北極星の魔女と騎士に挟まれた私 1
***
あの日のことは、たぶん私が見た、都合の良い夢だったのね……。
私は、あの日の可愛すぎたアルベールについて、そう結論づけていた。
だって、あの日から、さらにアルベールの氷点下の瞳には磨きがかかり、必要時には私に「お嬢様」と呼びかけていたことなんて、なかったかのように、本当に「は」「は?」しか、言わなくなってしまったから。
「ねえ、セイグル……」
「どうなさいましたか、お嬢様」
「……アルベールに、どうしてこんなにも嫌われてしまったのだと思う? 覚えがないのよ、困ったことに」
「……お嬢様」
いつも慈愛に包まれたかのような印象を与える執事セイグルの瞳が、スッと細められた。
「セイグル?」
「……私の口からは何も。ただ、見たり聞いたりしたことだけが、この世の全てではないとだけお伝えしましょうか」
「……え?」
それだけ言うと、セイグルは席を立ち、香り高い紅茶を淹れてくれた。
よい香りの紅茶。
「相手にどう思われているか、それよりもお嬢様がどう思われるかではないのでしょうか」
「……ありがとう、セイグル」
「いいえ、差し出がましいことを申しました」
少し難しいセイグルの言葉。
でも、どんなに冷たくされても、なぜかアルベールのことを嫌いになんてなれない私。
だって、アルベールが誰よりも優しくて、誰よりも優秀な騎士だってこと、私は知っている。
「感謝の気持ち……」
宝箱に仕舞い込んだ、他の宝石とは違って、少し安っぽい髪飾り。アルベールの瞳の色をしたビジューがついたそれは、宝箱の中で一番大切な私の宝物だ。
きっと、それが私にとっての本当だ。
思い立った私は、今度のアルベールの誕生日に、贈り物をすることに決めた。
使うタイミングなく貯まる一方のお小遣いを、一気に使って奮発したのは、ブローチに一度だけ命の危機を救う魔法陣を閉じ込めた逸品だ。
真ん中に宝石がはめられているけれど、インクルージョンを含んだ石は、宝石としての価値が低い。
でも、普通なら宝石としての価値を下げるそのインクルージョンは、精霊がこぼした涙が成分らしい。
これなら、普通のブローチにしか見えないよね。見た目だけならそれほど高く見えないもの。
だから、きっと、辺境伯令嬢が、日頃のお礼に贈ったとしても、周囲に怪しまれることなんてない。
「……あれ? 私は、いつのまに、こんなに高価なものを用意してしまったのかな?」
気がつけば、貯め込んでいたお小遣いのほとんどが、消えていた。
けれど、ブローチは、アルベールの誕生日に渡すことはできなかった。その前に、辺境伯領は、北極星の魔女により、甚大な被害を被ってしまったから。
***
北極星の魔女により、領地の北端が壊滅した。
その第一報が入った夜、アルベールが私の部屋を訪れた。
……こんな夜に、部屋に来るなんて初めてよね?
「……あの、アルベール」
「は……」
いつもの返事なのに、その瞳にはもう、冷たすぎるブリザードは吹き荒れていない。
うれしいことのはずなのに、なぜだろう私の胸は不安のあまり締めつけられる。
「アルベール、どうしたの」
「お暇をいただきたく……」
信じられないような言葉を告げたアルベール。
「どうして? …………そんなに嫌になったの」
「いいえ」
「…………わ、わかったわ。いつ」
「これからすぐに、ここを離れます」
おそらくアルベールは、これから未曾有の災害に陥るだろうコースター辺境伯を見限るのだろう。
それが、普通に行き着く考えのはずだ。
それなのに、なんなの、この不安は?
私は、信じてしまっているらしい。
アルベールが、苦境に陥ったからと、仲間や主人を見捨ててしまうような人間ではないことを。
それでも、アルベールがこの地を離れた方がいいに決まってるのは事実だ。
「…………餞別。受け取りなさい」
私も、できる限り平気な顔をして、用意していたブローチを手渡す。
「誕生日に用意していたの。こんなの目に入ったら、気分が悪いわ。目につかないように、持っていって」
「…………は?」
押し付けられたブローチを、なんの感慨も浮かばないような冷たい瞳で見つめて、アルベールはいつもの一文字だけを発した。
できれば、捨てずに持っていてほしい。
これが役に立つような、危ないことをしないでほしい。
「さっさと、行ってしまったらいいわ」
その瞬間、晴れやかな笑顔をアルベールが見せたのは、幻だったに違いない。
「…………は」
アルベールが発したのは、それだけ。
なぜか、ブローチを握りしめたアルベールは、恭しく礼をすると、私に背を向けた。
泣くことさえ、できないでいる私を残して。
最後まで、お付き合いいただきありがとうございます。下の☆を押しての評価やブクマいただけるとうれしいです(*'▽'*)
あと少しで、プロローグ回収予定です。