高天ヶ原
<天照大神>
ここは高天ヶ原。日本神話の神々の集う聖域であり、人間界とは隔絶された異世界である。
八百万の神の中で知名度がダントツに高く、何かと便利に使える中間管理職的な立場に居る天照大神は、広大な花園の中央にある透き通った泉を、微動だにせずに真面目な表情でじっと見つめていた。
「姉貴、こんな所で何をしているんだ?」
「その声は、スサノオかしら?」
私は顔を上げて、自分の背後から近づく屈強な体つきをした弟に振り向く。
その後、どうしたものかと迷ったが結局質問に答えることに決めて、少しだけ面倒そうに口を開く。
「中津国を見ていたのよ」
「…中津国? 穢れた地上のことか!」
「そうよ」
弟のスサノオは忌々し気な顔つきで神々が顕現できなくなった地上を、穢れだと堂々と言い放つ。
だがまあ彼の言うことも一理あり、私たちは人間からの信仰を得なければ、地上に実体化するどころか満足に力を振るえないのだ。
なので、最初は私たちを恐れ敬っていた人間たちだが、時代が移り変わって知恵がついてくると超常の存在を信じなくなるだけでなく、挙句の果てに反旗を翻すことになった。
その後は色々あって神秘の薄れた地上に存在することが難しくなり、私たちは分霊ではなく本体が居る高天ヶ原に半永久的に押し込められているのだ。
それを考えると、弟のスサノオが地上と人間に対して険悪な感情を持つのも、ある意味では仕方のないことだ。
「まっ…今さら人間たちが何しようが、俺には関係ないがよ!
…んでだ。話を戻すが、姉貴は地上の何を見ていたんだ?」
弟が近づいてきて私が覗いている泉の水面に顔を向ける。
そこに映し出されていたのは、何処かの森の奥の一軒家だった。その中心には、縁側に座って流れる雲を見上げて、呑気にお茶をすする狐っ娘が居た。
それを見て何とも言い辛そうな渋い顔の弟に、私は順序立てて丁寧に説明していく。
「天之御中主神様から、私が命令を受けているのは知ってるかしら?」
「あー…確か、身をていして小狐を庇った人間を助けて欲しいってやつだろ?
元は、たまたま地上を覗いてた稲荷神からの訴えだって話だがな」
天之御中主神様は普段は何を考えているのか、本当に居るのかどうかもわからない程、影が薄い最高神である。
なので今回の件を中津国の言葉に例えると、山が動いた…であった。
稲荷神の偶然の訴えでこれは、あまりにも予想外だった。
だからこそ高天ヶ原の神々は一時騒然となり、私がまたもや無茶振りされたと知らない者は、一柱も居ないと言っていい。
「…だがよ。今の穢れた地上で神が力を振るうのは、ちょっと難しくねえか?」
「ええ、だから魂を回収して新世界で治療することに決めたの。
彼女の元居た世界は数日後に核戦争が起きて人類が滅亡したでしょ?
なので少し可哀想だけど、ある意味ではちょうど良かったわ」
私は溜息を吐きながら弟に説明するが、まず大原則として、地上への干渉は禁止されている。
それでも力を振るいたければ、他宗教のお偉方の許可が必要となる。俗に言うお役所手続きというやつだ。
なおこれはかつて、好き放題に洪水を起こしたり隕石を降らせたり、人間たちを煽って聖戦をおっ始めた結果、地球全土がひでえ有様になって、最終的にあらゆる生き物が絶滅したという、苦い経験からきている。
だがまあ神や悪魔が何度干渉したり加護やお告げを与えても、結局人間は超常の者を信じなくなり、反旗を翻したりと思い通りには動いてくれなかった。
なので結局、私たちは皆全員が地上から締め出されてしまうのだ。
やがて、地上への干渉は百害あって一利なし、…という結論に満場一致で至ることになったのだった。
それ以降の神々は、たまの気まぐれかうっかりで干渉するのみとなった。
この判断はある意味正解だったらしく、人類は最初は緩やかに数を増やしていった。
だが西暦が二千年に近くなると、世界情勢が急激に悪化するのだ。
その後、滅亡に至るキッカケは様々だが、全面核戦争や細菌兵器、また資源の枯渇や深刻な環境汚染等が発生し、地球全土が生物が住めない星に変わり果てる。
そして神々はそんな荒れ果てた大地を異世界から眺めては盛大な溜息を吐き、宗派の垣根を超えて神魔の力を合わせ、まだ神秘に満ち溢れていた天地開闢の前の宇宙の卵を作り出す。
それは俗に言う平行世界であり、神魔の本体が異界で作成するため力を行使するには何の問題もない。
だが、いくら可能だからと言っても、賽の河原で石を積み上げるような行いを、何だかんだでもう数え切れないほど続けているのだ。
これには全知全能に近い神々にもどうにもできずに、正直に言うとホトホト困り果ててしまっていた。
なので、今では皆が異世界に閉じ籠もっている。そこで、昔は良かった。人間に敬われたり恐れられたりしてた等など、かつての栄光を自慢気に語り、神の美酒を片手に互いの傷を舐め合っているという、何とも酷い有様であった。
今の神界は八方塞がりに陥り、停滞した流れの中で緩やかに腐敗しつつあるのだと、否が応でも察してしまう。
それはともかく話を戻すが、日本神話の上司の無茶振りはいつものことだった。
「そっ…それで姉貴、その人間はどうなったんだ?」
弟が気を使って露骨に話題をそらしたので、私は大きな溜息を吐いて続きを話し始めた。
「稲荷神に手伝ってもらって分霊にしたわ。
でも天之御中主神様から事細かく注文を受けたから、調整に時間がかかってね。
まあ仕事の合間にやってたのもあるけど、結局完了したのは戦国時代に入ってからよ」
戦国時代は神秘がかなり薄く、ギリギリ稲荷神の力を振るえる程度しかない。
なので、一ヶ月もすれば分霊化で肉体の治癒のために与えた神力が抜けきって、元の人間に戻るはずだった。
だが、彼女は日々消耗するよりも多くの信仰心を得て、今では本体を遥かに凌ぐ力を手に入れている。
もっとも、そのことに当人はまるで気づいていないのだが…。
「どうしてこうなったのかしら?」
「さあな、そんなの俺が知りたいぜ」
おかげで今の地上は、神の存在を信じる人間が多数派である。
もっと言えば、西暦二千二十年が過ぎているのに核戦争や環境汚染、未知の病原菌の大流行などが起きることなく、もし前兆があればフットワークの軽い最高統治者がすぐに手を打つ。
彼女は普段は大いに抜けているのに、身の回りが危機的状況になるとやけに勘が鋭くなり、根拠に乏しく判断基準がてんで見当違いだとしても、何故か解決するための最適解を導き出すのだ。
それは外から見ている天照大神だろうと、どうしてこうなったと言わざるを得ないほど、理解不能であった。
だが、そのおかげで今の世界情勢は非常に安定していた。
そして、時代の流れで信仰が失われて弱体化した神々も、再び肉体を持って顕現が可能となり、全盛期には及ばないが地上で力を振るえるようになったのだった。
「…なるほど! ロン毛とパンチが、日本最高ー! …とか大喜びしてたのはそういうことだったのか!」
「そうよ。まだ神秘の中心である日本しか繋がらないけど、最近はうちの神々も頻繁に行き来してるわ」
ついでに言えば、地上は確かに超常現象を心の底から信じる人間が多数派となり、神秘が濃くなって顕現しやすくなった。
だが普通強化されるのは地上で信仰を集めた者、つまりは稲荷神のみのはずだ。
「信仰心を奪い合うのではなく、仲良く分け合う時代になったみたいね。
無神論者のあの子には、そんな自覚はないでしょうけどね」
人間たちは神皇を信仰の対象ではなく上手くは言い表せないが、もっと別の存在として崇めている。これには当人が露骨に祭り上げられたり、祀られるのを嫌っているからだ。
そんなワッショイワッショイのお神輿にいい加減嫌気が差したのか、平穏な暮らしを求める彼女は、ある日こんなことを言い出した。
「私を信仰するのを止めてください。自分は確かに稲荷神ですが、皆さんに崇め奉られるような大神ではありません。
ええと、世界を照らすお天道様のようなものだと思ってください。ただそこにあるだけなので、祈りや儀式などは一切必要ありません。
改宗は自由です。強要しませんので、もっと他宗教を信じても良いのです」
いつもの場当たり的な本音トークだろうが、おかげで仏教や神道、キリスト教やイスラム教やヒンドゥ教など、良い感じにバランスが取れる結果に繋がった。
そして太陽神に格上げされた稲荷様をメインにして、サブに他宗教を信仰している者も大勢現れた。
しかも、その者たちが本気で神の存在を信じているのも大きい。
「稲荷神は私の子供のようなもの。だから大成功したのは、天照大神のおかげよね?」
「…姉貴よぉ。ここは、天之御中主神様の手柄じゃないのか?」
あんな居るのか居ないのかわからず、中間管理職に無茶振りばかりしてくる上司は知りません。
だがまあそれは一旦置いておいて、今の所は自由に顕現できるのは日本だけだ。
そこで、もし神秘の供給源である神皇と敵対しようものなら、その瞬間に地上から追放されて出禁になるのは誰もが理解していた。
なお実際に彼女と面会したパンチとロン毛は、東京の稲荷大社に建てられた各宗教の施設をバックに、現場の神職や神皇と一緒に記念撮影をした。
さらにはテレビカメラの取材を受けて、今ではすっかり時の人…いや、神となった。
おまけに帰り際にお土産をたくさん渡されて、狐っ娘から笑顔でまた来てくださいね。…と言われて、始終大歓迎状態だったらしい。
神皇も彼らが人間ではないことを察していたらしく、稲荷大社の敷地に入る前に出迎えられて、民衆の前で本物の神様だと公言した。
なので仏教とキリスト教の神魔にとんでもない信仰心が加算された。…だけでなく、狐っ娘の神秘性もグーンと上がった。
おかげでパンやワインを出したり後光が差したりも楽に行なえて、本物の神の証明がとても楽だったらしい。
しかし、まだ顕現していられるのは数日がせいぜいで、またすぐ天界に帰らないといけない。
だがその際に、稲荷神を連れて帰ってしまうのではないのか。…とまことしやかな噂が流れて、日本どころか全世界が大混乱に陥ったらしい。
結局その噂は、まだ神皇を退位する気はないと公言することによって、何とか収めたが、本人にとっては諸刃の剣であった。
そして私も早く溜まった仕事を終わらせて日本に行き、お母さんですよ。今までよく頑張りましたね。偉いですよ。…と褒めてあげたいものだ。
何しろかれこれ数百年も毎日見守っているので、神皇はもはや自分の娘そのものである。
仕事中でも時々、今あの子は何をしているのだろうか…と、つい考えてしまうほどなので重症である。
「こうしちゃいられねえ! 俺も日本に降りて自分の神社を見物に行かねえと!
姉貴! 教えてくれてありがとな!」
ああ、本当に立派に育ってくれたものだ。
神皇の退位は断固として阻止するが、せめてこれまでの苦労を労ってあげようと私は心に決める。
そして姉を追い越して先に地上に羽根を伸ばしにいく弟を、未練がましく見送るのだった。




