はじめての村
「……あなたって、どこから来たの?」
少女は警戒するような目を向けながら聞いてくる。
俺の方としては、いきなり核心を突くような質問を受けて動揺した。
というか、こういうとき何て答えればいいんだ?
ああ、そうさ。これは俺の夢で、きみは俺の夢の中の登場人物だよ! とでも?
なら俺は創造主とでも答えればいいのだろうか。
「……ええと、”どこから来た”っていうよりは”きみのほうが来た”ってほうが合ってるかもしれないけど」
「はぁ? どういうことよ?」
相手は困ったような、呆れ顔をする。
うーむ、この場合どう説明すればいいんだろう?
にしても、これが夢だとすれば彼女は俺の記憶にある人物を参考にしているはず。
だけど彼女のような知り合いはもちろんいない。
テレビとか映画で見かけた人物なのか?
「質問に答えなさい!!」
そんなことはどうでもいい! と言わんばかりに少女は俺の思考を打ち切らせ、答えることを強制する。
「……遠い世界。そう! すごく遠い世界から来たんだ!!」
これは夢だ。
なら、夢の中の設定に合わせても別にいいだろう。
どうせもうすぐ目も覚めるだろうし。
「でしょうね。じゃなきゃ狂人よ」
「はっ……?」
「なんでもない。……いいわ。なら、付いて来て」
そう言って少女は背を向けて歩き出し、三歩進んだところで足を止める。
振り返って、俺のことを見る。
まるで後を付いて来ているか確かめる親鳥のように。
「リンよ」
「えっ?」
「私の名前」
「あ、ああ。俺の名前は神山慧太だ」
「カミヤマ…ケイタ…」
リンは慣れない外国語を口に馴染ませようとするかように、何度か俺の名前を呟いた。
「言いにくかったらケイタでいいぞ」
「……わかった。よろしく、ケイタ」
リンはそう言ってこちらに歩み寄り、手を伸ばしてくる。
「ああ、よろしく。リン」
それに応えて握手をすると、リンはぎこちなく微笑んだように見えた。
リンは再び背を向けると歩き始め、今度は三歩と遅れずその後に続いた。
その後はただ黙々と歩き続けた。
途中で
「なあ、あとどれぐらい歩くんだ?」
と聞いてみた。
リンは振り返りもせずに「あとちょっとよ」とだけ答えた。
あと少し、か。
少しといってもその後は体感で三十分ぐらいは歩き、ようやく森を抜けるとその先には軒並む民家が見えた。
家々はレンガ造りのような見た目で中世感を思わせ、さらには舗装されていない歩道、辺りには草木が生い茂っており全体に牧歌的な雰囲気だ。
「一応、最寄の村には着いたみたいね」
久々にリンの声を聞いた気がした。
彼女は歩幅を緩めて隣に並ぶと「どう?」 と言わんばかりに俺の横顔を覗き込んでくる。
俺の方はといえば、言葉が出なかった。
正直、この村の雰囲気に飲まれていた。
それは哀愁漂わせるノスタルジー的なものでもなければ、一種の興奮状態に近かった。
いや、実際に俺は興奮していた。
何故ならこのような光景には覚えがあり、それは――
夢の中とはいえ、俺は息を大きく吸い込んだ。
……そう! ここはまるでゲームに出てくるような中世ファンタジーの世界観を思わせ、それに感激、興奮していたのだ。
しかしリンは俺のこうした興奮を知ってか知らずか再び無機質に歩き始め、
「ちゃんと付いて来てね」
と今度ははっきりと口に出してきた。
俺は曖昧に頷いてその背中を追う。
その足が次に向かったのは村外で、村外れの一角にある店だった。
ぶら下げられている看板は寂れ、文字とマークのようなものが書いてあるようだったが擦れていてよく分からなかった。
もっとも、字がはっきりと書いてあろうとも読めるかどうかは怪しかったが。
リンはその店に躊躇なく入っていき、俺も後に続いた。
内観は薄暗く、各テーブルに小さな蝋燭。そこに火が灯されている。
これがこの店における光源のようで、当然薄暗い。
客は他にも何組か居るようだが、顔は見えなかった。
なんだか怪しげな雰囲気の店だなと思いつつテーブルの間を進んでいき、まるで自分専用の席があるようにリンが迷わずテーブル席のひとつに座るとポッと自動でテーブル中央の蝋燭に灯が灯った。
向かい合う形で俺も腰を落ち着かせた。
すぐに、というわけではないがゆっくりとこちらに歩んでくる人影が見えると黒子のように顔を隠しており、俺たちのテーブルにまで来ると注文を取りに来たのだと分かった。
次に俺はリンの方を見つめ、彼女は何度か来たことがあるようでスムーズに聞き慣れない単語を言って注文を通した。
黒子が下がっていくのを見送ってからリンはようやくこちらを向き、目が合った。
「この店、密会にはちょうどいいの」
「密会!? って俺とは密会扱いってことなのか……?」
「そりゃそうよ。睡眠物を知らない人間と知り合いだなんて知られたら、私だって狂人だと思われるわよ」
「そう……なのか……?」
リンは深く頷く。
「一応もう一度聞くけど、睡眠物について本当に知らないのね?」
「ああ。知らない」
「……そう。なら、もう疑わないわ。でも、こんなことが本当に……」
「リン?」
「ああ、ごめんなさい。いいわ、説明してあげる。目の前の常識知らずにね」
でも何から話したらいいか……と彼女は呟き、独りでにぶつぶつと何やら言ってから
「……じゃあ、まず聞くけど、あなたはあそこで眠っていたの?」
と聞いてくる。
夢の中で眠っていた、というのもなんだか妙な話だが、森で眠っていたということで間違いないだろう。
あくまで”夢の中で”だが。
「……ああ。そうだな」
「そう……睡眠物もなしで?」
「? ああ、そうだと思うけど」
「それがどんな危険なことかも知らずに?」
「危険? ちょっと待ってくれ、俺はただ寝ていただけで――」
「そこよ」
はっ? そこって何のことだ?
よくわからないが、とにかくリンは俺が森で眠っていたことが信じられないらしい。
でもそれは「物騒だから」とか、そういうことか?
「これまでの話から察するに、どうやらあなたが居た別の世界というのはずいぶんとまあお気楽でまさに楽園のような世界だったみたいね」
リンは目を細め、薄ら笑いを込めて言う。
「……どういう意味だ?」
「言葉通り、といったら怒る?」
「それは……別に怒りはしないけど、でもどういうことなのかちゃんと教えてほしい」
「……いいわ。私は優しいからね」
漂った僅かな緊張感がリンの微笑にとって消え、煽る雰囲気は和らいだ。
だが次には「まったく、呆れたものね」といった思いを示すように腕組みをすると溜息を大きく吐いて見せた。
「もう一つ確認、あなたは別の世界から来た。そうよね?」
「……ああ」
「そしてその世界では睡眠物……いいえ、何も用意せずとも眠ることができる。違う?」
何も用意せずに、とさっきから言っているが、思い返せば俺は土の上でそのまま寝ていた。
もしかしてリンの言う睡眠物とやらは寝具のことか?
「違うというか……なぁ、その”すいみんぶつ”って言うのは、もしかして寝具のような物のことか? たとえばベッドや枕のような」
「違うわ」
即答だった。
でもベッドや枕について聞かれないってことは、この世界にもベッドや枕はあるのか。
……じゃあ”すいみんぶつ”って何だよ!?
ますます分からなくなってきた。
向こうからその説明をしてくれるかと期待するもリンは口を閉ざしてしまって、言葉は続かない。
どうしたんだ?
リンを注視すると、その視線が俺ではなく俺の後方に向けられていることに気がついた。
すぐに振り返ると黒子の店員が間近に立っており「わっ!?」と思わず声を漏らしてしまった。