5.なろうエッセイ・批判系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)
感想よりも、読みたいと思ってほしい。
「感想なんて書いてもらわなくていい。相手に『読みたい』と思ってもらえれば、それが一番嬉しい」
最近、私がいつも自分に言い聞かせている言葉です。
感想欄に感想を書くとき、読み返したりすることはありませんか? 私はありました。……最近感想をあまり書けていないせいで過去形になってしまいましたが、今もきっと、感想を書こうとすると、何度も読み返したりすると思います。
感想を書かなくなった代わりに、ツイッターで読了ツイートをするようになりました。そこに言葉を書き加えることもよくあります。
……でもそれ、ちょっと、感想欄に書く「感想」とは違うんですよ。
感想を書くときは、作者に伝えるつもりで書きます。でも、読了ツイートって、周りの人にその作品を読んだことを伝えるために、他の人にも読んでほしいと思った時にするんですよ。
楽しく読んだことが周りの人に伝わればいいと、そんな気持ちで書いています。作者に向けた言葉はいらない、作者以外の人に伝わればいい。そう思って書いています。
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肯定的でも否定的でも、しっかりとした感想って、書くのがとても大変だと感じます。内容をしっかりと読み込んで、その時々でどう感じたのかも思い出す。物語の感想って、言葉にしようとするととても曖昧なもので、ちゃんと自分と向き合わないと書けないものだと、私はこのサイトに来て思いました。
面白いとは何か。一区切りついた満足感なのか、もっと先を読みたいのか。主人公と共に泣き笑うのか、主人公の境遇を見て泣き笑うのか。
物語を見る自分を振り返って、自分を通して物語を見る。綺麗だと感じた心を自覚して、どこが綺麗だと感じたのかを振り返る。そうやって、自分の心と作品の両方に向き合わないと、感情が感想の形になってくれない。私はそんな人なのです。
一度読んだだけでは、私は感想が書けません。読み返して、思ったことを振り返って、少しずつ言葉にしていかないと、私は感想を言葉にすることができない人なのです。
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感想を書くために読みたくないな、どこかでそんなことを考えてしまいました。面白い作品は、読んで楽しむのが一番だと、そんなことを思いました。
読んだら感想を書こう。そう思って読むと、雑念が入る気がしたのです。
感想を書く義務なんて無いことは百も承知で、それでも、少しでも感想のことを考えると、よけいな何かが入ってくる気がします。「書けたら書こう」「書けることだけ書こう」どれだけ気楽に思っても、入ってくる何かがあるように思えるのです。
感想のことなんて考えずに読んだ方が作品を楽しめる、そう思ってしまったのです。
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……というのはまあ、言い訳で。実際は感想を書くのが大変だから書かなくなっただけだと思いますが(笑)
何と言うか、どうしても、一言で終わらせたくはないと思ってしまうのです。長文で書けば書くほど大変なのに。
うん、一言で終わらせても言い訳できるツイッターは、本当に素晴らしいですね!(笑)
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「感想なんて書いてもらわなくていい。相手に『読みたい』と思ってもらえれば、それが一番嬉しい」
これは、自然な感情ではない気がします。
正直に言うと、感想を書いてもらえれば、とても嬉しいのです。
感想に励まされた時もありました。感想を通して自分の書いている物語に価値があると実感できることもありました。きっと、感想が必要な時期というのがあると思います。その時期を超えても、感想をもらえれば嬉しいと思うのも事実です。
――それでも、振り返れば、例え感想が無くても、書いて良かったと思えるのです。感想のために書いていないと断言できるのです。
自分は感想が必要な時期は通り過ぎたと、そう確信できるのです。
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私はきっと、書きたくなったら書きます。感想が無くても、まあそんなもんだで終われます。
私は、読者に楽しんでもらおうなんて、そんなことを考えて物語を綴ったりしていません。私は、私が楽しむために物語を綴っています。
これまでに私が読んだ作品の中にも、作者が作者自身のために書いた作品は数多くあると思います。
それらを書いた作者が我儘だと、私は思いません。
それらの作品が不幸だと、私は思いません。
ただ、作品はきっと、面白いと思ってもらえる人に読まれるのが幸せだと思います。
――面白いという読者の言葉より、言葉にならない読者の感情の方が価値があると思います。
だから、私の作品を読まれる方は、自分が楽しめる読み方をしてもらえればそれだけで嬉しいなと、そんな風に思います。