イギリス首相
<イギリス首相>
第二次世界大戦が早期に終戦し、東京で稲荷講和会議が開かれた。
そこで、ソビエト連邦によって赤く染められたアジア諸国を連合国で分割統治し、思想や治安や経済等の安定を図る条約が締結された。
ちなみに日本だが、連合国の盟主でホームである東京で行われたにも関わらず、稲荷講和会議には欠席ではなく不参加であった。
規模は小さいが物資や人材を投入し、第二次世界大戦を終結に導いた主役と言っても過言ではない日本である。
それが、あとは連合国の皆さんにお任せします…と、リトルプリンセスは眩しい笑顔でそうはっきりと告げ、稲荷大社の森の奥に籠もってしまったのだ。
相変わらず欲がないと言うか、それとも何か別の考えがあるかも知れないが、あいにく席を外しているので詳しいことは聞けず終いだった。
だがしかし、実際に巻き込まれて少なくない被害を受けたヨーロッパ諸国としては、損失分を取り返すためにも、分前が増えるのは大歓迎である。
リトルプリンセスの代役として日本の外交官が稲荷講和会議を取り仕切ったが、彼は始終進行役に徹しており、自らの利益を主張することは一切なかった。
そのことに対して疑問に思った連合国が尋ねると、マイホームに引き篭もる前の稲荷様から、アジア大陸とは極力関わらないように。何なら戦勝国の権利を放棄しても構いません。…と、真面目な顔でそう厳命されたらしい。
だがまあ、何らかの理由があるのは百も承知だが、当の本人は長い間留守にしていた我が家に閉じ籠もり、緊急の用件でない限りは呼び出さないでください。…と、若干怒気が混じった表情で念押しされた。
そして記録によれば、リトルプリンセスは数百年の間に一度も本気で腹を立てたことがなく、何故機嫌が悪いのかはわからないが、もし怒りを内に溜め込むタイプなら、我々が彼女を呼び出した瞬間に怒髪天になりかねない。
いくら何でも地雷原でタップダンスを踊る趣味はなく、我々は渋々でも諦めるしかなかったのだった。
かくして、連合国だけでなく日本の政治家でさえもが何が何だかよくわからないまま、稲荷講和会議は進行していった。
ソビエト連邦は解体して、多数の国々が入り交じるロシア連邦となる。
そして赤く染められたアジア諸国も同様に、多額の損害賠償を支払うこととなった。
その際に我が祖国のイギリスは、日本にもっとも近い半島を手に入れることができたのだった。
「だが、おかしいぞ? ここまでは順調だったはずだ。それが何故こんなことに?」
政庁執務室の机に置かれた書類に目を通した瞬間、イギリス首相チャーチルは大いに頭を抱えるハメになった。
その原因はと言うと、支配下に置いた半島の状況があまりにも芳しくないからである。
それは開いたファイルに目を通すたびに、呆れを通り越して怒りが湧いてくるほどであった。
「日本の最高統治者であるリトルプリンセスが、半島生誕だと!
どう考えても辻褄が合わないだろうが! 子供の屁理屈か!」
あまりにも馬鹿らしい主張に呆れ果て、大声でツッコミを入れてしまう酷い有様だが、幸い防音対策は完璧で執務室は自分一人だけであった。
「居るはずもない証人! 証拠も全て捏造!
リトルプリンセスだけでなく、日本料理も半島発祥と平気で吹聴する!
しかも、値段の割に量が少なく不味いときたものだ!」
これらの報告は全て、半島の治安を維持をしているイギリス兵たちからの切実な訴えが元になっている。
優れた日本を見本にするのはいいが、知識も技術も未熟なので当然不完全な物になる。
さらにはそれを半島が本家本元だと言い張り、適正価格よりも高値で売りつけるのだ。
それだけではなく、あっさり手のひらを返して、うちに並んでいる商品は全てメイドインジャパンだ。…と、平気で嘘をつく店舗も多数見受けられた。
そして半島が日本に拘っている理由だが、パリ講和会議でリトルプリンセスが歴史の表舞台に堂々と立ち、イギリス情報部の隠蔽工作が意味を成さなくなった。
その時に隣国がとんでもない存在だと知った半島は、俺たちも負けていられない…ではなく、これは利用できると考えたらしい。
半島発祥、日本の先輩、メイドインジャパン、社名や商標までもを主張したりと、本来はリトルプリンセスの祖国が得るはずだった利益を、他人や他国を騙すことで強引に吸い上げ始めたのだ。
なお、ごく一部を掠め取っただけとは言え、その利益は小国にとっては途方もない額になる。
なので、甘い汁を吸った半島は欲望に歯止めがかからなくなり、隣国の日本に付きまとうようになるまで、そう時間はかからなかった。
「はぁ…リトルプリンセスが国交断絶した理由は、…コレか」
現地の兵士から苦言は山のように届いているが、首相が読むのは政府関係者が編集を行った、ほんの一握りに過ぎない。
しかし今私が手に持って閲覧しているファイルは、実際かなりのぶ厚さがある。
「今さら悔やんでも遅いが、これなら隣の中国に統治機関を置くほうがマシだったか」
まだ治安維持活動を開始してそれ程月日が経っていないにも関わらず、早くも後悔し始める。
どうにも頭が痛くなってきた私は、一旦手に持ったファイルを閉じて、イギリス産ではない日本産の高級茶葉で紅茶を入れるために、迷いなく席を立つ。
なお、通常なら苦言をまとめて首相に伝えるのは秘書の仕事であった。
だが彼は先にファイルチェックを全て済ませて、この情報はチャーチル首相がお一人で読まれるのがよろしいかと。…と言って人払いをし、自らも速やかに立ち去っている。
今なら秘書の気持ちがよくわかった。
これほどまでに荒唐無稽な主張を自信満々行う朝鮮の実情を知れば、たちまち呆れ果てて怒り心頭になり、平静を保てずに首相にあるまじき醜態を晒してしまう。
二回目ならば耐性がついて幾分マシになるだろうが、とにかく初見では衝撃が強すぎるのだ。
「連合国の盟主でありながら、リトルプリンセスが何故頑なに関わるのを避けるのか。
…今なら私にもよくわかる」
第二次世界大戦における日本の損害は微々たるものだった。
なので、リトルプリンセスは我々連合国に気を遣ってくれたのだと、あの時はそう考えていた。
「パリ講和会議で、リトルプリンセスはどん底だったドイツを救った。
その結果、かつての敗戦国は今や欧州屈指の強国だ」
自分の考えを整理するために口に出しながら、お湯に浸けていた紅茶のティーパックを引っ張り上げて、近くのゴミ箱に捨てる。
そのまま私は程よく温まったカップを手に持ち、執務机に慎重に運んで行った。
「東アジア諸国も第二のドイツになれるはず。…当初はそう意気込んでいたのだがな」
結果は治安を維持するのが精一杯で、復興支援や統治機関を構築するまで手が回っていない。
現地の兵士からの苦言を閲覧する限りでは、自分を立てるために他人をこき下ろすことは珍しくない。
また、かなりプライドが高い。もしくは、自らの犯した失態を認めない。
とにかく非常に扱い辛く、隣の日本とは雲泥の差であった。
「おまけに救援物資の横領も日常茶飯事な程に、元の統治機関は腐敗しきっている。
しかも現地住民は全く協力的ではないうえ、金や物資を無尽蔵に要求してくる」
執務机に戻った私は、紅茶を一口飲んでまたもや頭を抱えてしまう。
締結された条約を何食わぬ顔で破るので、もはや条約も意味を成さない有様だ。三歩進んで二歩下がるではなく、どれだけ頑張って進んでもゼロに戻されてしまう。
いつもの欧州流でやれば統治は可能だが、それでは彼女の好感度は確実に下がってしまう。そして他の連合国も、リトルプリンセスに失望されることを恐れて、今回は特に人道的配慮に気をつけていた。
だからこそ民衆は付け上がって、敗戦国にも関わらず立場は自分たちのほうが上だと勘違いする。
何にせよ、これでは救いの女神であるリトルプリンセスも匙を投げるはずである。
そしてすぐ隣に位置している日本だが、国民の性根を曲げずに真っ直ぐに育てあげた彼女の手腕に舌を巻く。
総合評価をまたもや上方修正し、新たな実績を追加するのを忘れない。
もはやリトルプリンセスの創り出した神話は数え切れず、その評価の高さはチョモランマを軽々と越えて成層圏に達しつつあるのだが、未だに記録を更新し続けているのが凄いところだ。
「ふむ、ではアメリカやフランスは…」
今回はイギリスが貧乏くじを引いたかと後悔しながら重い溜息を吐き、私は今度は別のファイルを開く。
「…何だ。統治に苦労しているのはイギリスだけじゃないのか」
他所が不幸だからとイギリスの状況が好転するわけではないが、中国大陸もかなり混沌としているようだ。
アメリカやフランス、ドイツといった連合国も相当苦労しているのが容易に伺える。
そこには半島と似たりよったりな内容が記載されており、特に環境汚染は相当深刻であった。
水質や大気の汚染だけでなく砂漠化まで進行中なので、人が安心して住める場所がどんどん減っているらしい。
その点では、うちはまだマシなほうと言えなくもない。
「ふむ、他所より優れた点が一つでもあると、多少は気が楽になるものだな」
五十歩百歩、もしくはどんぐりの背比べなのはわかっている。しかし、今は辛い現実を直視したくないのだ。
「しかし、リトルプリンセスの好感度を稼いで、日本連邦国入りを打診する作戦だったが。
正直なところ、達成困難にも程があるぞ」
イギリス王室とリトルプリンセスの数百年にも渡る文通の記録は、国宝として大英博物館に公開展示されている。
その内容は多岐に渡るが、文面で常に我が国を気遣う優しいリトルプリンセスは、今も昔も全く変わっていない。それは、大多数のイギリス国民の心の癒やしでもあった。
「欧州は油断ならん国ばかりだ。これまで積み重ねた動乱の歴史がそれを証明している。
その点、日本こそが唯一無二の対等なパートナーに相応しい存在だ」
世界屈指の技術力もそうだが、リトルプリンセスが統治してから一度も戦争が起きず、数百年も平和を維持した実績がずば抜けている。
さらに、イギリスとの関係も良好で王室との心温まる文通だけでなく、災害支援物資とお友達料金での貿易も、本当にありがたい限りである。
ただ、あまりにも国の距離が離れているため、最高統治者であるリトルプリンセスの傘下に入ることだけは、未だに達成できていない。
それでも諦めるという選択肢はないので、あの手この手で彼女を気を引こうと画策して。数百年が経ってしまった。
だが、そんな長年の努力がようやく実を結ぶ。はず…だったのだ。
「イギリスが半島を安定させて、日本に国交を開かせる。
次に共同統治を持ちかけ、さらに関係を進める。そして、ゆくゆくは連邦国を打診する」
私はこれまで練った計画を呟きながら、気持ちを落ち着けるために紅茶を軽く口に含む。
「この計画が成功すれば、我が国は晴れて日本連邦に一番乗りは確実だろう」
だが実際には計画の第一段階から失敗だらけで、イギリス主導の統治が上手くいっていないのは明白であった。
とは言え、何も半島の国民たちから大反対を受けたわけではない。彼らは表向きは従順だった。
しかし、裏から平気で足を引っ張ってくるので、たちが悪いにも程があった。
反乱は鎮圧、言論は弾圧、思想は矯正すればいい。
だが、彼らは陰湿で監視の目が届かない場所から、バレても犯罪にならないギリギリのラインを見極め、ねちっこくイギリス兵を責め立ててきた。
「そもそも、国を立て直して日々の暮らしを良くしようと支援をしているのだ。
それなのに何故、事あるごとに足を引っ張ってくるのだ? ……理解できない」
イギリス首相のチャーチルは、再び半島のファイルを開こうとしたが、これは一朝一夕で解決できる問題ではないと考えて、途中でその手を止める。
かと言って時間をかければ状況が好転するわけでもない。だが、とにかく一旦保留とすることに決めたのだ。
俗に言う棚上げだが、半島よりも国内の問題に目を向けるほうが余程有意義で気楽なのだと、はっきりそう確信したのだった。