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春夏秋冬  作者: 向井孝雄
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春・そよ風と遊ぶ妖精のように 日常

 孝雄は妙子の事が気にかかって仕方なかった。時々、「オレはどうして、こうセッセと総務室に来ているのだろう」と考えてみると、何のためらいもなく「妙子の顔を見るためだ」と言えるような、そんな気になっていた。実際、孝雄のここんとこの生活というものは、すべて妙子の一挙一動によって、大きく左右されるようになってしまっていた。孝雄はほとんど毎日欠かさず総務室に行くのだが、妙子のほうはもちろん孝雄ほど毎日来る理由もないのだから、孝雄がセッセと総務室に通っても、彼女には会えない日も多かった。そんな日は孝雄は、決まって機嫌が悪くなるのだった。普段からあまり勉強もしないのだから、こういう日は言うまでもない。嫌味と皮肉たらたらで迫ってくる母親をものともせず、平然とテレビにしがみついているか、ギターをかかえて、大声をはりあげているか、さもなくば、帰るや否や夕飯も食わずに眠りこけて、夜中に突然パッチリと目を覚まし、腹が減っているのに気付いて、カップラーメンなどを貪り食ったり、そんなことを毎週繰り返していた。残りの日はというと、運良く総務室で妙子と会って、どんなつまらないことでもとにかく何か話をして、時には妙子の新しい可愛らしさを発見したり、見かけによらず女らしいところに気付いたりして、ホクホクして家に帰り、機嫌のいいところで宿題くらいは一気にすませて、ホクホクと日記などつけ、明日会ったらどんな事を話そうかなあ、などと考えながらホクホクとベッドに入る。目を閉じて妙子の顔を思い浮かべて幸せに浸る。そんなデコボコな毎日に、孝雄は満足するでもなく、不満をもつでもなく、ただ漠然とその日その日を送っていた。

「じゃこれで。」

岩永が帰ってしまって。総務室には孝雄と妙子の二人だけになった。

「まだ帰らんの?」

「ええ、あさって全校生徒に配る予定のアンケートの原稿作ってるんで、今日中に先生に了解もらわないと・・・」

「まだ、しばらくかかる?」

「もうちょっとで終わる。」孝雄は、待っとくことにした。時計はもう八時を回っていた。

「うん、いいだろう。明日中には印刷を終わらせとくよ。」総務顧問の立田先生がそう言って原稿を受け取った。

「ああ、向井。今日はもう遅いから、野波を送っていってくれんか。」

「はあ、いいですけど。」

「家、どっち?」

「大島のほうです。」孝雄の家とは正反対の方向だった。

「あっ、じゃ近くだから。」孝雄はとっさにつまらん嘘をついた。もちろん義務感だけではなかった。

途中に、街灯もないかなり暗い道もあって、孝雄はやっぱり着いて来てよかったと思った。二人並んで自転車で20分ほどの道のりだった。

「ありがとうございました。」妙子の家の前で、ペコリと頭を下げた。

「こりゃ、暗くなったら毎日送ってこなきゃ危ないなぁ。」

「そんなー。ご迷惑でしょ。」

「ぜーんぜん。」

「じゃ、また今度もおねがいしよーっかな。」笑いながら妙子は家に入っていった。

孝雄はしばらく玄関の前でたたずんでいた。あの全校委員会の日、孝雄が総務に立候補すると口走ってしまった理由がようやくわかった気がした。孝雄は、我に帰ると、今二人できた道を今度は一人で戻り、学校の前を通り過ぎて我が家へ向かうのだった。

それからしばらくは、孝雄は妙子を家まで送り届けてから、反対側にある自分のうちに帰るという毎日だった。土日は基本的に活動は休みだが、何事も手を抜けないたちの孝雄は、土曜日も登校することが多かった。そして何故か、妙子も土曜日にも総務室に来ることが多くなっていた。

「ねえ、あの道だったら君一人で帰っても危なくないから、もう送っていかなくてもいいんじゃないかな?」ある日孝雄は、後ろめたさに絶えかねてつい口走ってしまった。言い終わった瞬間に、(しまった!とりかえしのつかないことをしてしまった)という考えが頭をよぎったが、すでにおそかった。妙子が、「そうね」と同調することが恐ろしくて、孝雄は妙子に向けていた視線を心持ちそらした。一瞬、妙子の顔が曇ったように見えた。驚いて顔を上げた孝雄の目に、困惑したように少しうるんだ妙子の瞳が映った。そのとたん、今まで胸につかえていたものがスーッと薄れていくような気がして、孝雄は思わず顔をほころばせた。すると、妙子の瞳から困惑の色が消え、いつものいたずらっぽい微笑を浮かべたかと思うと、「いやよ~!、やっぱり送ってちょうだ~い。」と甘ったれた声で言った。孝雄はそれを聞くと、「わかったよ」と幾分なげやりに相づちをうって顔をそむけた。嬉しさにだらしなくほころんだ顔を、妙子に見られたくなかったのだ。


 「何だ、お前達まだ残っていたのか」

あたりがすっかり暗くなってしまって、いつものように2人で帰ろうとしていた孝雄達は、不意に呼び止められた。総務顧問の立田先生だった。先生は、孝雄の後ろにくっついてきていた妙子に気付くと、

「おいおい、女の子を暗くなるまで残しちゃだめじゃないか」と言って孝雄を軽く小突いた。

「ところで、君の家はどっちのほうかね」―――

「じゃ、僕と同じ方向だね。車で送ってやろう」

「先生!この間は、僕に送っていけっていってたじゃないですか。」

「おっ、そうだったかな。でも今日は随分遅いし。」と少々強引に妙子を送っていくことにしてしまった。

「駐車場で待ってるから。」と言い残して、先生が行ってしまうと、妙子は困ったような顔をして、孝雄の方を見た。孝雄は急に笑い出すと、

「送ってってもらいなよ。先生、最近ソアラの新車買ったんで、乗せたがりなんだよ。」と言って軽く妙子の肩を小突いた。

「でも、自転車置いて帰らなくちゃいけないでしょう。明日の朝、歩いて学校まで来るのいやだわ。」

「いまさら断れないっしょ。」とは言ったものの、孝雄も部活を離れて妙子と自由にお話のできる時間を先生に奪われたようで、少々腹が立っていた。妙子も駐車場には行きたくないような様子で、困ったようにうつむいていた。

「明日、迎えに行ってやろうか。」孝雄は、深く考えもせずに口走った。

「ほんと?」孝雄は、軽くうなずいた。

「キットよ」妙子はそう念を押すと、カバンを持って駐車場の方に駆け出した。

 翌日、孝雄はいつもより一時間も早く起きると、学校の前を素通りして妙子の家まで迎えに行った。

「おっはよっ。ごめんなさいね。朝まで遠回りさせちゃって。」

「いいよ、いいよ。僕が言い出したことだし。でも、2人して歩いて行ったんじゃ、迎えに来た意味がないね。」

孝雄は、何気なくだったがそう言った。「じゃ」と妙子は、ごく当たり前のように荷台に横すわりに乗ると、孝雄の腰に手を回してきた。孝雄は正直戸惑った。思わず自転車がよろめいた。

「ちょっとお、大丈夫?」孝雄は冷や汗がでる思いだったが、

「重量オーバーだよ。」とかなんとかごまかして、自転車をこぎだした。雨上がりの歩道には、ところどころうっすらと水たまりが残っていて、楽しそうな二人の姿を映し出していた。空には、まだ雨を降らせたりないかのように、湿気をいっぱいに含んだどす黒い雨雲が遠くの山頂に立ちこめていたが、その隙間からは、これからあたりを覆ってくれる優しい春の日差しがひとすじ、やわらかな光を投げかけていた。


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