バチカン
<稲荷様>
普段は引き篭もって外出しない日本の最高統治者であるが、現在はバチカン市国という遠い海の向こうまでやって来ていた。
これには別に深くはないが、とにかくそうせざるを得ない理由があったのだ。
簡単に説明すると、イエス様とブッダ様が天界に帰った次の日に、ローマ法王からお手紙をいただいたのだ。
物凄い反応速度だと感心しつつ、私はその内容については読む前から何となく想像できた。
ちなみに実際に目を通すと、格式張った文章がやたらと長く続いて読みにくかったが、まとめると大体こんな感じであった。
イエス様がうちに来てくれないの、マジ辛い。いやまあ、理由に関してはどうこう言える立場じゃないし、大人としては受け入れてるけどね?
でも、国民がそれに納得するかは全くの別問題だし? ローマ法王が誠心誠意説得しても、話をまともに聞いてくれない人も多いのよ。
まあつまり、ローマ法王マジつらたん…といった愚痴である。
なお、最後の文面は、稲荷様がうちに来て民衆を説得してくれれば、騒ぎも沈静化するんだけどなぁ…チラッチラッという内容が、容易に透けて見えていた。
なので私は、自らしでかしたわけでもないが、放っておけば対岸の火事では済まないと考えて、久しぶりに重い腰を上げることになった。
そして、日本からバチカン市国に向かうために、稲荷神専用機に搭乗する。
現地に到着した私は民衆から熱烈大歓迎を受けながら、笑顔で手を振りながら意味があるようで特に必要性を全く感じないパレードを行い、精神的な疲労を感じながらも、出発から数時間後にようやく、サン・ピエトロ大聖堂に到着したのだった。
そして、今現在は下の民衆がよく見えるバルコニーで、ローマ法王と対面していた。
互いに装飾の施された椅子に腰かけた状態で、いつもの本音トークでお話をするのだ。
ちなみに、当然のようにテレビカメラで360度から撮られており、雲一つない晴天で春の陽気でポカポカしている外で行っていた。
これがもし雨なら、聖堂内でのロケになっていたかも知れない。
ともかく、時刻は午前九時を少し過ぎた頃であった。
「…ですので、イエス様とブッダ様は日本のみで活動が可能なのです」
「なるほど。そのような事情があったのですか」
ローマ法王はとっくに把握しているが、まるで今知ったかのように深く頷く。
これには私の言葉に同意したことをアピールし、潜伏しているペロリストにキリスト教は異教徒だが敵ではないと認識させるためである。
権威持ちの発言で全国放送されているので、予防線を張っておくに越したことはない。
だが、自分は常に本音で語るので、予防線? 何それ? 外人? 歌? …っといった感じで、相手に気をつけてもらうしかない。
それでも何だかんだで上手く行ってるし、私が嘘をつけないのは世界中が知っている。なので今では全く気にせず、隠したいこと以外は、開き直ってズケズケと物を言うことにしているのだ。
「そう言えば、イエス様からローマ法王さん宛にお手紙を預かっていました」
「えっ? ほっ…本当ですか!?」
ちなみに私はいつもの巫女服ではない。
潜伏中のペロリストにキリスト教は敵ではないと伝えるために、日本の職人がこんな事もあろうかと用意しておいた女法王に似せた豪華なローブを身にまとっているのだ。
そして、そのローブの内ポケットに小さな手を突っ込んで、手紙を探すためにガサゴソと弄る。
「ええと、…ちょっと待ってくださいね」
一分もかからずイエス様の手紙を見つけて、ヨイショっと取り出すと、興奮のあまり身を乗り出してしまったローマ法王さんに手渡す。
それは数枚のルーズリーフを四つ折りにしたものだった。
しかも装飾はなくて紙質も普通で、そこらのコンビニで取り扱っているような安物であった。
「二神が私の家に遊びに来て、帰る直前に書き残した物です」
「はっ…はぁ、あのー…読み上げても?」
「はい、それはもうローマ法王さんの物ですから」
元々イエス様が彼に宛てた手紙なので、それをどうしようとローマ法王さんの自由である。
ブッダ様の分は帰り道にお届けすることに決めているが、最近は公務が増えて平穏な暮らしから遠ざかっているので、早く落ち着いて欲しい。
ちなみに手紙を書き出した状況だが、あの時の私たちは最新のテレビゲームに、時間を忘れてドハマリしていた。
なのでローマ法王や地上の関係者への連絡事項を思い出したのは、顕現時間ギリギリで体が透け始めた頃であった。
皆が慌てていて洒落たハガキは探せなかったが、日常的に使うルーズリーフと筆記用具はすぐに見つかったので、何はともあれファインプレーだったと思う。
ちなみに手紙の内容だが、他人に宛てた文章を覗き見する趣味はないので、四つ折りにした後は一切封を解いていない。
そんな私が心の中であの時は大変だったと過去を振り返っていると、ローマ法王さんが厳かな雰囲気でお手紙を読み上げ始めた。
「今代のローマ法王がこの手紙を読んでいるとき、僕はもうこの世に居ないだろう」
「…イエス様なりの冗談ですね」
思わずツッコんでしまったが、イエス様は家に招いて話してみるとお茶目な神様だと判明したので、シリアスな雰囲気は苦手なようだった。
なので、これが天界に帰ったことを表す冗談なのだと、私にはすぐにわかった。
ローマ法王さんはいきなりの不穏な始まりに若干苦笑気味ではあるが、自分たちが崇めている存在の意外な一面を、何とか受け入れようとしていることが伝わっている。
一分ほど無言で時が流れたが、やがて心の中で踏ん切りがついたのか、再び手紙の朗読が始まった。
「まず、最初に謝っておくよ。そっちに行けなくてごめん。でもこれは、人間たちのせいじゃない。
神にもどうにも出来ない、この世界の絶対のルールなんだ」
そこから今現在地上に満ちている神秘の濃薄が語られ、それによって神魔の活動限界時間が決まることも、私以上に詳しく説明された。
ちなみに、自分が噛み砕いてまとめた感じでは、神秘が空気で、信仰心が栄養だ。
それを踏まえると、バチカン市国は空気が薄すぎるので、神魔は生きていけないのである。
だがまあ、信仰心をかき集めれば無理やり肉体を保つことは可能だ。
しかし、誰が好き好んで死と隣り合わせの過酷な環境に暮らしたいものか。だがまあ別に、バチカンだけではなく世界中が散々な有様であり、日本が色々とおかしいだけだ。
そうは言っても、うちでも地上に留まるのは保って数日が限度なので、神魔が国外に出るのはまだまだ厳しいだろう。
「最後に、永遠の友達である稲荷神のことをよろしくね。…イエス・キリスト」
そう言ってローマ法王さんは大きく息を吐いて天を仰ぎ、一分ほど固まったあとに、読み終わったルーズリーフを護衛に手渡す。
「本当に申し訳ないのですが。イエス様が書かれたという証拠はありますか?」
「ありません。なので次に顕現したら、直接尋ねてください」
ルーズリーフに走り書きされた文章を、イエス・キリストが書いたと、いきなり信じるほうがどうかしている。
本当は確信しているのだろうが、民衆と私の間に板挟みにされているローマ法王も辛いのだ。
だがまあ、あちらさんにどんな事情があろうと、自分はそこまで親身になるつもりはない。
バチカン市国まで来ただけでも、平穏な暮らしを求めて引き篭もる自分としては、凄いことなのだ。
「では、次に顕現するのはいつでしょうか?」
「わかりません。天界まではスマートフォンの電波が届かないので」
「……は?」
二神にはスマートフォンを渡してあるので、連絡自体は取れる。だが、それは地上限定であり顕現中のみの仕様だ。
ゆえに、天界に居る間はどうしようもないのである。
唖然とした表情のローマ法王さんが硬直状態から脱して、オズオズと手を上げて質問する。
「あの、イエス様と連絡が取れるのですか?」
「先程も言った通り、地上に居る間だけです。電話番号とメールアドレスを交換しているので。…公表はできませんが」
今の一言で、ローマ法王の体が完全に固まる。今度は復帰までの時間が、かなり長そうである。
そしてもっと言わせてもらうと、これからは神魔の方々とやり取りするのが日本の普通になるのは、もはや確定した未来だ。
と言うのも、異世界からの来訪者の所在地を特定したり連絡を取るために、必ずスマートフォンをもたせること。
なお、レンタル料は全額あちら払いと、私が対応マニュアルに組み込んだからだ。
現代の日本はスマートフォンを持っていれば電子マネーで買い物ができるし、現地住民とトラブルが起きたときの連絡、現在位置の確認、さらには身分証にもなる。
ただまあ、困った時の神頼みよろしく、私に頻繁に通話が入り、現地に飛んだりするのが困りものだ。
今はリニアモーターカーが全国に通っているので、稲荷神専用車両を使えば移動時間はかなり短縮できる。
それでも、私の心労がマッハになるのは避けられないのであった。
「…と言う事情もあって、地上に降りてくる神魔の殆どが私の知り合いなのです。
まあ、それでも全てを把握しているわけではありませんが」
「なっ…なるほど」
まだ対応マニュアルは定まってないので私が直接出張ることも多いが、ある程度の情報が集まれば、政府機関や宗教関係者に丸投げして、元の平穏な生活に戻れるはずだ。
「ところでリトルプリンセス」
「はい、何でしょう?」
「もっ…もしかしてですが。唯一神様とも、おっ…お知り合いなのでしょうか?」
唯一神様と聞いてもいまいちピンと来なかったので、頭を捻って記憶をあれこれ探る。
すると、イエス様とブッダ様を我が家に招いてゲーム大会をしていた時に、飛び入り参加した神様が居たことを思い出した。
「それでしたら、少し前に私の家に遊びに来ました。
見た目は白い鳩でイエス様は自分のお父さんだと言い、確か名前はヤハウェ…」
だが、私がまだ喋っている途中にローマ法王さんがガバっと立ち上がり、真面目な表情でこちらに話しかけてきた。
「唯一神様を名前で呼ぶのは、リトルプリンセスでも…その…少し」
「えっ? でも、ヤハウェ様は気軽に呼んでいいよと言ってましたよ?」
「そっ、そうですか。でしたら、なっ何も問題はありませんね」
さっきまで真面目な顔をして立っていたローマ法王さんが、今度はとても疲れた表情をして椅子に座る。
それを見た私は、未来の日本で読んだ魔法使いの物語のように、名前を呼んではいけないあの人に近い存在なのだろうかと、何となくだが察することができた。
ついでに、ヤハウェ様にもスマートフォンを渡して、イエス様とブッダ様と同じくズッ友ラインに入っているのは秘密にしたほうが良さそうだとも思った。
向こうの最高神であるはずなのに、二神と同じく色んな意味でフットワークが軽いため、私もつい気軽に接してしまった。
それでも本来は名前を呼ぶのも躊躇われる存在だと自覚したことで、これからは我が家に集まった時だけ名前で呼ぼうと、心の中で固く誓ったのだった。
その後は、始終ローマ法王さんからの質問に答える形で進行し、余計なことは極力喋らないように頑張った。
なお、努力のかいはあって重大な秘密は守ることができた。
だがそれ以外は、たびたび口を滑らせたため、またもや私の凄さと言うか、恐れを知らない無謀さが世界に知れ渡ることとなった。
おかげでワッショイワッショイが加速することになるのだが、私にとってはもはや日常茶飯事だ。
それでも毎度のように精神的にヒへイするので、チベットスナギツネの表情からは逃げられないのであった。
番外編は今回で終了となります。
次回は時間を巻き戻して、昭和中期からとなります。
引き続きお読みいただければ幸いです。




