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春夏秋冬  作者: 向井孝雄
3/13

春・そよ風と遊ぶ妖精のように 可憐な花

総務室で仕事をしている時の妙子と、学校の外での彼女とは全く違っていた。帰り道では、妙子はおちゃめで、おしゃべりで、わがままな女の子に変身するのだった。帰り道での話題は、ほとんど仕事に関することか学校の事だったが、時にはお互いのプライバシーに触れる事も話した。妙子は中学の頃のボーイフレンドのこととか、その彼に振られて悲しかった事、あるいはお父さんが病気で長い間入院していた間の家族のつらい生活とかを話してくれた。孝雄は時々、(オレなんかにこんなんこと話してもいいのかなあ)と思ったりもしたが、孝雄にはまたそれが嬉しかった。時には、悩み事があるから相談に乗ってくれとも頼まれた。たいていは、他人に打明ければそれだけで気が軽くなって解消してしまうような程度の悩み事だったが、孝雄は熱心に聞いてやり、一緒に考えてやった。総務のしんどい仕事も、それが終って二人で帰ることを思うと楽しくなった。妙子の家に着くと、妙子は「ありがとう」と言って、ピョコンと頭を下げるのだった。そしてゆっくりと自転車をしまうと、孝雄の方を何度も振りかえりながら、明かりのもれる家の中へ消えていった。孝雄は焦点の合わない目で妙子の姿を消え去るまで追っていっては、少しさみしい想いをしながら一人ぽっちの家路につくのであった。しかし、この時のさみしさは、孝雄の胸を締め付けることはあっても、胸に突き刺さる事はないやさしいさみしさであることを、孝雄はまだ知らなかった。

 妙子は、同じ一年生の小川京子とも随分親しくなっていた。京子は妙子と誘い合って総務委員になったような節があって、よく一緒に仕事していた。しかし、どちらかというと雑談の場にしてしまう事が多く、それともう一つの理由もあって、孝雄はあまり好ましく思っていなかった。京子からボーイフレンドのおノロケばっかり聞かされて困るといってニコニコしながら愚痴っている妙子の顔を見ていると、孝雄は妙な気分になった。京子はこのごろ、石川と付き合っているようだった。孝雄は、京子と妙子が人目を避けて内緒話をしている場に出くわすと、妙な苛立ちを覚えた。そして、その苛立ちの原因がなんであるのかを、孝雄は次第に強く実感するようになっていった。孝雄が妙子の事を好きだと感じる気持ちは、妙子と京子を比較することによって、ますますたしかなものになっていき、孝雄の心の中ではもうどこにもやりどころのないほどの比重を占めるようになっていった。孝雄は自分の気持ちを妙子に伝えたいと思った。直接言えないなら京子を通して伝えたいとまで思っていた。しかし、かろうじてその衝動を押しとどめたのは、いまさらそういうことを口にする必要も無いほどに、妙子と孝雄が親密になっているという事実と、それとは裏腹に、もし拒絶されたらどうしようかという心配だった。

「向井先輩のおうちって、どのへんなんですか?」

「ああっ、Y町のはずれ。」不意の質問に孝雄はうろたえた。Y町は、学校を含むかなり広い区域で、西のはずれは大島に接し、孝雄の家は東のはずれだった。

「もう、お昼も過ぎたし、なんか食べて帰る?」うろたえついでに、孝雄は唐突に妙子を誘ってしまった。

「いいですねぇー。」意外にも妙子は待ってましたとばかりに乗ってきた。

「ラーメンなんかどうかな?行きつけの美味いところがあるんだけど。」二人は、並んで自転車置き場を出た。

「行きつけのお店って、お家の近くじゃないんですかぁ?」いつもとは反対方向に向かっている孝雄に、妙子は無邪気に尋ねた。

「ああ、遠い近いは関係ないね。僕はラーメンおたくなの。この一帯のラーメン屋は全部食べたことがあるよ。」

「へぇ、そうなんだー。」

そんなに大盛りでもないラーメンを、妙子は半分ほど残して箸を置いた。「小食やねー。ちょっと濃厚だったかな?」「うん、そういうわけでもないけど。胸がいっぱいで・・・」孝雄はギョッとした。(胸がいっぱい?お腹がいっぱいじゃないの?)

「今日は天気もいいし、腹ごなしにちょっと散歩でもして帰るかい?」孝雄は調子に乗りまくっていた。自分の家の近くの、通称『ねずみ公園』と呼ばれているちっちゃな公園に行って、ブランコに乗った。5歳くらいの幼児が二人、不思議そうな顔をして見ていた。

孝雄も妙子も、一言も発せずにしずかにブランコに身をゆだねていた。孝雄はせっかくの機会だから何か話そうとするのだが、話題が浮かんでこない。妙子はただブランコに揺られているだけで満足そうだった。「コホン、コホン。」妙子が急に咳き込みだして、静寂が破れた。

「大丈夫?」

「うん、ちょっとめまいがして・・」

「ブランコに酔った?」冗談交じりに孝雄が尋ねたが、妙子はブランコにうずくまってしまった。

「僕んちすぐ近くだけど、ちょっと休んでいくかい?」妙子は軽く頷いた。

孝雄は、妙子をおぶると、急ぎ足で自宅へ運んだ。玄関を開けるのももどかしく廊下右の自分の部屋のベッドに妙子を寝かせると、台所から冷水を一杯持ってきた。

「これ飲んで、休んでいるといい。僕は奥のリビングに居るから。」妙子は水を半分くらい口にすると、すまなさそうに目を閉じた。孝雄はその場にずっと居たいのは山々だったが、しぶしぶ部屋を出て、リビングのソファにドッカと腰をおろした。「誰だい?」台所から母親の声がした。

「ああ。総務の後輩。近所の公園で気分が悪くなったらしいから、ちょっと休ませてもらっていいだろう。」母親は返事をしなかった。

普段は気付かないことだったが、自分の部屋を他人に占拠されているというのは、随分気分の落ち着かないものだった。しかもそれが自分一人の勝手な判断によって入れないのだから、よけいに落着かなかった。リビングのソファに座って、一息つくと、自分の行動が正しかったのかどうか不安になってきた。

(救急車でも呼んだ方がよかったかな)

(タクシーで家に帰すのがフツー)

(おまえ何で連れてきたんだ?)

何人もの自分らしき声がささやきかけてきた。自分のベッドに横たわっている妙子の姿が瞼に浮かんで、孝雄は喉から上のあたりがすっぱくなってきた。そわそわして、座っていられなくなった孝雄は、思いがけず自分の部屋のドアの前に立ってノブを握っていた。が、自分との約束を破る勇気はなかった。いたたまれなくなって、外に駆け出すと、異様に長く、薄い自分の陰が目に入った。振り返ると、いつもの数倍も大きいかと思われる沈みかけの太陽が、今からあの美しい夕焼けを醸し出すとは思えないほど不気味に紅く輝いていて、何者をも寄せ付けないような貫禄はあったが、どこかうすらさみしさを感じさせた。

孝雄は、不意に言いようの無い思いに囚われ、顔をそむけた。紅い輝きがまぶたに残って離れなかった。猫の額ほどの庭には、父が趣味で育てている草花が咲き誇っていた。孝雄は園芸には全く興味なかったので、花の名前すらわからなかった。というより、父が育てている花を現実の存在として意識したのもこの時が初めてだった。孝雄の目は、そのなかでも、ひときわ可憐で美しい花に引き付けられた。その鉢の前にしゃがんで、じっと見つめた。花びらの中から妙子の寝顔が浮かび上がってきた。と、いつのまにか目を覚ました妙子が、手招きするといたずらっぽく笑って駆け出した。孝雄は、何のためらいも無く花びらの中に飛び込んだ。妙子は孝雄のすぐ前を走っているようで、なかなかつかまらない。二人のおっかけっこは、いつまでもいつまでも続いた。

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