第26話 事故
「喜んでばかりもいられません。事故も一件発生しています」
ヴォルフが報告書を捲って新しい議題に移行した。幕僚たちは沈痛な面持ちで口を閉ざした。繰り返し行われる訓練の中で小さな事故は毎日のように頻発していた。
「誤射か。戦闘艦を標的と誤認するとは。やはりすべての艦がミネルバのレベルというわけにはいかないか」
ブレンデルは嘆息をつくと再び報告書に目を落とした。
「死者が出なかったのは幸いです。運用長が機転を利かせて大事故に発展するのを防いだそうです」
ロードバックの調査報告書は詳細を極めており、幕僚の誰もが現場の状況を的確に把握することができた。
艦対艦の射撃訓練は主に光条弾という低エネルギー弾を使って行われる。それは弾道を確認するために使用されるのであり、たとえ相手に命中しても損害を与えることはなかった。
「一時方向、光条弾、来ます!」
戦艦リューベックの艦橋にオペレーターの絶叫が響き渡った。
「取り舵一杯、急げ」
艦長の指示を受けて航海長が操縦桿を左へ回す。艦首がゆっくりと左へ回頭し始めた。
「駄目です、間に合いません」
オペレーターの声には余裕があった。
命中したところで被害はない。ただ司令部のリューベックに対する評価が下がるだけだ。乗組員の誰もが練習後に落ちるであろう艦長の雷を想ってため息をついた。それはトムソンとて同様だった。航海科の連中、気の毒に……。だが着弾の閃光が目を射た瞬間、彼は激しい衝撃と共に床に放り出された。
「どうした?!」
艦長がマイクに向かって怒声を発した。
光条弾が命中したくらいで、これほどの衝撃を受けるはずがない。
「弾薬庫に被弾、火災が発生しました!」
「それは事実か?」
「間違いありません!」
誰もが自分の耳を疑った。命中したのは光条弾ではなく実弾なのだ。
なぜこんな手違いが起こったのか? だが原因を究明している暇はない。弾薬庫に積載されているミサイルに引火すれば、いくら戦艦といえども木っ端みじんに砕け散る。艦橋は騒然とした雰囲気に包まれた。
「運用班、被害箇所は修復するな。そのまま宇宙服を着用して消火に努めよ」
トムソンの指示は的確だった。もし被害箇所に速乾性の硬化プラスチックを吹き付けていたら、弾薬庫内に滞留した空気が炎を勢いづかせて、ミサイルを誘爆させていたかもしれない。
彼はマイクに向かって指示を出すと、自らも現場に飛び込んで消化活動に従事した。火災は五分で鎮火して、リューベックは危ういところで爆沈を免れた。
現実は悪夢となって再びトムソンの心を苛んだ。彼はベッドの上で目を覚ました。疲労が蓄積していたのか、いつの間にか眠りこけてしまったようだ。時計を見ると一八一五時を表示している。夕食後、点検を終えると就寝時刻の二一〇〇時まで自由時間となっている。室内に同僚の姿はなかった。彼は再びベッドに横になると教科書を開いた。歳のせいで記憶力が徐々に悪くなっている。自分が若い者に伍して職責を果たすには不断の努力が必要なのだ。
「よう、聞いたぜ、武勇伝。危うく味方に殺されかけたって?」
ふと戸口に目をやると、グレイの姿があった。
トムソンは勉学の中断を惜しんだが、仲間の言葉を無視するほど不愛想にはなれない。これがスレイヤーなら”うるせえ!”の一言で終わりとなるのだが……。
「味方に殺されたんじゃ死んでも死にきれないからな。必死でやったまでさ」
責任感が恐怖心を超克したのだ。これはトムソンにとって大きな自信となった。
「生きてりゃすべてはラッキーさ。よかったな、これでおやっさんも艦長様だ」
グレイの楽天主義も兵士には長所となりうる。
トムソンは笑おうとして、ふと真顔になった。
「艦長候補? いったい何の話だ」
「これは噂だけど……。士官候補生の中で特に優秀な者は艦長に任官されるって話だ」
「俺たちゃ卒団しても特務士官だぞ。艦長は人類士官が務めるんじゃないのか」
「それが人類も人手不足でよ。グローク人で埋め合わせするんだと」
グローク人が戦場へ駆り出されたのも、もとを糺せば人類兵士が不足したためだ。あり得ない話ではない。
「艦長なんて柄じゃないよ。俺は士官になれただけで十分さ」
自分には荷の勝ちすぎる役職だ、とトムソンは思う。だが運命とは皮肉なもので、得てしてこういうタイプの人間に重責を押し付けたがる。
グレイがさも残念そうに呟いた。
「欲がないんだな、おやっさんは……」
トムソンは床のシミを見つめたまま他人事のように聞き流した。
■■■
グローク人兵士が海兵団を卒団する頃、残りの艦船一千隻も予定通り惑星キールに集結した。
ウォーケンはその中に懐かしい艦影を見た。戦艦ペルセウスが修理を終えて自分の下に舞い戻ったのだ。この新鋭艦が配備される予定はなかったはずだ。彼は意外な面持ちでヴォルフを見た。
「確か艦船リストにはなかったはずだが……」
「たぶんハドソン提督の好意でしょう」
ヴォルフの返事は素っ気なかった。
彼はウォーケンがかつてペルセウスの艦長を務めていたことを知らない。単に新鋭艦を差し向けてくれたことを、作戦本部長の好意と解釈したようだ。ウォーケンはペルセウスと肌が合った。だが合理的精神の持ち主であるヴォルフは、無機質に魂が宿ることを信じない。彼にこの類の感慨を理解させることは不可能だろう。
「では人の好意は素直に受け入れるとしよう」
ウォーケンはペルセウスに乗艦すると、大演習を督戦するために惑星キールを出撃した。
既に艦隊はA軍とB軍に分かれ、それぞれブレンデルとヴォルフの指揮下の下に布陣を完了していた。ウォーケンが演習開始を下命すると、両軍は堰を切ったように砲撃を開始した。A軍が鶴翼陣を敷いて敵を包囲しようとすれば、B軍はすかさず魚鱗陣の敷いてこれを突破しようとする。A軍は分断されたと見せかけて敵を両翼から挟み撃ちにしようとする。B軍は全速力で前方突破を図ると鶴翼陣を敷いて敵の包囲を企てる。A軍は先手を打って敵の最も薄い部分に砲火を集中して包囲網の一角を突き破った。両軍はまるで指揮官の手足のごとく縦横無尽に宇宙空間を疾駆した。その戦術書を完璧に再現した動きに、幕僚たちは感嘆の声を上げた。
「これほどの統制の取れた艦隊は銀河系のどこを探しても見当たらないでしょう」
ソコロフの目に涙が光った。彼はグローク人から鬼参謀と呼ばれるほど仕事熱心だったが、その努力が結実したことを知って感に堪えなかったのだ。
「連邦がグローク人を敵に回さなかったのは正解だな」
ウォーケンは知っていた。
グローク人を最精鋭の兵士に成らしめた遠因が服従と忍耐を強いた奴隷制度にあることを。彼らは兵役に志願する前から奴隷制度によって陶冶されていたのだ。なんという皮肉だろう。辺境の奴隷制寡頭権力は飼い犬に手を噛まれるのだ。




