稲荷様の日常
<稲荷様>
春の良く晴れた日、私はいつもの巫女服に袖を通して森の奥に建てられた家の縁側に腰を下ろし、呑気に緑茶を飲んでいた。
いつも通りの平穏な暮らしではあるが、今日は珍しい来客がやって来るのであった。
「んー…そろそろ時間かな」
来客の到着時間が近づくにつれて、どうにも落ち着かなくなる。
なので、縁側から重い腰を上げて立ち上がると、湯呑を食器洗い乾燥機に入れて、ポチッとスイッチを押す。
ついでに部屋の掃除をしたり、本の整理や洗濯物を畳んだりと色々やりながら壁にかけられた年代物の鳩時計を見ると、時刻は九時半になっていた。
すると大勢の足音が近づいてくることに気づき、それから間もなく緊張気味な中年男性の声が玄関口のほうから聞こえてきた。
「お約束させていただいたIHKの者ですが!」
「あっ、はい。今行きます」
私は声の聞こえたほうに向かってトテトテと歩いていき、玄関の引き戸をガラリと開ける。
そこには、深く静かな森と大家族となった狼たちを背景にして、IHKの取材スタッフとお世話係、さらに近衛までもがズラリと勢揃いしていた。
「稲荷様の日常を取材させていただけると聞いて、やって来たのですが…」
「はい、合ってますよ。しかし、普段の生活と言っても別に珍しいことはしていませんが」
私がしていることと言えば、炊事洗濯掃除とワンコとのふれあいぐらいだ。あとは一日中家でゴロゴロして、漫画や小説を読んだりネットサーフィンやテレビゲームをしたりと、オタク趣味を色々だ。
日本の最高統治者としては非常に珍しいかも知れないが、一庶民としては割りとありふれた日常だろう。
(まさか本当に、地球に残された最後のフロンティアになるとは思わなかったよ)
二千年を過ぎて地球全土の海底探索がほぼ完了し、既に月面ドームと宇宙コロニーの開発に移行しており、さらに有人探査ロケットで火星を目指す計画も始まっている。
つまり、地球上で目ぼしい秘境は、もはやこの世の何処にもないのだ。
そこでロマンを求める者たちが注目したのが、四百年以上も関係者以外は立ち入りが許されておらず、プライベート情報も厳重に口止めされて、一般の民衆には謎に包まれている稲荷神の居られる住居であった。
(本当はテレビ取材を受けるつもりはなかったけど、世界の民意ならしょうがないからね)
私は現実でテレビスタッフから顔を背けてこっそり溜息を吐き、オタク趣味を暴露すれば稲荷神のイメージダウンになる。
なので、テレビゲームや漫画や小説といった各種グッズはダンボールに詰めて、倉庫の奥深くに隠しておいたことを今一度確認して、心の中でヨシっと気合を入れる。
そしていつものニコニコ笑顔で彼らに顔を向けて、小さな手を差し出して家の中に招いたのだった。
「大したおもてなしはできませんが、家の中にどうぞ」
「あっ…はい、ですが稲荷様は私たちのことはお気になさらず。なるべく普段通りにお願いします」
プロ根性のある番組のディレクターがそう言うので、私は確かにと心の中で納得し、彼らからアプローチしない限り、気にせず普段通りの行動をしようと決める。
だがそう思ったところで、特に目的を持って行動しているわけでもない。なので、取りあえずお茶を飲んで一服しようと居間を目指して廊下を歩いていると、途中でディレクターが質問してきた。
「この離れは、一体どのぐらいの広さなのでしょうか? 」
「都会のマンションの3LDKらしいですよ。あと、ここは離れではなく母屋です」
たまに顔を合わせるお世話係の人に尋ねると、大体都会のマンションの一室と同じ程の広さらしい。
日本の最高統治者なのだから、普段住まいの母屋はもっと大きいと考えているのかも知れないが、あいにく私の平穏な暮らしにはこのぐらいの広さが性に合っている。
一応、倉庫代わりの正倉院は森の奥にいくつも建てられているが、離れなど存在しないのだ。
「あの、不便は感じないのですか?」
「私は一人暮らしなので、この広さが性に合っています。家事も一通りはこなせるので、不便に感じたことはありませんね」
広いと毎日の炊事洗濯掃除が大変になって、手が回らなくなる。
その場合はお世話係を入れれば良いのだが、殆ど働いてない私は全国から寄せられるお供え物を頼りに生活を維持しており、彼らのお給料は稲荷大社から出ている。
なので、自分のわがままで向こうの資金繰りを圧迫するのは申し訳ないので、私が外に出るとき以外は活躍の機会がないぐらいで丁度いいのだ。
そんなこんなで、3LDKなので短い距離の廊下を歩いて、あっという間に居間に到着した。
私は奥のオープンキッチンに立って、食器洗い機の中の湯呑を取り出して、急須に水を入れて手早く沸かし、テキパキとした動きで新しく緑茶を入れる。
台所は私の体格に合わせて設計されているので、踏み台に乗らなくても家事が行えて、大変便利である。バリアフリー住宅万歳であった。
「それにしても、年季の入った佇まいですね。築何年なんですか?」
稲荷の装飾が施されたオボンに、人数分の熱い緑茶と戸棚から取り出した草加煎餅を乗せて慎重に運んでいると、番組ディレクターが再び質問した。
それを聞いた私はちゃぶ台に順番に並べながら、頭の中で過去を振り返っていく。
「ええと、大正九年に稲荷大社と一緒に建て替えたので…」
「大正九年と言えば、西暦千九百二十年ですか。つまり、ちっ…築百年以上!?」
番組スタッフは私と違って計算が早いようだ。
この世で生きた年月の四分の一をこの家で過ごしてきたことになり、愛着を感じるには十分すぎる時間が経ったのだと、何とも感慨深くなる。
私が一人でほんわかしていると、若干顔を引きつらせたディレクターがこちらに顔を向けて、慌てて声をかけてきた。
「いっ…稲荷様、ちなみに建て替え、もしくはリフォームのご予定は?」
「えっ? 別にありませんけど?」
「でしたら、建築の専門家に家屋調査を依頼してください! お願いですから!」
鬼気迫る勢いの番組スタッフだけでなく、近衛とお世話係からもグイグイ来る。
なので、じゃあ向こうの都合が付けばそうします。…と、首を縦に振るしかなかった。
その際に態度には出さないように気をつけたつもりだった。しかし後日の映像を見ると、明らかに表情が沈んでいるだけでなく、狐耳と尻尾もしょんぼりと垂れていたのだった。
話を戻すが私がちゃぶ台に置いた緑茶で喉を潤している間に、数名が居間の外に出て建築業者と連絡を取っているのを狐耳が拾った。
どうせ万一建て替えになったところで、自分が無一文なのは知られているし、最低限に済ませてもらえば稲荷大社の資金繰りを圧迫しないで済むかな。…と、気にせずササッと流すことにした。
「とっ…ところで、稲荷様は普段はこの家でどのような生活をされているのでしょうか?」
「聖域の森を家族と散歩したり、縁側での日光浴。あとは炊事洗濯掃除といった家事全般ですね」
座布団に腰を下ろして熱い緑茶をすする私に向かって、番組スタッフが咳払いしてからかしこまって尋ねるが、その質問は予想済みなのですんなり答えることができた。
「なるほど。では、それ以外には何を?」
他のことと聞かれると、あとは比較的マシな趣味は朝昼晩の料理だけでなく、お菓子作りもするのと、意表を突いて狼たちと一緒にお昼寝だろうか。
私は頭の中であれこれ考えて迷った末に、ここは無難な線で行こうと決める。
「ど、…読書を少々」
一般市民が想像する日本の最高統治者のイメージを崩すわけにはいかず、趣味の質問に困った時に良く使う読書を答えとして提示した。
本を読むことなら誰がやっても不思議ではないので、神皇として相応しい日常の過ごし方に当てはまるだろう。
「なるほど、読書ですか。やはり詩や純文学を読まれているのでしょうか?」
しかしあろうことか、番組スタッフはさらに突っ込んできた。
一応だが、ここで嘘をつくか、黙って頷いてやり過ごすという選択もあった。
だがあいにくと、私は嘘が嫌いだった。
なので、殆ど読まない詩や純文学に同意する気が起きず、何よりこれ以上追求されたらメッキが剥がれるのは確定であった。
ならば傷が浅いうちに稲荷神のイメージダウンを最低限に留めるべく、私はゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
「しょ…少年漫画と少女漫画。あとは、ライトノベルも嗜んでいます」
「……へっ?」
現実に答えておいて何だが、滅茶苦茶恥ずかしい。
何処の最高統治者が、娯楽作品を読み漁るのが趣味なものか。
まあ、ローゼン○イデンが好きな総理大臣があっちにもこっちにも居たが、実際に自分がその立場になってカミングアウトすると、羞恥のあまり顔から火が出そうだ。
なので自分からは見えないが、現実では狐耳まで真っ赤になっているかも知れない。
「ネットサーフィンだけでなくアニメや特撮も見ますし、テレビゲームもします。
そちらの山田花子さんには、協力プレイをお願いしたこともあります」
「えっ? ……ええっ!?」
取材中にバレないために、漫画やゲーム機はダンボールに収納して倉庫の奥に隠しておいたのだが、まさか嘘をつけない性格が災いするとは思わなかった。
だが、もはや後は野となれ山となれだ。開き直ったことで羞恥心が薄れ、赤くなった顔も段々と元に戻っていく。
やはり慣れない嘘などつくものではなかった。
私はいつも行きあたりばったりで、好き勝手に行動してきたのだから、これからも常に自分に正直であるべきだ。…と、そう思ったのだった。
その後は、私のオタク趣味全開のお気に入りのグッズが白日の下に晒されて、寝転がって漫画や小説を読んでるシーンをバッチリ撮影されたり、テレビゲームで協力プレイしたりもした。
ついでに今もっともハマっている動画を紹介したり、これまで影で見守っていただけの推しのVチューバーとお話したりと、どうせバレたんだからと、それはもう色々はっちゃけた。
なお、私のゲーム内アカウントはネットに繋いでいるが、フレンド申請は一切受け付けていない。
理由は言うまでもないが、それでも協力プレイが醍醐味のゲームがお供え物として届くと、ワイワイガヤガヤお友達と賑やかに遊びたくなるのだ。
なので暇をしているときには、気まぐれで近衛とお世話係を誘ったりする。
ちなみにだが、私の日常は厄介事さえなければ、週休七日である。
公務は雨や雪等の悪天候を除く毎朝一時間にも満たずに終わる。場所は稲荷大社の一角にあるIHKの特別スタジオだ。
そこで、各国から寄せられる感謝のお便りや、ネタまみれのハガキを本音トークを交えて適当に意見したり、ニュース番組や新聞を見て思ったことを率直に発言したりするのだ。
…とまあ、何はともあれ、こうして私が日頃どのように暮らしているかが、IHKの取材によって白日の下に晒されたことになる。
当然、日本だけでは済まずに世界中に知れ渡り、神皇の威厳が大暴落してブーイングで酷いことになるんだろうなと、戦々恐々するハメになったのだった。




