嫌われ令嬢と言葉少なくない婚約者 3
***
通された部屋には、誰もいない。
優雅に見えるであろう所作で、精いっぱい動揺を隠して紅茶を口にする。
だめだ、手が震えている。
「リヒター卿……」
「アルベールと」
「えっ……」
「もう、アルベールとは呼んでいただけないのですか?」
シュンッと、子犬が耳を垂れた幻覚が見えた。
かわい……。いやでも、本当にどなたです?
そこは、『は……?』あるいは、『は……』のどちらかの返答でしょう?
過酷すぎる戦場では、心を壊してしまう騎士が多いと聞く。
それとも、倒した時に北極星の魔女から呪いでも掛けられてしまったのだろうか。
「あ、アルベール……」
「は、はいっ」
でも、目の前のアルベールは、たしかにアルベールの姿かたちをしている。
魔力の質も、匂いも、確かにアルベールだ。
「そんなに、戦場は大変だったの?」
「え? ……そうですね。大変でしたが」
やっぱり! 可哀そうに、あんなに嫌いだった私を呼び寄せてしまうなんて、嫌いな人間に好意を寄せてしまう呪いに違いない!
「それよりも、俺は……」
「心配しないで! 私が絶対に治してあげるから!」
「――――え?」
「嫌いな女に婚約の申し込みをしてしまうなんて、魔女の呪いは、ひどすぎるわ!」
「は?」
アルベールの視線の温度が下がる。
そうこれ、アルベールの視線はこうでなくては。
「それで、呪いを解く方法に心当たりは?」
「…………は?」
「えっと、断られたら解けるとか?」
「は?」
返答が絶対零度の冷気を帯びている気がするけれど、慣れているので大丈夫。
それにしても、普通の返答に戻ったわ?
「呪い……じゃないの?」
「は…………」
この返答はイエスだ。
それにしても、人間というのは一文字でも、コミュニケーションが取れるのだなと、妙に納得する。
そして、こんな会話でもいいから、アルベールともう一度交わせることをこんなに待っていたことを、改めて認識する。
「ところで、アルベール。この釣書」
「は?」
冷たい目線。釣書を見せられたのが、そんなに気に入らなかったのだろうか。
「さすがに、それじゃわからな……」
「――――ミラベルは」
「え?」
「あなたは、こういう対応のほうがいいのでしょう? 言うに事欠いて、魔女の呪いなどと」
冷たい雰囲気のままのアルベールに、壁際まで追い込まれる。
ドンッとなるほど強く手をついたアルベールと壁の間に挟まれた。
そういえば、アルベールは冷たい目をしていたって、こんな風に感情を露わにしてくることはなかった。
そのまま、にっこりと笑うアルベール。
そんな笑顔、見慣れな過ぎて、心臓に悪い。
なんでこんなにドキドキしてしまっているんだろう。
私の喉元が、長い指に持ち上げられ、上を向かされる。
「……だって、嫌いなはずの人間に釣書寄こすなんて。しかも名前すら書いてないし」
「名前なんて書いたら、ミラベルは来ないでしょう?」
「国王陛下の直筆サインが恐れ多くも書いてあるのに、無視するはずないでしょう?」
「――――俺の態度は、嫌われるようなものだったという自覚があります」
私は、思わず首を傾げた。
嫌われると分かっていてあの態度? やっぱり私のことが嫌いだったとしか思えないのに。
そこでようやく、胸元でマントを止めているブローチが目に入る。
……あれ? もしかして、これは、お別れの時に、私があげたブローチ? まだ持っていたの?
そのブローチは大きなひびが入っていて、近衛騎士の白い正装に身を包んだアルベールの姿には、不釣り合いに思えた。
ブローチが割れているというその事実に私の心臓は凍り付く。
私は、これ以上ないほど近くにいるアルベールの手を掴み引き寄せた。
「え? ミラベル?!」
「怪我! 怪我は大丈夫なの?!」
「――――え?」
「ねえ、どこを怪我したの!」
長い溜息が聞こえる。
怒った顔をしていたアルベールが、もう一度、熱っぽい視線を向けてきた。
「……大丈夫です。命拾いしましたから、これのおかげで」
「――――本当に?」
「ええ、胸元に傷は残りましたが、騎士の勲章です」
「…………アルベール」
アルベールが、私のことを横抱きにする。
そのまま、ソファーまで連れていかれて座らされた。
いつのまにか、そばに控えていたはずのセイグルの姿はなく、私たち二人きりだ。
「それより、どういうつもりですか?」
「え?」
アルベールは、マントを止めていたブローチを外して、大事そうに握りしめた。
「こんなもの、渡すなんて……」
「え? あの」
「ミラベルからもらったものだから、肌身離さずつけていたんです。最後の最後まで、こんなものを渡されていたなんて知りもしないで」
「……アルベール」
私のお小遣いは、当時潤沢だった辺境伯令嬢のものだ。
たぶん、たくさん勉強をして物の価値が分かる今なら、どれくらい価値が高かったか、あの頃より理解できる。
でも、もし同じ場面で、アルベールにそのブローチを渡せるのだとしたら、私は迷うことなく渡すに違いない。
「北極星の魔女の呪いは、魔女を殺すか、魔女が俺が愛した人を殺すか、魔女に俺が殺されるかでしか終わらなかったから」
「え…………?」
そんな顔で笑ったりしないで欲しい……。
まるで、最後の選択肢を選ぶつもりだったなんて顔で。
「俺は、最後の選択肢を選ぶつもりはなかったですよ。もちろん、北極星の魔女との因縁は、俺の代で終わらせる気でしたが」
「でも!」
それでも、命の危機に一度だけ発動するそのブローチは、もう割れている。
それは、アルベールが命の危機に陥ったという証拠だ。
「――――それでも、清々しい気持ちでした。北極星の魔女と、相打ちになった時」
「…………」
「あなたに嫌われてしまったことは、ほんの少し辛いけれど、それであなたが幸せになれるなら、俺は」
「アルベール」
「あなたの愛する辺境伯領を巻き込んだのは、俺です」
少し離れた体。それが悲しくて、悔しくて。
「――――どうして! アルベールのせいじゃない!」
「……どうでしょうね? それなのに、あなたがこんなもの渡したせいで、生き残ってしまった」
そんな言葉と裏腹に、手のひらの上に乗ったブローチを見つめるアルベールの瞳は、愛しいものを見つめるような真っすぐなものだ。
「魔女を殺したせいで、魔女の呪いは俺にうつってしまったのかもしれません」
「え?」
やっぱり呪われていた?!
「呪いというか……。執着でしょうか」
もう一度、息ができないくらい強く抱きしめられた。
幸せな腕の中。私が待ち望んでいた場所は、たぶんここしかない。
「あなたを愛しています。きっと、ほかの人間に取られてしまったら、魔女のようになってしまうほど」
「アルベール」
えぇ……。本当の話なんだろうか。
北極星の魔女の力で、記憶を改ざんされているのでは。
だって、演技になんて見えなかったのに。
たくさんの思いが、濁流のように流れては消えていく。
でも、知っていた。
『は?』と『は』しか言わないくせに、いつも絶対、私のことを一番に優先してくれていたこと。
いつも、私のことを守っていてくれていたこと。
だから、あなたが私の前からいなくなった時、全部諦めたのに。
それなのに。
「諦めたはずだったのに。こんな命を救う魔法陣が施された、当時のあなたにとっても、餞別程度ではないはずのブローチを渡されていたなんて気がついたら……」
「――――私」
「諦められるはずなんて、ない」
王命による政略結婚の釣書には、名前がない。
そして、部屋にはまだ誰の名前も書いていない婚約誓約書が用意されている。
「ちなみに、北極星の魔女を討伐した褒賞として、あなたを望んだので、逃げられませんよ」
「えっ?」
やっぱり、無表情でそんなことを言ってのける、以前より格段に言葉数の多い私の元護衛騎士。
「本当に? 私のこと嫌いじゃないの?」
「は…………。いや……、もう気持ちを隠さなくていいんだ。愛しています、結婚してください」
「――――えっと、恋人から?」
「そんなかわいいことを言って煽らないで下さい」
「……え?」
よくわからないのに、嫌われていなかった事実を知った私に生まれた感情は、うれしい、ただそれだけで……。
気がついたら、誓いみたいな口づけとともに、婚約誓約書には、私たち二人の名前が、仲良く並んでいた。
最後までご覧いただきありがとうございました(*'▽')
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