理由
二
「…………っ!!」
突然、というよりはリンがもう起きるであろうことは予測できていた。
だが予想外だったのはその起き方で、悪夢でも見ていたみたいにリンは飛び起きた。
それからすぐに立ち上がり、こちらを一瞥することもなくトイレの方へと姿を消した。
少しするとリンが戻ってきた。
俺のことを見つけると、ふふふと笑みを見せる。
「どう? 私が言ったとおりだったでしょ」
「……ああ」
鳥籠は既に真っ赤で、鳥の姿はもはや跡形もなくなっていた。
「ん……? げっ……」
リンは鳥籠に目をやると途端に顔を顰める。
「それ、まだあるの!?」
「……えっ?」
「その鳥籠のこと。はぁ……ほんとはそれ、客が目を覚ます前には宿側が回収するのが普通なんだけどね……」
「そう……なのか?」
「ええ。ここは安宿だから、仕方ないのかもしれないけど」
リンは鳥籠から目を離すと俺の方を向く。
「で、私は何時間ぐらい眠ってた?」
「ん? ああ、五時間ぐらいかな」
「五時間!?」
俺は頷いて答える。
壁に時計のようなものがあるのにはすぐ気が付いた。
その時計らしきものには円を描くように十二個の記号があり、長針と短針もあって動きも時計そのもの。
おそらく時間の概念は元の世界と大して違いはないのだろう。
その時計にも気を向け続けた結果、リンが眠っていた時間はおおよそ五時間だと断言できた。
「……そう」
「どうかしたのか?」
「ううん、もっと長く眠れたかなって思ったから」
リンは視線を足元に落としながら言った。
「……まあいいわ。で、ずっと見てたの?」
「……ああ」
俺は椅子に腰掛けてからは動かず、ただずっと鳥籠を見続けていた。
目が離せなかったのだ。
正直、最初はリンの話も信じられなかった。
実際に鳥籠の中の鳥が、少しずつ引き千切られるように身体を失くしていき、血を噴出して苦しむ様子は一言でいってグロテスクだった。
それでも目を逸らすことはできなかった。
俺は一つのことをそこで学んだ。
信じられないようなことが目の前で起こると、たとえそれがどのようなことであったとしても、目が離せないのだということを。
「これで私の話も信じたでしょ?」
「……そうだな。リン、疑って悪かった」
「いいのよ、べつに」
「けどさ……」
俺は疑問に思い始めていたことを、ここでようやく尋ねることにした。
「うん?」
「なあ、どうして俺にここまで親切にしてくれるんだ?」
「えっ?」
「だって、何も知らない俺に一からこの世界のことを説明してくれたり、さらには実際に睡眠物まで見せてくれた。でも赤の他人の俺に、なんでそこまでしてくれたんだ?」
「それは――」
リンは顎に指を当て、視線を宙に泳がせた。
「……そう、人助けが好きだからよ!」
「なんか嘘くさいな」
「それはちょっと酷くない!?」
リンは大袈裟に声を上げる。
でもそれが子供っぽくて、初めて年相応の反応が見れたような気もした。
「いや、リンってなんか他人に興味なさそうっていうか、利益にならないことには関わらなさそうっていうか……」
「ケイタは私の何を知っているのよ!?」
「何にも知らん。でもリンってクールビューティーって感じだしな」
「クールビュ……なにそれ?」
通じない言葉もやっぱりあるのか。
だがクールビューティーが何かをわざわざ説明するのもなんだか恥ずかしい。
「気にしないでくれ。それより、本当に親切だっていう理由だけでここまでしてくれたのか?」
「……ケイタは鋭いね」
「ってことは理由があるのか?」
リンは頷きもせず、近づいてくる。
「実は、仲間を探していたの」
「仲間?」
「ええ。言っていなかったけど私は今、旅をしているのよ」
「……まさか魔王を討伐するため、なんて言い出すんじゃないだろうな」
「なんのこと?」
これは夢だし、てっきり王道RPGのような展開になるかと思ったが――
どうやら違うらしい。
「何でもない。それで、どうして旅を?」
「旅をするのに理由がいるの?」
なんだか急に、自分探しをする大学生みたいなことを言い出したぞ。
「……その旅って、目的地はあるのか?」
「うん、目的地はあるよ」
リンは鳥籠の方に目を向け、
「ちょうど今、探しているところなの」
次にこちらを向き、上目遣いで言ってきた。
「目的地を探してる?」
「そう。見つけたら、そこが目的地だからね」
「見つけたら……?」
禅問答みたいなやり取りに感じて、次に何と言ったらいいか分からなくなった。
「私ね、殺したい奴がいるの」
……はっ?
「じ、冗談しては穏やかじゃないな」
「えっ? 冗談なんかじゃないよ、ふふふ」
リンはそう言って無邪気に笑う。
その表情に威圧され、後ずさりしそうになる。
「私ね、妹を殺されたの」
再び鳥籠の方を向いて、リンがポツリと言った。
「それも目の前で」
……えっ? はっ? ほ、本気で言ってるのか?
冗談だろ?
そうは言えなかった。
何故ならリンの表情が瞬く間に変容していき、その形相は――
「リ、リン……?」
「……あ、ごめんなさい。つい、ね」
リンの逆立った髪は重力に従ったように再び元の様子に戻る。
「だから私はそいつを見つけ出して、殺すために旅をしているの。ね? 楽しそうでしょ?」
一目見たときから何だかヤバそうな奴だとは何となく思っていたが……
どうやら俺の勘は正しかったようだ。
「ん? どうかした?」
「あ、いや、なんでもない……」
そう? と再び笑みを見せるリン。
「……なあ、じゃあ旅の理由は復讐なのか?」
「違うわよ」
即答だった。
「そいつが居る場所が旅の目的地であって、あくまで旅の理由は別」
「別?」
あっ、という表情をリンは一瞬見せた。
「とにかく、行きましょうか」
そう言ってリンは踵を返し、背を向ける。
「行く? 行くって今度は何処になんだ?」
「旅。もちろん協力してくれるよね?」
リンは振り返って聞いてくる。
「えっ……? そ、それは――」
「ねっ?」
「えっと、俺はやめて――」
「ねっ?」
満面の笑み。
時に笑顔は凶器なのだと俺は学んだ。
「……はい」
「ふふっ、じゃあ行きましょうか!」
リンは意気揚々と部屋の戸に手をかけ、ゆっくりと扉を開けていく。
廊下の窓から光は差し込まず、暗さばかりが廊下を照らしていた。
既に外は暗くなり始めていたのだから当然だ。
でも、それがこれからの旅を示唆しているようで俺は無意識にも鳥籠の方にまたも目を向けていた。
「どうしたの? 行くわよ」
声をかけられ前に向き直すと、既に廊下へ出ていたリンが手を伸ばしてくる。
俺はその手を掴もうと手を伸ばした。
一歩、二歩、三歩。進んでようやく手が届いた。
手を取って、相手は笑う。
それに倣うように、俺も笑った。
微かに過ぎる不安を帳消しにしようとするかのように。