第09話 入団
F・ダフマンが惑星キールの第三海兵団に配属されたのは宇宙歴一八七一年六月のことだった。
一週間前に受けた兵役検査に合格した彼は、晴れて第五四戦隊の一兵卒たる資格を得た。だがそんな晴れがましい気分もすぐに失意へと変わり果てた。なにしろ総人口五十万人に満たないこの小さな惑星に、突如として九万人のグローク人と五百隻の艦艇が集結したのだ。当然のごとく衣食住の確保は困難を極め、軍服は与えられず手持ちの私服を、食料は宇宙食を中心とした保存食を、住居は兵舎の代わりに野営用の天幕を、という有様だった。それも一つの天幕に五人という超過密状態だ。猥雑な言葉が日常語のごとく頻繁に飛び交い、理由すら釈然としない喧嘩が野営地の至る所で頻発した。こんな連中で統制のとれた軍隊を組織できるのだろうか?
ウォーケンやロードバックの苦労が忍ばれる。一度でもいい。彼らに会える機会があるといいのだが……。
夜の帳が下りたころ、ダフマンは自分の天幕に足を向けた。
巷での自由行動が許されるのも今日限り。明日からは厳しい教練が待っている。天幕内では既に二人の僚友が思い思いの格好で寛いでいた。ダフマンは自分の場所へ腰を下ろすと、電灯の明かりを頼りに本を読み始めた。
「よう、なに読んでんだい?」
リック・グレイが暇を持て余して声をかけてきた。
あの”地下航路”で逃亡してきた、まだあどけなさが残る十八歳の青年だ。
ダフマンが顔を上げた。
「これか? K・ネルソンの”宇宙会戦史”さ。今後の参考になると思ってね」
「あんた、本なんて持ってきたのか?」
「いや、近くの図書館で借りてきたのさ。持ってきたのはただ一冊、聖書だけさ」
「本なんて戦争の役に立つのかねえ。なあ、どうすれば生き残れるか書いてねえか?」
「戦争には生存術というのがある。書いてあるから貸してやろうか」
「だめだ、俺は字が読めえね。読めたところで何を読んでいいのかさっぱり……」
ダフマンはふとグレイの傍らにあるトランペットに目を止めた。
「それは?」
「俺の宝物さ。俺は夕方になると大農園でこいつを吹いて、みんなに一日の労働が終わったことを教えてやるのさ。いざ敵に突撃というとき、突撃ラッパのように勇ましくこいつを吹き鳴らしてやるんだ」
グレイは突然トランペットを口にするとブッと頬を膨らませた。
「おいおい、練習がしたいのなら、どこか遠くでやってくれ」
天幕の片隅で壮年のグローク人が声を上げた。
ハリー・トムソンだ。年齢四十歳。所有者に身代金を支払って自由を得た、ダフマンの父親と同じ公認の解放奴隷だった。彼は普通の軍隊であれば少なくとも尉官になっている年頃だ。彼以外にも四十代で採用されたグローク人は少なからずいる。首脳部としては彼ら人生経験豊かな者を、不足している士官の補充要員に充てるつもりなのだ。
ダフマンが意見を求めた。
「士官がずいぶん不足しているという話だが……。代わりに我々が登用される機会はあるのだろうか?」
トムソンは考えるのも煩わしいとばかりに欠伸をすると、
「うちの司令官だって敗戦で将官に昇進だ。敵に勝ちさえすりゃ、俺たちだって尉官だろうが佐官だろうが思いのままだろうよ」
どこから情報を仕入れてきたのか。コンコルデア星域会戦の結果は軍部の発表とは裏腹に、多くの者に正確に伝わっているようだ。ウォーケンは巷では敗軍の将なのだ。
グレイが期待に瞳を輝かせた。
「俺たちが出世して、人類共の兵卒に命令するなんてこともあるのかな?」
トムソンが薄闇の中で白い歯を見せた。
「まあ、あり得ない話じゃないな。だがそうなるには字が読めないと」
「なんでだい? 兵隊は要は腕っ節だろ? 俺はAランクで体力検査をパスしたぞ」
「命令書が読めないだろ。それとも恥を忍んで部下に読んでもらうか?」
「……」
グレイはため息をついた。
グローク人の識字率は二十パーセントと言われている。この数字を高めているのは主に中央出身の者だ。グローク人の間にも中央と辺境という育った地域によって差別があるといわれている。教育問題がその根底を成しているのは明白だった。
「まあ、おまえさんは出世のことより生き延びることを考えるんだな」
トムソンの言うことは的を得ている。
グレイは不貞腐れて横になった。
ダフマンは笑いを噛み殺すのに苦労した。
そのとき天幕の入り口から一人の男が顔を覗かせた。
「なるほど、こいつは噂以上に酷いな。これなら馬小屋の方がまだマシだな」
初顔の男だった。彼はこの天幕に割り当てられた最後の一人だった。
「俺は大農園で働いていたとき、馬小屋の藁の上で寝起きしてたんだ。そんときゃ一日中働いてクタクタだったせいか、夢なんか見たことがなかった。夢を見るようになったのは、解放奴隷になってベッドで眠るようになってからさ。それも昔の悪夢をよ」
彼の名はジム・クロウ。三十歳。
彼は幼少の頃から主人の下で育った。主人は中央出身の農場経営者で奴隷を寛大に扱ってきた。他の農場よりマシという程度なのだが、それでも仕える者の目には天国と映った。
「病気になりゃ、主人は医者を呼んでくれたし、奥様は字を教えてくれたんだぜ」
グレイが素っ頓狂な声を上げた。
「そりゃすごい! いい主人に恵まれたな」
ダフマンには当然のこととしか思えなかったが。
トムソンが尋ねた。
「どうして解放奴隷になったんだ?」
「神様が幸運を授けてくれたのさ」
クロウが肩を竦めた。
ある日、濁流に吞まれた主人の娘を彼が助けるという出来事があった。主人はその誠意に温情を以て報いた。彼を自由身分として開放したのだ。
「辺境じゃ解放奴隷といっても名目だけだからな。独り立ちしようにも職がねえ。それで中央に出て来たってわけだが、まさか辺境を相手に戦争する羽目になるとは……」
グレイが尋ねた。
「解放後はなにしてた?」
「芸人さ。猿を相手の掛け合い芸さ。人類相手に大受けしたぜ。特に前線の兵士を慰問したときは……。だが所詮はグローク人の芸人さ。忙しい割には実入りが少なくてよ。相方の猿が死んじまってからは、もう仕事にならなくて」
「じゃあ、俺を代わりに使ったらどうだ?」
この天幕で寝起きする男がまた一人、のっそりと顔を出した。
ディック・スレイヤー。年齢不詳。見た目から推測すると二十代後半か。
ついこの間、辺境から逃亡してきたばかりの解放奴隷だ。追手の追跡を逃れると、船員と偽ってあらゆる船舶を乗り継ぎ、とうとう中央星域への脱出に成功したという。
「新入りの兄ちゃん、悪いがそこは俺の場所なんだ。そのきたねえ尻を別の場所へ置いてくれねえか?」
その乱暴な物言いに、クロウは荷物をまとめて天幕の奥へと移動した。
ダフマンも同じ目に遭っている。ここへ来た当日、電灯の真下で本を読んでいると、
「どけよ、丸眼鏡! そこは俺の場所だ」
スレイヤーに邪険に追い払われた。
彼は辺境の奴隷特有の暴力性を有している。ダフマン自身、これが人類の抱く辺境奴隷の類型であることに気付かない。決して彼には気を許してはならないと考えていた。




