前史1
よろしくお願いします。
もし見識ある人物が銀河合衆国連邦の歴史書を紐解けば、宇宙歴一六一九年という年に目を止めるはずだ。
宇宙歴一六二〇年の開拓星ポストニカにおける”メイフラワーの誓約”の陰に隠れて見過ごされがちだが、その年こそ連邦の開拓星セイリムに初めてグローク人の奴隷が陸揚げされた、スタリウス星系における奴隷時代の幕開きとなった。
人類が生活圏の拡大を続け最初に遭遇した高等生命体。それがグローク人だった。
彼らはバーナード星系の十二の惑星で存在が確認された。鳥の嘴のように先の曲がった大きな鼻。犬の鼻孔部のように突き出た額。眼窩上隆起や額の後退は見られず、乳様突起の発達が確認されている。黒い体毛が身体の各所を覆っており、その旧人を想わせる容姿から、人類は彼らを”エイブ”と呼んで蔑視した。
文明の水準は人類を五千年遡るとされており、まだ空を飛ぶ技術も大洋を押し渡る技術も持ってはいなかった。
彼らには太古から継承された神話があった。かつて発祥地とされる惑星が大洪水に見舞われた折、空から救いの手を差し伸べて、彼らの先祖を他の移住可能な惑星に移り住まわせたというのだ。だから人類が宇宙船で空から舞い降りたとき、彼らは人類を異形の神として崇めたてた。それが人類にグローク人を容易に隷属させた原因となった。
人類は自ら開拓に従事し、農工業生産を営むことによって、富の蓄積を目的とした定住植民地の政策をとっていた。銀河の広域を支配した人類にとって何よりも必要だったのは、植民地を維持するための永続的な労働力であった。そのためにかつて人類が地球において西暦を呼称した折、アフリカで行われた奴隷狩りという惨劇がここに再現されることとなった。
彼らを最初に捕獲したのは、クリス・トルメントという武装商船の船長だった。
彼は武装した乗務員と共に惑星クリプトに上陸、その地に住み着いていたグローク人を襲撃、その部族をほとんど虐殺したうえ、百名の男女を生け捕りにすることに成功した。
グローク人の歴史に恥辱と屈辱を焼き付けた奴隷貿易は、こうして今から四百年ほど前の宇宙歴一四四一年にリムストを中心としたカタロニア星系で開始された。それは資本の本源的蓄積過程において究めて重要な役割を果たしたが、同時にグローク人の人権が完全に否定されることへも繋がった。
カタロニア星系政府の熱心な支持の下に、奴隷狩りはバーナード星系全体へと拡大された。宇宙歴一五〇〇年代から一六〇〇年代にかけてカタロニアの独占時代が続いたが、他の諸星系がこれを黙って見過ごすはずもなく、間もなくアムステン星系が、ついでブルタニア星系が、さらにスコッティランド星系がこの奴隷市場が介入するようになった。これに拍車をかけたのが、宇宙歴史上最大の発見といわれる一四九二年の冒険家クルタ―ニクによるスタリウス星系への到達だった。
この人類の生存に適した惑星を五十ほども含む豊饒な星系は、今後の人類の行く末を大きく左右することとなる。カタロニアの国勢調査局長クリス・ベネットの提案により、植民地に移住する人類はグローク人奴隷を百人まで所有することが認められるようになり、これがスタリウス星系における奴隷貿易の端緒となった。
一六一九年に貿易船でセイリムに連れてこられたグローク人奴隷は、やがて奴隷貿易で専横を極めるスタリウス星系最初の犠牲者といえた。その年、同じポストニカでヴァージントン植民地会議が初めて開かれている。この会議の開設は植民地の自治を完全に明確化し、その後のスタリウス帝国主義の制度上の基本として、以後、この星系の歴史的発展にとって銘記すべき出来事となった。帝国主義の始まりとグローク人奴隷の輸入の始まりが、時と場所を同じくしてなされたことに、既に未来における銀河大戦の萌芽を読み取ることができる。
やがて宇宙歴一八〇〇年代、中央諸星域が供給過剰により次第に貿易から手を引いてゆく中、新興のスタリウス星系において奴隷貿易は最盛期を迎えることになる。生まれ故郷から新天地に連れ去られたグローク人の数は、研究者により学説を異にするが、最小でも六億人、最大なら七億人という数字を上げている。このうち新天地に無事辿り着いた者は五人に一人といわれている。犠牲者の多くは魔の中間航路といわれたバーナード星系とスタリウス星系を結ぶ宙域で発生している。これは三角貿易の一辺に当たる部分で、諸星系の工業製品をバーナード星系で奴隷に換え、更に奴隷をスタリウス星系に運び、そこで生産物と交換し、再び星間を渡って諸星系に持ち運ばれる。この過程におけるグローク人奴隷の悲劇は多くの記録に残されているが、その代表的なものとしてH・ベル―シュの「奴隷船同乗記」の一節を紹介しておく。
「奴隷たちはすべて格納庫の中に鎖で繋がれて詰め込まれていた。彼らはお互いの足の間に座らなければならないほど、ぎっしり詰め込まれていたから、昼夜を問わず横になることも場所を変えることもできなかった。彼らの胸や腕には所有者を示す様々な形の焼き印が、まるで羊のごとく押されていた。船員の一人に尋ねると、それらの焼き印は灼熱した鉄で焼かれたとのことである。ある日、格納庫で異様なことが起こった。二十名ほどの奴隷をロープで数珠繋ぎにして次々に宇宙空間へ投棄したのだ。いずれも健全な金になる奴隷だった。船員の一人に理由を尋ねると、食料不足で口減らしの必要に迫られたとのことであった」
因みにこの航海で五千五十名の奴隷の内、五五十名が死んで宇宙に投棄されたという。先の統計と考え合わせると、これは幸運な航海と言わざるを得ない。この不等価交換に支えられた貿易形式は、それぞれの段階で法外な譲渡利潤が個別に作出された。その三角貿易の機軸を成したのが奴隷取引で、奴隷商人として成功した者は巨万の富を手にすることができた。また重商主義に支えられた中央諸星域の工業資本も、ここに利潤抽出のための巨大な資本を見い出して大いに発展を遂げた。こうしてスタリウス星系のグローク人奴隷制度は近世植民地奴隷制度として更に拡大してゆくことになる。