前史2
宇宙歴一八〇〇年代に入ると中央星系は飛躍的な工業化を遂げ、辺境星域はその余波を受け、逆に農業化の道を歩むこととなる。農産物は辺境星系の生命線となり、連邦経済全体に支配的な影響を及ぼす商品となった。
スタリウス星系のG・ミルトン議員は連邦議会の上院で、後進国とみられがちな辺境星系の民衆の誇りを代弁してこう言った。
「三年間、農産物の供給を停止しようではないか。さすれば中央星系は完全に倒壊し、周辺諸星域も巻き添えを喰うだろう。食料に戦争を仕掛ける愚か者はいない。いかなる権力も食料には敵し得ない。農産物は今や辺境最大の武器なのだ」
農作物の生産量と軌を一にして、グローク人奴隷の数も増加した。
宇宙歴一八〇〇年代八億九千万人だったグローク人奴隷は、一八六〇年代には三十六億人を数えるに至った。
こうして辺境星域はグローク人奴隷制度の牙城と化したのである。
「奴隷所有者とは、同じ人間である者に対して所有権を主張し行使する者のことである。グローク人奴隷とは一切の権利を剥奪され、獣の水準にまで引き下げられ、法律上では単なる動産に過ぎず、人類の同胞関係の圏外に置かれ、人間から切り離された人間存在である。彼らグローク人には、これが自分の物だといえる物が何ひとつない。彼らは他人の果実を取り入れるために骨折って働き、自分以外の人間が遊んで暮らせるように汗水を流すのだ」
逃亡して自由の身となり、奴隷廃止運動の先駆者となるG・べリックは、かつての奴隷生活を顧みてこう述懐している。
彼ら奴隷所有者の一日は旧世紀の貴族の生活を想起させる。
昼は狩猟、夜は舞踏会と忙しい。寄り集まれば奴隷を何年で使い果たしてしまえば効率的かということが、農作物の値段や畜産物の値段と一緒に真剣に論じられる。それに比べグローク人奴隷は自分が辛うじて生きられる程度の生活物資さえ容易に与えられず、牛馬のごとく一日中酷使させられる。腹が減ったといえども、自分で育成した果実を食べれば盗みの咎で鞭打たれ、離れ離れの妻子に無断で会いに行けば、逃亡の罪で焼き印を押し当てられる。堪り兼ねて逃亡すれば猛犬の追跡を受け、もし捕縛されれば耳を削がれたり殺されたりするのが当然と言えた。この野蛮な搾取制度こそが連邦辺境の農業王国を支えていたグローク人奴隷制度の実態だった。
十七、八世紀にみられた家父長制度的な人間対人間の関係はすっかり影を潜め、仮借なき重労働と鞭の強制による関係がこれに取って変わったのだ。
民主主義を標榜する国民の目から見れば、奴隷制度は国是に反する以外の何ものでもなく、奴隷制度廃止運動が起こるのはむしろ当然の流れと言えた。その潮流の渦は中央星系から徐々に広がりをみせ、時と共に辺境へ及んでいった。かつての宗教的博愛主義に根差した人類によるリベラル奴隷解放論に代わり、革命的で非妥協的なグローク人による奴隷の全面開放を唱えるラジカル奴隷解放論が運動の基本に据えられるようになった。
そんな社会情勢の中でW・カーソンの「解放者」がポストニカで発行されたのは宇宙歴一八三一年のことであった。彼は創刊号の社説に信条宣言という見出しをつけ、「わたしは命懸けだ。わたしは曖昧な態度をとらない。わたしは容赦はしない。わたしは一インチたりとも後へは引かない。そしてわたしの言うことを聞き入れてもらうのだ」という有名な決意表明を掲げたのだ。
彼はその後、多くの協賛者を糾合して、一八三二年にニューポート奴隷制反対協会を設立した。そして翌年には惑星フィラデルメンテで奴隷制反対の全国組織である連邦奴隷反対協会が設立された。同協会は多くのグローク人の賛同に後押しされて、一八四〇年までに辺境支部二十万、会員総数二千万を数えるまでに成長した。その多くが解放奴隷であることを考えれば、スタリウス星系の政治家J・ラウベンダーが「解放奴隷の存在そのものが、奴隷財産の安全を脅かす最大の要因となった」と杞憂するのも当然のことだった。
解放とは彼らグローク人が家畜のごとき桎梏から解放され、人間として自由を与えられることを意味した。その権利を手中にする方法は様々で、たとえば軍役に服することで自由の身になった者や、勤勉と貯蓄によって主人から自由を手に入れた者や、逃亡という非合法によって自由を獲得した者など、銀河大戦が勃発した一八六〇年代初頭には四千八百八十万人を数えるに至った。
彼ら解放奴隷による「解放者」や「反奴隷旗」などの定期刊行物の発行、講演や集会、請願運動などの活発な活動は、奴隷制寡頭権力による激しい抵抗や弾圧、更にはテロなどの妨害行為を呼び起こす契機となった。奴隷制廃止主義者は常に身を危険に晒すことになったが、一八三七年十一月、ついにフロアスタ星系の惑星セルドンで、教会支部長のE・フライシャーが暴漢に襲われ殺害される事件が発生した。裁判では多くのグローク人目撃者が証言したにも拘わらず、加害者は証拠不十分により釈放、グローク人の怒りの炎に油を注ぐ結果となった。この不当な判決に対する抗議運動が各地で展開し、一八三八年には後に傑出したグローク人指導者といわれるG・べリックによる連邦解放グローク人協会が設立された。その結成式の挨拶で、彼は次のような挨拶を述べている。
あなた方は奴隷制度の苦しみと悲しみを身をもって味わった人々です。
あなた方は自由と博愛と公民権のために戦ってきた人々です。
わたしもまたあなた方の一人なのです。