから立ち上がらせた。
「さあ、いこうぜ。皆がおまえさんを待っている。戦時においては、個人の命は国家のものであり、また部隊全員で共有されるものでもある。ウォーケン、おまえの命はおまえ一人のものじゃないんだ。そのことを忘れないでくれ」
「贖罪の機会さえ奪われるとは……。軍隊が人権蹂躙の場であることがよくわかったよ」
「贖罪の機会なら、いずれ向こうの方からやってくるさ。まっ、死の御使いという望まぬ形の贖罪ではあるが」
「死の御使いか」
大量殺戮者はいずれ神の祭壇に自身の命を捧げねばならない。この瞬間、ウォーケンは生きて故郷の土を踏めないことを直感した。
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キールの帰還したウォーケンを待ち構えていたのは、意外にもバルバロイ占領軍指揮官としての賞賛だった。民間人の大量虐殺という戦争犯罪を追及する声はどこからも上がらず、それどころか国防総省は今回の作戦を指揮したグールト、ウォーケンの両名に第二級戦功勲章を授与するという朗報まで伝えてきた。無論、ウォーケンはこの申し出を辞退した。彼は自分の失態に目を瞑ってまで受勲するような厚顔無恥ではない。人生には取り返しのつかない失態も存在する。これが戦闘による敗北であれば再戦による勝利の機会も与えられよう。だが民間人の集団殺戮を贖う術などどこを探しても見当たらない。彼は査問会を開くよう要請したが、本部長ハドソンは一顧だにすることなく却下した。
「この一件は我々が裁くべき問題ではない。同盟の連中はそうは思わんだろうが」
同盟軍がこの戦争に勝利すれば、ウォーケンは戦争犯罪人として罪を問われることになる。ハドソンが暗示した可能性は連邦の敗北という、彼の望まぬ形の贖罪だった。
「そうか、提督は勲章を辞退されたか」
ヴォルフが報告を聞くなり嘆息した。
彼の人となりを知る者なら十分予期できた。幕僚たちの多くが彼の苦悩を理解していた。そして一部のグローク人士官たちも。
深夜、ダフマンはこっそりと自室を抜け出して一人司令官室へ向かった。案の定、ドアの前で警護の従兵が彼の不審な訪問を咎め立てた。
「F・ダフマン中尉だ。提督に取り次いでくれ」
「ですが提督はいまお休み中で」
渋る従兵と押し問答していると、不意に部屋の中から声がした。
「ダフマン中尉、入室を許可する」
ウォーケンはパジャマの上から軍服を羽織ると、ベッドに腰かけたままダフマンを迎え入れた。
「何の用だ、こんな時刻に」
「今日は軍人としてではなく、友人として話に来た」
部屋の中は薄暗かった。窓から差し込む月影を背にしたウォーケンの表情を読み取ることはできない。だが微笑みを浮かべたようにダフマンには見えた。
「許可しよう。隣に座ったらどうだ? ダフマン」
ウォーケンは葉巻に火を点けると、ダフマンにも一本差し出した。
「スタリウス産の上物だ。吸うのは久し振りだろ?」
二人はそれっきり口を閉ざした。過ぎ行く沈黙は過去への飛翔に要した時間だった。やがてダフマンがポツリポツリと少年時代を懐旧し始めた。
「ウォーケン、おまえは俺のよきライバルだった。ロードバックだってそうだ。俺たちは共におまえを追い越そうと必死だった」
ウォーケンの返事はなかった。
ダフマンは尚も一人でしゃべり続けた。
「だがおまえは一度も主席の座を譲らなかった。俺たちはいつも陰で悔しがったものさ。その上おまえは女の子によくモテた。ロードバックは俺の方が二枚目なのにって、よくやっかんでいたものさ」
ウォーケンは彫像のごとく動かない。ただ煙草の煙だけが生命を宿したもののごとく不定形に蠢いていた。
「俺が常に次席でいられたのは、ウォーケン、おまえという目標があったからだ。今だってそうだ。おまえが軍にいたからこそ、俺もこうして軍人になった。よきライバルであり、よき目標であり……、まあ簡潔に言えば、おまえは俺の英雄だったのかもしれない。だぶんロードバックも同じように感じていたと思う。今じゃ連邦の本物の英雄になっちまったが」
二人の間に再び沈黙が訪れた。ダフマンは葉巻を揉み消すとベッドから腰を上げた。
「俺は最後までおまえについてゆくつもりだ。決しておまえだけを死なせはしない。ただそれだけを言いたくて、わざわざ夜中におまえを訪ねたんだ。じゃあな」
「待ってくれ、ダフマン。すまないがこの手紙を預かってくれないか」
彼は一通の手紙を差し出した。
「誰宛だ?」
「キャサリンだ。バルバロイの一件を書き記してある。妹にだけは事実を知ってもらいたくて……」
副首相である父トーマスはバルバロイの悲劇を軍部発表とは別の事実として知ることになる。だが妹は……、父が話さない限り、ーーそれは容易に見て取れるのだが、永遠にその事実を知ることはない。ウォーケンはそれが気がかりだった。
「もし俺が戦死したそのときには、妹へ送付してほしい」
ダフマンは笑みを浮かべると、
「さっき言ったばかりじゃないか。死なら諸共だって。今のうちに自分で送っておけよ」
ダフマンは一礼して司令官室を辞去した。
ウォーケンはしばらくの間、手紙をぼんやりと眺めていたが、やがてペンを執ると最後の一行にこう書き加えた。
我が親愛なる妹へ……。
ウォーケンはその手紙を封に収めると、満足したかのように再び眠りに就いた。




