表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春夏秋冬  作者: 向井孝雄
5/13

春・そよ風と遊ぶ妖精のように マスコット

 孝雄はそれからしばらくの間、空虚な日々を過ごした。なんのための空虚さかもわからないまま、時には自分が空虚さにひたっていることすら忘れてしまうほどの、ただ生きているだけのような生活に孝雄は次第に苛立ちを覚えてきていた。しかも、あの日以来、妙子が孝雄に対して妙によそよそしかったり、あるいは逆に妙になれなれしかったりするのだ。孝雄は自分の空虚な苛立ちが何のためなのか判ったような気がした。しかし、どうすればそこから抜け出せるかは、相変わらず濃霧の中だった。孝雄は、妙子に対して妙にかたくなな態度をとるようになっていた。無意識のうちに事務的な態度をとることが多くなっていた。

妙子は妙子で、周期的に襲ってくる抑えきれないほどの感情の起伏に手を焼いていた。それが何のためであるかも、薄々感づいていた。妙子の中では、孝雄の存在が急激に領域を広めてきていた。自分の感情の起伏が孝雄の影響であるということに気付くにつれて、彼女の悩みは新たな方向へと展開していった。

 ある日彼女は、(それは、本能的な自己顕示欲からきたものだったが)自分の一番大切にしているペンダントを、大胆に胸にかけて総務室に行った。出会う部員ごとに、そのペンダントのことをたずねられては「私の宝物よ。」と妙子はうれしそうに答えた。しかし、妙子は孝雄に一番見てもらいたかったのだ。当の孝雄は、妙子が総務室に入ってきた時から彼女の変貌振りに気づいていた。しかし、孝雄が妙子に話しかける前に、無遠慮な(?)ほかの連中が妙子に近寄って言ったのを見て、孝雄は妙子に近寄りがたくなってしまった。しかも、連中からほめられて得意がっている妙子の姿をみていると、孝雄は(くそっ、ほめてなんかやるもんか)という気にさえなってくるのであった。その日、孝雄は妙子と一言も口をきくことなくさっさと帰ってしまった。妙子は、今日一日一言も孝雄と話せなかったし、あの人は派手なことは嫌いだから、私のことを見て怒っちゃったのかしらと思うと、何故か空しくなって気が滅入ってしまった。

 妙子は、鏡に向かって頬杖を着いて考え込んでいた。目の前には例のペンダントが置いてあった。(何てバカなことしたんだろう。あの人にみてもらいたくって、かわいいねって言ってもらいたくって、私の宝物をつけていったのに。一度も声をかけてくれないなんて。しかも、一度だけ私の方を向いた時のあの人のあの恐そうな目。ああ、もう私は嫌われてしまったのかしら。)(でも、彼はやきもちを焼くような人じゃないわよね。やっぱり私がつまらないことをしたから、もう嫌われちゃったのよ。)(そうじゃないわよ!テレてるのよ。だってほら、あの時彼は、あんなに優しく介抱してくれたじゃない。)(あんなことは、誰だってしてくれるわよ。だってあの時私は具合が悪かったんですもの。)(それじゃあ、わざわざ遠回りをしてまで、毎晩毎晩家まで送ってくれたのは何故?しかもそんなに危ない道でもないのに。)(先輩としての責任があるからでしょう。だから…。)


 妙子は、孝雄と始めて逢った時からのことをずっと思い出していた。二人一緒に総務委員に選ばれたこと、二人だけで夜遅くまで仕事していたこと、送ってもらった帰り道でいろいろなお話をしたこと、相談に乗ってもらったこと、お兄さんみたいに甘えたこと、総務室でふざけていてしかられたこと、朝早く家まで迎えに来てもらったこと、そして孝雄の部屋で休ませてもらったこと。妙子の頭の中は、孝雄の存在でいっぱいだった。胸が熱くなってくるのを感じた。妙子は天井を見上げて目を閉じた。手をつないで笑いながら走っている孝雄と自分の姿が遠くに見えた。二人はなかなか近づいてこなかった。唐突にネコの泣き声がした。フと見ると、ダンボールの小箱に入れられた子猫が寂しげな鳴き声をあげていた。妙子はそっと目を開けた。引き出しから便箋を取り出すと、心の赴くままにペンを走らせた。

 翌日妙子は、夕べ夢中で書いた詩をポケットに大事にしまって総務室へ行った。その詩を身につけておくことで、孝雄の気持ちを捉えることができるような気がしていた。孝雄は、そんな妙子を見て、今日は少し落ち着きがないなと思った。どうして妙子が落ち着きをなくしているのかなど、つゆ知らない孝雄だった。そのうちに、妙子がしきりに自分の胸ポケットを気にしているのがわかった。何が入っているんだろうと勘ぐった。孝雄の胸に疑惑の雲がよぎった。今度は孝雄が落ち着きをなくす番だった。孝雄はイライラする心を抑えながら、それとなく妙子の様子をうかがっていた。、妙子がポケットからハンカチを取り出した時、一緒に黄色いかわいらしい封筒が顔を出した。孝雄は、ついそれを睨み付けてしまった。フト見上げると妙子の引きつった様な微笑があった。孝雄はその瞬間、自分が何をするべきかを悟った。

 「それ、何?」できるだけ、さりげなく孝雄は尋ねた。妙子はポケットから封筒を取り出すと、孝雄から守るように包み隠してそっぽを向いた。孝雄はためらわなかった。

「ねえ、何なんだよぉ。」孝雄はさらににじり寄った。

「あなたには、関係ないわよ。」妙子は、笑って答えると、スーッと席を立って総務室を出て行こうとした。孝雄は、何かキツネにでもつままれたような感じで、ポカンとして妙子の後姿を見送っていた。すると、妙子が急に振り返って、手にしていた封筒を孝雄のほうに投げてよこした。封筒はさも自然に孝雄の手にスッポリと収まった。目を上げると、そこにはもう妙子の姿はなかった。


私は子猫

小さな箱に入れられて

道端にすてられて

ミャーミャー泣いていた子猫


雨に降られ、風に吹かれ

泥だらけの子猫


その私を助けてくれたのはあなた

服の汚れるのもかまわずに

そっと抱き上げてくれたあなた


私は子猫

ブルーのリボンをつけられて

あなたのひざでねむる。


 孝雄は、その詩を一度読むと、妙子と同じようにプイと総務室を出て行った。孝雄の心はある方向へと急速に広がりつつあった。あせる気持ちを抑えつつ(こういうときはかえって冷静になる男であったが)この自分にとって非常に貴重な瞬間を、もっともふさわしいところで、それを味わいたいという気持ちが働いていた。まさに、そのときのほんの一編のありふれた詩は、孝雄を世界中の誰よりも誇り高い男に仕上げるのに充分だった。にもかかわらず、孝雄の心情はその詩をあまり重視していなかった。というより、無理して軽視しよう、ごく当たり前に考えようとする気持ちの方が強かった。なにしろ彼はまだ一回しか読んでいなかったのだ。

 人目につかない所を探して、孝雄は体育館の裏を選んだ。孝雄は再び詩に向かった。今度は食い入るように何度も何度も読んだ。便箋をひっくり返したり、封筒を覗き込んだりもした。そうするうちに、孝雄は体全体が熱くなってくるのを感じた。顔がほころんで、そして今度は紅潮してきた。心臓が高鳴り、かすかに足が震えていた。それまで孝雄の心を抑えていたものは全く消え去り、孝雄は喜びを全身で感じていた。

 いつか妙子とおっかけっこをしたあの想像の花の中の世界は、今現実に孝雄の目の前にあった。そして、その花の中で孝雄の世界と妙子の世界は重なり合い、二人は手をつないでどこまでも走った。そこは、どこまでもどこまでも続く二人だけの世界のように思えた。 人目を避けてきたこの場所も、今はその必要をなさなかった。今の孝雄は、誰彼かまわずこの詩を見せて、ポカンとしている相手に向かって、「どうだい!」と言ってやりたい気もちだった。実際、もしあたりにすこしでも孝雄の知り合いが居たら、そうしたかも知れなかった。しかし、さいわい(?)孝雄が冷静さを取り戻してあたりを見回すまで、誰にも会わなかった。孝雄は、この喜びを抑えることにやっきになっていた。もっと言うならば、この非常な喜びを抑えることに、より以上の喜びを感じていたのだ。総務室の前まで戻ってきた時、孝雄は例の封筒をひどくしっかりと握り締めていることに気がついて失笑した。それをプイとポケットにねじ込むと、大きく深呼吸をして、落ち着いてドアを開けた。

 総務室は妙にザワついていた。と孝雄には思えた。みんなの視線が自分に集まっているようで、一瞬ギクッとしたが、かまわずに妙子の姿を探した。妙子は総務室の隅で本を読んでいた。孝雄はなんとなく近寄りがたく、つい目をそらしてしまった。と、妙子が不意に顔を上げた。孝雄はなぜかその顔を直視できなかった。まわりから一切遮断されたようで、総務室の中には居づらかった。のそのそと総務室を出て空を見上げると、さっきまでの出来事が夢のように思えてきた。さっきまであんなに弾んでいた心は、ウソのように静まり返って、あたりはいつもと何の変わりもなく動いていた。あれはすべて夢の中の出来事だったのか…。孝雄は気が滅入ってくるのを感じながらも、妙に落ち着いた気分になっていた。


 総務室は、相変わらず騒がしかった、みんなこれといって仕事もしていないし、本なんか読んでいる者もいた。孝雄は、締め切りを終えた編集長のように、疲れきった風にドッカといすに腰を下ろした。顔を上げると、正面に妙子の顔があった。孝雄はビクッとした。妙子の瞳は潤んでいた。その上その目は鋭く非難の色を見せ、悲しみに沈んでいた。夢心地に浸っていた孝雄は目を覚ました。妙子の瞳からうっすらと流れるいろんな感情を含んだ涙が、孝雄を責め、刺し、包み、はじき出した。孝雄は駆け出した。プールの前を通って校庭の隅まで行くと、孝雄は息を切らせながら大声を上げて笑った。「夢じゃ、夢じゃなかったんだ!彼女は、彼女は泣いていたんだ!」孝雄はわけもわからず嬉しかった。ただ嬉しかった。孝雄の前には夕日を浴びて、少し赤みを帯びた空が広がっているばかりだった。

 孝雄は、フト我に帰った。随分と長い時間が経った様な気がしていたが、夕日はまだ沈んではいなかった。(総務室では、妙子がつらい思いをしている)そう思うと孝雄は居ても立っても居られなかった。今まで大声で笑っていた自分を怒鳴りつけてやりたくなった。何とかして自分の今の気持ちを彼女に伝えてやろう。そして早く安心させてやろうと思った。

(ちょっと待て!)

孝雄の中で囁くものがあった。

(なあ孝雄、考えても見ろ。今まであの娘があんなにしおらしく、あんなに女らしく見えたことがあったか?)

うん、そういえば。と孝雄も思った。

(なあ、そうだろう。もうすこしあのままにしておいた方が面白いんじゃないか?)

とその言葉を聞いたとたん、孝雄は激しい怒りを感じた。

「何が面白いんだ。そうじゃない、可哀そうなんだ!」思わず叫んでいた。

実際、面白いというのではなく、何かこう孝雄にとって最も貴重な瞬間を、妙子の泣き顔と一緒に何時までも大切にとっておきたいという気持ちもないではなかった。がそれは現実とはかけ離れていた。とにかくそのままにしてはおけなかったのだ。それが何のためであったにせよ。

 孝雄はポケットを探った。妙子の告白に対して最も適当な返答を思いついたのだ。孝雄がポケットから取り出した小さなメモ帳には、短い詩が殴り書きしてあった。普段なら清書して渡そうと思うのだろうが、今の孝雄には殴り書きであることにいっそうの価値を認めていた。もう一度読み直し、自分の気持ちを確かめてから、孝雄はその詩の書いてあるページを引きちぎった。メモ帳をポケットに収め、引きちぎったページを手に何気なく装って総務室に入っていくと、妙子は相変わらずうつむいて本を読んでいて、孝雄のほうを見ようともしなかった。

 孝雄は、引きちぎったメモをそっと妙子に渡した。妙子は驚いたような顔で孝雄を見上げた。メモを受け取ると、一気に読み下した。孝雄は精一杯の笑顔で妙子を見下ろしていた。


マスコット


ちいさなお人形はマスコット

教室に置いたマスコット

だれでも楽しめるマスコット


かわいい君はマスコット

ぼくたの仲間のマスコット

みんなを楽しませるマスコット


君の微笑みはマスコット

僕に心のマスコット


誰にも渡せない…


天使の振りまく平和は

僕だけのもの

天使の与える喜びは

僕だけのもの

幸せを受けとる民は…

               ぼく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ